昨年の66,アメノウズメ様のに,笛吹市八代町の鉾衝神社へ行き,参拝させて頂きました!

アメノウズメ様から私へのメッセージは…「狂いなさい!」でした。

私も30歳代の頃,仕事をしてる時は,っていました

一種のトランス状態でした。

40歳代半ばから今まで,普通の状態です。

 

吉田松陰の有名な名言に「諸君狂いたまえ!」というものがあります。
同じ精神は,スティーブジョブスさんの「Stay hungry, stay foolish」
「狂気」とは…「常識や固定観念等にとらわれず,己の信ずることを一心不乱に行うこと」だと思います。
つまり,「狂気」こそが,日常の常識やしがらみ,固定観念,損得勘定…という軛(くびき)から己を切り離してくれるのです。
なので,「狂気にならなければ,何かを成し遂げることは出来ない」と思います。

これから再び「狂おう!」と決意しました!

鉾衝(ほこたて)神社

○〒406-0835 山梨県笛吹市八代町米倉782−1

笛吹市役所八代支社から南1kmほどの八代町米倉に鎮座しています。

○仁徳天皇4年4月の勧請と伝えられる古社
○式内社:甲斐國八代郡 桙衝神社,旧郷社
・中世には矛立明神,鉾立明神とも称しましたが,明治元年に,現社号の鉾衝神社に戻したそうです。
式内社・桙衝神社に比定され,武田家累代鎮城の社として崇敬され,特に米倉家の氏神として,度々の修繕が加えられたと云われています。

・明治6年,郷社に列しました。

・本殿背面の御神木は「鉾衝神社けやき」として,昭和36年12月(=私が生まれた時),県指定天然記念物に指定されたが,昭和50年の台風で倒れてしまい,指定は解除されたそうです。


○御祭神…天鈿女命
猿女君の遠祖であり,天岩戸の前で,矛を持って歌舞したことにより,「鉾衝」の社号となったという説があるようです。

彼女は,身体に日陰の(ツル)をかけ,頭にはまさき(クズ)をかぶって,笹の葉(古事記)or千草を巻いた(日本書紀)を振りながら,うつぶせにした(ウケ:特殊な桶)の上に乗り,背をそり,胸乳をあらわにし,裳の紐を女陰まで押したれて(半裸状態),神懸りの(トランス)状態で,低く腰を落して,足を踏みとどろかし,力強く,エロティックな動作で,踊り狂い,八百万の神々をさせました。

(いが邪氣うのです。)

仁徳天皇四(424年頃)年の創立と伝えられ,御祭神に天鈿女命を祀る町内唯一の延喜式内社である。
昔は源家代々の祈願所として隆盛し,武田家の頃は米倉氏により社殿等が整えられ,徳川時代には歴代将軍の尊崇を得て,神領の寄進を受けていたことが伝えられる。
幕末の頃, 災火にあい,社殿,宝物,古文書等を焼失したが, 明治34年に現在の社殿が再建された。
境内に大神社,稲荷社,天神社,阿夫利神社,蚕影神,道祖神等が祀られている。
本殿裏には山梨県指定天然記念物の樹齢800年と言われた大ケヤキがあったが,落雷等により枯死し,昭和56年に指定解除となった。 
本殿東に八代町指定有形民俗文化財の米倉に昔から伝っていた人形芝居の用具保存庫があり, あやつり人形の頭四十二及び衣装道具一式と三番叟の人形三体が保存されている。
-境内案内板より-

男根

女陰

 

蚕影(こかげ)神社の石碑…蚕影信仰

総本社「蠶影神社」(茨城県つくば市神郡1998鎮座)
【御祭神】…稚産霊神・埴山姫命・木花開耶姫命

この地域は,昔から養蚕業が盛んで,蚕はとても大切にされ,信仰の対象にもなっていたようです。
また,各集落にも蚕影神社の石碑があるそうです。
かつて,養蚕業を営む方々は,蚕を「おかいこさま」「おこさま」とよんで労を惜しまず大切に育てていました。
また,蚕は病気に弱く,餌の桑が雹害,霜害を受けて,ダメになり,蚕を飼育できなくなるなど,その時々の自然・気象災害,さらには蚕を鼠に食べられる鼠害等で,繭の収量はその年々で大きく当たりはずれがありました。
農家にとって,養蚕収入の高低は生活そのものに関わる死活問題でしたので,人為を超えたものから,蚕を守るために,人々はただひたすら,養蚕の神々に養蚕の無事と豊蚕を祈ったそうです。