定例会から―「驚かれない心地よさ」「ひとり行動」他ダイバーシティ・ネタ | スクール・ダイバーシティ

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成蹊高校生徒会の1パートとして活動しています。あらゆる多様性に気づく繊細さ、すべての多様性を受け止める寛容さ、疎外や差別とは対極にあるこんな価値観を少しでも広く共有したいと思って活動しています。

今、成蹊高校ではインフルエンザが大流行していて、なので今週の定例会は少人数での集まりになりました。そんな中、新たに参加してくれた生徒もいて、持ち寄った話も盛りだくさんということで、今回の前回に引き続き最近の定例会から話題を集めてみます。

*まずは、当日まで1週間となった保護者向けイベント「上映会 パレードへようこそ&ミニトーク」関連。保護者のみなさんがこのブログを見てくれてるといいなと思いつつ。
当日の段取り、役割分担などは臨時定例会で確認するとして、ここでは、考えたり、理解したりというレベルの話を。二組の親子の話です。ともに子どもセクシャル・マイノリティ、一組はまだカミングアウトしてません。娘の目線からの言葉を引用しました。もうひとつはカミングアウト後の親子で、こちらは母親。息子がゲイであることで自身の求める世界が変わりました。

「同性愛者の女子高生に聞いてみた。学校や大人に何を求めますか?」
http://m.huffpost.com/jp/entry/8826780
「テレビのお笑い番組に出てくる同性愛者のタレントを、親が気持ち悪いと言ったり、見下したりしていました。私もそういうふうにとらえないといけないのかと思い、素直に受け入れてきた。ですから、自分が当事者であると気づいた時には、自分自身が気持ち悪いという拒絶感があり、自尊心がズタボロになってしまいました」
「私の親はニュースをよく見ていますので、セクシュアル・マイノリティの社会的な状況は理解していますが、身近にいるとは思っていません。ただ、娘が何かで悩んでいるというのは気づいたらしく、聞かれるので、『友達とのことで悩んでいるとか』とごまかしています。親は、何か育て方が悪かったのではと自分を責めるタイプですし、私に普通の結婚をして、孫を産んでくれると期待しています。私のことは、知らずに人生を終えてもらった方がいいのかなと思ったりもします。」

「母親からゲイの息子への手紙」http://m.huffpost.com/jp/entry/9066380
 (その世界は)ジェンダーという名の箱に押し込まれず、子供たちが自由に遊び、探検できる世界です。ジェンダーの箱はありません。あるのは自由のみ。誰もが愛され、誰かと違うという理由でいじめられることがない世界です。
すべての子供たちが無条件にありのままに愛される世界です。 LGBT当事者であるがために子供がホームレスになったり、虐待を受けたり、恥ずかしく思ったりする世界ではありません。ゲイやトランスジェンダーの子供を持つからといって、親が恥ずかしく思うことのない世界。皆が受け入れられ、祝福されているからです。
私たちみんなが様々なアイデンティティー、性的指向、セクシュアリティがあることを認識している世界です。性の多様性が受け入れられているだけでなく、尊重され祝福されています。セクシュアリティを誰かが認めないからといって、恐れたり警戒したりすることのない世界。  
誰もが世界中を歩き回ることができ、大いに自己表現をし、安心していられる世界です。
・・・この世界には、様々な異なる方法で誰かを愛し、家族をつくる自由があります。ロマンチックな関係や結婚がこうあるべきというのは一つではありません。 家族のありかたも、ひとつではありません。


このあたりのテーマについては、『カミングアウト・レターズ』(砂川秀樹・RYOJI)という本があってたいへん参考になります。そこには、温かかったり、痛かったりという事例が重ねられています。なお砂川秀樹さんはすごくおもしろいです。検索してみてください。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA-%E7%A0%82%E5%B7%9D%E7%A7%80%E6%A8%B9/dp/4811807251
カミングアウト・レターズ

*これもセクシャル・マイノリティについてですが、定例会での話です。知り合った人はバイセクシュアルだったという話。
ある女子生徒が最近知り合った20代の女性は、話を聞いてみると、バイセクシュアルだということ。そう告げられたその生徒はそのことに抵抗はないというし、このエピソードを聞いた当日の定例会参加者もビックリしたりしない―という、この感じは、さきほどの話なんかもふまえると、実はそれほど簡単なことではないのではないでしょうか。わたしたちは、よい意味で「慣れっこ」になって来たのだと思います。以前、コラムニストでトランスジェンダーの能町みね子さん(知らない人は検索してみましょう)が、「驚かれないことの心地よさ」みたいな話を書いていたのを思い出しました。タイトルは「サラッとさせたい話」。コンパクトで、気持ちのいい文章です。https://twitter.com/nmcmnc/status/628599631069351936

