面白いけど、これはまだ序章に過ぎない話なんだろうなあと。学生たちがいよいよ動き出したその瞬間こそが、全ての物語が始まるその時になる。多分こんな感じ。
今回の話は「教科書検定制度」を巡る問題を主軸にしたもの。この制度ってあまり知られていない挙げ句、誰にもこの制度の問題点なんて知られていない話になるんだけど、まさかこの制度を扱って話を展開するとは思いもしませんでした。やはり、教育を再構築つまりリビルドを謳っている教育ドラマにして、着眼点が違う。
この制度で何が問題かって言うと、現場の教員たちが直接教科書を選べないということに当たるのです。「え? これがどこが問題なの?」という方はあまり身近に思っていなく、実際に考えたことがないと思うんだけど、逆を言えば、文科省が合格を受け渡した教科書しか現場の教員は選べない、ということになる。詰まるところ、例えば文科省が誤った事実を掲載した教科書を合格を受け渡し、それらを現場の教員たちに使わせる。これがまだ事実誤認ならまだマシ、歴史教科書であるならば話は違う。
要するに、これは過去の事例で起きた「第1次教科書問題」をベースにしている訳なのです。詳細は私も知らないのですけど、歴史教育において、誤った事実を教科書に掲載しておきながら「授業」をする。これって流石に理解しやすいのではなかろうか、と思う。まあ、それを言ってしまえば、何が「正しい」のか、「正しくない」のかを考えるベクトルとか根拠とかがないから、もはや意味不明に過ぎない議論になってしまう可能性が高まってしまうと思うんだけどね。
で、この問題を実際のこの作品ではベースにして話が作られている訳なんだけど、東雲が抱えている問題とは別。一見して同じように彼女が抱えている問題は見えそうなんだけど、実のところは単純明快なんだよね。彼女の父親は文科省の合格を受け渡していない教科書を選定……というよりは、自ら作成した教科書を授業のベースにして行っていたことが論点であり、先程の問題とは別のベクトルになる。彼女の父親に対する問題は、果して文科省の合格がない教科書で授業をしても良いのか、ということ。もしもこの行為がまかり通ってしまうならば、文科省はおろか公教育制度なんて存在しない。必要いらない。だってやってることは「私塾」そのものだから。だったら「学校」なんて、「公教育制度」なんていらないでしょ?
少し言い方が過激になってしまったかも知れないけど、大体はこんな感じ。だから文科省はあらかじめ自分たちで指導の「方針」をつくり、また「制度」をつくって、誰もが安心する「教育」をつくっているのです。(あと、触れるかどうか迷ったけど、一応名前だけ挙げておくと「家永教科書訴訟」も関係しているかもね。というのも、「教科書検定制度」を軸にした物語であるならば、絶対に「家永教科書訴訟」も触れないとおかしいはず。)
こんな感じで終わるけど、第3話にしていきなり国の根幹を揺るがしかねない論点をぶち込んで来る辺り、このドラマは相当「学園ドラマ」の域を壊そうとしているかも知れない。次回は『古事記』の詩を送ってきた人が居るみたいだけど、今後の物語で何か関係するのかな。