*以下、わたしたちの活動にいつも参加・協力してくれている教員のレポートです。
国立療養所沖縄愛楽園に行ってきました。愛楽園は元ハンセン病患者の療養所です。沖縄愛楽園は、美ら海水族館がある沖縄北部の本部半島の近くにある屋我地島というところにあります。JALのCMで嵐が紹介したことで一気に有名になったハートロックのある古宇利島の隣にある島です。
「元」というのは、現在はハンセン病にかかっている入所者はいないからだ、と自治会副会長の米蔵さんは強調しておられました。今はハンセン病の後遺症の治療を必要としたり、家族の元に帰ることがむずかしい約170数名の元患者さんがいらっしゃるとのことです。
退所者の平良さんが敷地内を案内してくださいました。平良さんのガイドで一番印象的だったのは、「らい予防法」というのは、健常者にとっての「予防法」であって、それは患者を切り離し、隔離することを正当化する法であった、ということです。平良さんは、ハンセン病療養所は「患者を隔離する人殺しの場所」だったとおっしゃっていました。子どもをつくらせず、無断外出すれば罰を与えられるという非人間的な生活を強いたのは、その血筋を根絶やしにする目的があったからだと。囲いの中は刑務所同然であり、「らい予防法」により、夢も希望も奪われた、と平良さんはおっしゃっていました。敷地内にあった面会所は、患者と面会者で異なる入り口が設けられ、中はガラスで仕切られていて、まさに刑務所の面会室のようでした。
ということで、かつてのハンセン病隔離政策が、差別政策として語られるべきなのはもちろんですが、それに加えてこんな視点を持つことも大切だと考えます。この隔離政策は、戦時では兵士として使えない人々、要するに「戦争するにあたって邪魔になる人々」をへき地の島に追いやる政策としての機能をも担ったということです。一方、同じように「邪魔になる人々」であっても女性や子どもには沖縄から本土への疎開が勧められていたのです。日本軍が民間の家に間借りすることが特に多かった沖縄の場合、その家にハンセン病患者がいては兵士に感染する、ということで、軍が強制的に患者を療養所に収容したという事情も重なります。
1944年10月10日の空襲で、愛楽園は大きなダメージを受けますが、そこがハンセン病療養所だと知った米軍は、その後はここを攻撃することはなかったそうです。しかし、アメリカでは1943年にすでに特効薬が発見されていたのに、1945年以降の米軍政下でも隔離政策を支持したという話もあり、いろいろ考えさせられました。
他県の療養所に比べると、後の時代になって、元患者の遺骨を引き取りにくる家族が比較的多いというのも、沖縄ならではの光景かな、と思いました。
また愛楽園は、自身もハンセン病患者であった徳島県出身の青木恵哉が、自分でこの土地を買い、療養所をつくったのが始まりです。ハンセン病患者が建てたという意味で唯一の療養所であるといわれています。
近年、ハンセン病への理解が広がりつつありますが、「自分と異なる身体を持つ人を排除したい」といった差別意識が生まれる背景に、国家権力の思惑が大きく関与していたこともあわせて確認しておく必要があると改めて感じました。
おそらく各地の療養所が、それぞれ固有の歴史と現状を抱えていることと思います。私ももっと勉強していきたいと思っています。

もう終わってしまったけどこんなイベントも。学ぼうと思えばいくらでもということです。
*なお国立の「療養所」 は国内に13ヵ所あって、そのうちわたしたちにとってもっとも近いのはここでも何度かふれた多磨全生園です。同じ敷地内のハンセン病資料館と合わせて、この休みにぜひ。
それから忘れてはならないのは、日本がその植民地政策の一環として建てた韓国、台湾の療養施設の存在です。そこにどんなテーマが絡んでくるのか、ここは知識を増やしつつ想像力と行動力を駆動させるところでしょう。ハンセン病にふれたエントリーのリンクをいくつか貼っておきます。
http://ameblo.jp/sksd14/entry-12124893144.html
http://ameblo.jp/sksd14/entry-12068765869.html
*こんな声をきちんと掴まえておくことも大切でしょう。
「隔離政策によって人生を変えられた家族がいるのに、国は被害を認めない。その責任を明確にしたい」
