日本の受験勉強をしたことがないボクには、日本の受験教育の限界がときどき不思議に見える。
食べることにたとえると、子どもは最初、口を開けていれば親が食べ物を運んでくれる。
次に、自分でスプーンを持って食べるようになる。
その次は、自分で料理する。
さらに大人になれば、何を食べるかを自分で決め、必要なら材料も自分で手に入れる。
学ぶことも同じだと思う。
ところが受験勉強では、高校生になっても、
「これを覚えなさい」
「ここが試験範囲です」
「これが正解です」
と、食べるものが次々と口元まで運ばれてくる。
もちろん、先生たちは生徒を受け身にしようとしているわけではないと思う。
自分で勉強しなさい。
自分で計画を立てなさい。
とも言う。
でも、それはまだ、
「用意された食べ物を、自分でスプーンを持って食べる」
練習なのかもしれない。
何を学ぶのか。
なぜ学ぶのか。
自分には何が足りないのか。
どこへ行きたいのか。
そのためには何を身につければいいのか。
そこから自分で考えることとは、少し違う。
だからボクは授業で、テストを100点すべて授業から出すことはしたくない。
80点は授業から出す。
残り20点は、授業以外から出す。
80点分の食べ物はこちらで用意する。
でも残り20点は、
自分で獲ってこい。
本を読んでもいい。
誰かに聞いてもいい。
自分で調べてもいい。
授業で習ったことから推測してもいい。
その20点で見たいのは、知識の量だけではない。
「教わっていないから、できません」
で止まるのか。
それとも、
「教わっていない。じゃあ、どうやって手に入れよう?」
と動き始めるのか。
社会に出れば、試験範囲を教えてくれる人はいない。
教科書もなければ、巻末の模範解答もない。
だから教育の目的は、いつまでも上手に食べさせることではないと思う。
最終的には、
誰も食卓に並べてくれなくても、自分で食べ物を探し、自分で料理し、自分で食べていけるようにすること。
80点と20点の境目は、その練習のためにある。