*みんなで共有した記事のひとつです。菊池桃子さんの「多様性とソーシャル・インクルージング(社会的包括)」の話。
http://digital.asahi.com/articles/ASHDV038HHDTUTIL06R.html
菊池さんは、政府が「一億総活躍社会」実現に向けて立ち上げた「一億総活躍国民会議」のメンバーに名を連ねています。まずはタレントの登用ということで注目を浴びるわけですが、ダイバーシティとしては、その会議の場に「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」という概念を持ち込んだことに注目です。「排除される人をつくらない社会」を目指して、労働、福祉、教育といった領域で幅広く使われている概念だそうです。そして、菊池さんは、「1億総活躍」と「排除する人をつくらない社会」を結びつけたいと考えて、こんなふうに語るのです。大切なことはなにか―。
「多様性への理解でしょうか。欧州では幼い頃から移民や難民に接し、それが障がい者や性的少数者への理解にもつながっている。歴史的背景は違っても、日本社会も『仲間はずれ』をなくしてから『総活躍』の議論をするべきだ」

彼女は、こんな問題提起もしています。学校の受験や企業の採用資格にしばしば記載される「心身ともに健全な者」という一文が密かに振るう力の問題です。この一文が「人々の前向きな意欲をそぐ慣例」となりうる可能性にピンと来て、「この表現のために、受験や採用試験を諦める方が多い現実がある」ことに気付く感性は、わたしたちの活動とも響き合うと思うのですが、どうでしょう。

*ダイバーシティ・ネタを列挙します。まずは、「女性がどんどん主役になる」というコピーと写真とのギャップの凄さ。こんな声が上がりました、というか、上がるよね。http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0050/womanact/
・インパクトでかすぎ。あれを見た女性で、期待する人はいるの?
・作成段階で大人たちは誰も気がつかなかったのか?

*言われてみればそのとおりだし、昔はずいぶん言われてたらしいこととして「右利き、左利き問題」。社会の大部分は右利きを前提に作られている。もちろん学校も。「社会の大部分は異性愛を前提に作られている。もちろん学校も」という議論と結びつけるのは少しも難しくないでしょう。わたしたちは、なんというか、発想のコツみたいなものをつかみかけているかもしれません。

*「1人行動」はどこまで?これは生徒にとってはもちろん、たぶん保護者にとっても小さな問題ではありません。「うちの子ひとりでお弁当食べるようなことになってませんか?」という心配はどんな保護者にとっても他人事ではないでしょう。

生徒からはこんな声が上がっています。
・トイレや自動販売機、駅までの帰り道などは1人でも行けるけど、「どうせだったら」という感じで他の人を誘うことも。
・学食の6人席で1人はさすがにキツい。
・1人で行動できるかは、スクール・カーストとも関係。周りから認められている感じがあれば問題ないかも。あとは普段から1人だとやはり何も感じない。
・見てて大変そうなのは、スクールカーストの上位なんだけど、頂点の人と仲良くなることでその地位を得ているような人たち。1人になることを怖れて、いろんな人たちに声を掛けないといけない。

「ひとり」を避けるためにどうすればいいか、ということで、学校としてもいろいろ工夫していますが、賛否両論。なじむきっかけになる、という声もあれば、スクールカーストが浮かび上がるだけ、という声も聞かれますし、そもそも「みんなで仲よく」という働きかけ自体が孤立を生むという指摘もあります。「みんな一緒に昼ごはんとか、決まりがあったけど、もともと浮いてる生徒にとってはかなり苦しい。」と言われると、その苦しさは、想像するだけで苦しいのではないでしょうか。ではどうすればいいのか?

ダイバーシティとしては発想の転換を打ち出したいと思います。「ひとりにならないように工夫する」ではなくて「ひとりでも大丈夫な空気を工夫をする」というのがダイバーシティな感じなのでは、ということですが、ちょっと理屈っぽいですかね。でも、これだと思います。