ハンセン病に対する差別は当の患者や元患者だけでなく、その家族にとっても決定的な問題だったのです。http://digital.asahi.com/sp/articles/ASHCZ3PH9HCZTIPE008.html
*このところにわかに盛り上がっている大相撲が来週からまた始まりますが、その盛り上がり方にはちょっと注意したいところがあります―こういってすぐにピンと来た誰かはきっと相撲が好きでかつダイバーシティな誰かだと思うのですが、まずはこんなツイートを見てください。「琴奨菊の優勝」を「日本人の優勝」にしてしまうことについて、北丸雄二さんのツイートです。
ことさら「日本出身」を枕詞にしながら「価値ある優勝」「いやあ本当に嬉しい」「素晴らしい活躍」と言うことは、これまで角界を支えてきてくれた「日本人以外」の優勝を「価値が低い」「本当はそうも嬉しくない」「苦々しい活躍」と共示することであることに、どうしてそうも鈍感なのだ?ってことだ。
https://twitter.com/quitamarco/status/691439360399544320?s=09
*この議論については、こんな記事にも目を通しておきたいところです。そもそも「日本人」でなく、「日本出身」と表記するのはなぜか。それは、2012年夏場所で、「日本人」に帰化していたモンゴル出身力士旭天鵬優勝したからです。優勝した時、彼のもとには、日本人力士が優勝するのを邪魔するな、という主旨の手紙が3通届いたそうです。旭天鵬はこんなことを言っています。
「外国から来ても、みんなちょんまげを付けて、ゲタや雪駄(せった)を履いて…。生まれた所は違うけど、大相撲の文化を学んでやっている。そこに国境はないと思うんだよね」
記事にはさらに彼のこんな言葉が紹介されていますが、これに甘えることは許されませんよね。
「モンゴル相撲で、もし日本人の横綱が生まれたら、向こうの人は見なくなるかもしれない。それに比べたら、日本人は温かいよ。ヤジもないしね」
http://www.nikkansports.com/m/battle/sumo/news/1596797_m.html?mode=all

このほか、まだまだ取り上げたいことはたくさんあるのですが、長くなってしまうので、とにかく、項目プラス一言、という感じでとにもかくにも挙げておきたいと思います。議論はあらためてということで。
*少し前の記事なんですけどとても興味深い話です、というか切実な話、といった方が当たっているでしょう。外国人を受け入れるということ、異なる文化や習慣を持つ人びとと共生していくという現実とどう向き合うかというテーマを扱う記事で、瞬く間に移民が急増したバルセロナの「戦略」が紹介されています。ヘイトスピーチという問題を抱えるわたしたちの社会にもたいへん有効な「戦略」だと思います。長いインタビュー記事ですがぜひ。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12173216.html
*これがマイノリティの人権の問題なのは言うまでもありませんが、根本にあるのは女性の人権問題だと考えられます。なぜか?ちょっと読んでみてください。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160304-00107629-toyo-bus_all
*そんななか、国連から女性の人権状況についての勧告を受けたという話はスルーできないでしょう(されそうだけど)。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ376GBPJ37UHBI028.html
*ダイバーシティなテーマを扱うエンターテイメントとして劇団燐光群の「カムアウト」。19日からです。アフタートークのゲストは、このブログではいつもお世話になっている遠藤まめたさんや世田谷区のダイバーシティを推進する保坂展人区長、同じく世田谷区議員でmtfの上川あやさんなどです。
http://rinkogun.com/comeout20161989.html
*せっかく上川あやさんの名前が出たので、遠藤まめたさんのブログから「友だちにトランスと言われたら」。
http://endomameta.com/page3-4.html
積み残しがたくさんありますが、今回はとりあえずこのあたりで。ではまた。