イベント終了 ! 「変な人になってみた!」とはこういうことだと思います | スクール・ダイバーシティ

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成蹊高校生徒会の1パートとして活動しています。あらゆる多様性に気づく繊細さ、すべての多様性を受け止める寛容さ、疎外や差別とは対極にあるこんな価値観を少しでも広く共有したいと思って活動しています。

 トークライブ「変な人になってみた!―創造性とダイバーシティ/オタクとスクールカーストⅣ」は、予定通り開催されて、そして、盛況のうちに終了しました。パネリストをつとめていただいたみなさん―卒業生で小説家・エッセイストの小野美由紀さん、「世の中とLGBTのグッとくる接点をもっと」というクリエーターの太田尚樹さん(「やる気あり美」)、いつもお世話になりっぱなしで、今回もお世話になった「編み物男子」の横山起也さん―本当にありがたかったです。もともとこのテーマは、学校的なレッテル―オタク、コミュ障、ぼっち、陰キャといった名指しやそこにいる全員が異性愛者でシスジェンダーという学校的思い込みを脱力させてやろうという狙いでスタートしていて、それについては、こちら

を見ていただければと思うのですが、今回3人にお願いしたのは、その延長線上の世界を見せてほしいと思ったからでした。分かるような、分からないような、いかにもめんどうくさい話をお願いしたわけですが、おかげさまで、想定をはるかに越えるような深みと広がりを持つ議論や経験的発想にふれることができました。ありがとうございます。また、各方面から駆けつけてくれた来場者のみなさんも、ありがとうございました。きっとしゃべりたいことがたくさんあったと思いますが、タイミングをうまく設定できませんでした。またの機会に、ということでお願いできればと思っています。

 

 さて、あらためて、「変な人になってみた!」というのはどういうことなのか?もちろん「変人ぶる」ということではぜんぜんないし、「すすんで変な人になる」というのとも違います。

 

 「自分のまま」でいるだけで、自分のやりたいことをやろうとしているだけで、それで「変な人」と見なされるんだったら、いいよ、「変」なまま行くし、むしろ「フツーとのズレ」を飼いならして、コントロールしてやるよ―という感じなのではないでしょうか。

 

 ということで、「変な人になってみた!」というのは、どうやらこういうことだと思うのですが、どうでしょう。

 

 「変な人と見なされることを受け入れてみた!(納得いかないけど)」

 「変な人と見なされることと向き合ってみた!(しかたないじゃん)」

 

 で、こうやって「変な人になってみた」人たち―わたしたちはそんな人たちを「まなざし返しの達人」ととらえました―の話を、わたしたちは聞かせてもらって、そして、「変な人と見なされることを受け入れてみた」ら何が見えるのか、 「変な人と見なされることと向き合ってみた」らそうすると何が出来るのか―ということをイメージしたのだと、と思っています。

 

 ポイントになった議論についても少しだけ。

 

 ―「変に見える」原因はどうやらいろいろな「あたりまえ」との「ズレ」なんだけど、その「ズレ」を引き受けて、「ズレ」を飼いならす、コントロールする、武器にすることができる、つまり戦える!それはモノづくりに生かせるし、物語につながるし、そこに笑いのセンスなんかが加われば創造の力はさらに加速するし、例えばその言葉はより深くより広く届いていく。つまり、「変な人」を引き受けていろいろなことをやってきたけど、それは「フツー」と「変」に「橋を架ける」、「フツー」と「変」の「橋になる」ということでもあるかも。

 

 ―どうでしょう、こういう感じだったと思うのですが。

 

 

 一方、こういった議論と同時に、「変な人」と見なされることの痛み、怒りについて、経験的な話をしていただけたことも、本当にありがたかったです。ただ、この部分については、本来ネタにはし切れないような問題を「ネタっぽく」話さなければいけないように舞台設定してしまったなとも感じていて、今さらながら心苦しく思っているところです。教員の参加が少なかったことに対する小野さんのいら立ちの「なんで?」は、掘り下げなければいけなかったと思うし、思秋期に入ろうとするころの大田さんが直面したスクールカースト的大ピンチ&ゲイの自覚という状況からの「戦い」などは、落ち着いた舞台にすればもっと話しやすかったのかなと感じています。すみません、ありがとうございました。

 

 パネリストのみなさんのトークと、そしてフロアーからのいくつかの発想とをふまえると、あの場のみなさんの「変な人ってなんだ?」は、かなり膨らんだり深まったりしたのではないかと思います。もちろん会場にいたみなさん全員の声を拾うことはできなかったわけですが、でも、それでもいいのだと思います。ああいう場を共有して、何かにピンと来たり、ピンと来ようとしたりという、そういうことの積み重ねが、身近な空間に、例えば学校なり職場なり地域なりという社会に、多様な価値を持ち込むことにつながるし、そこにいる誰かたちが、多様な価値毎の小さな世界を自由に行き来して、いろいろなポジションを経験できるような、そんな社会につながるのだと思います。というか、そうであったらいいな、ということで、また、何かおもしろくて、そして、頭のひねりがいのある仕掛けを考えていきたいと思います。みなさん、今回は、本当にありがとうございました。ではまた。