僕は、豊かな社会を作りたいと思っている。 

僕にとって豊かな社会とは単に「みんながお金をたくさん持っている社会」ではない。 


 選択肢が多い社会だ。 


 これは僕が金融を勉強してきたことともつながっている。
ポートフォリオ理論のEfficient Frontierを考えてみる。
(一般の投資家に、個別銘柄だけではなく、幅広く分散されたインデックス投信が勧められるのも、この発想と通じるところがある。) 


 選択可能な資産や組み合わせが増えれば、同じリスクでより高いリターンを狙ったり、同じリターンをより低いリスクで実現したりできる可能性が広がる。 

 人生も同じだと思う。

進学する。 就職する。 転職する。 起業する。 海外へ行く。 地元に残る。 たくさん働く。 収入は少なくても自分の時間を大切にする。
どれが正解という話ではない。

選べることそのものが豊かさなのだ。 


 だから僕は「貧乏人のいない社会」にしたいと思っている。

 ただし、それは何もしなくてもみんなが豊かに暮らせる社会、という意味ではない。 


 努力は必要だ。 


 でも、
努力することと、苦労することは同じではない。
僕は「不要な努力」は減らしたい。

不要な努力とは、単に面倒な努力ではない。
同じ目的を達成できる、もっと安価な代替手段がある努力。
機械でできるなら機械を使えばいい。 AIでできるならAIを使えばいい。 誰かの知識を借りれば10分でできることを、自分一人で3日かけてやる必要もない。 

そこで浮いた時間やお金や体力を、もっと価値のあることに使えばいい。

 つまり、
必要な努力はする。
不要な努力は減らす。

 そのためにも「選ぶ能力」が必要になる。


 ところが、ここでもう一つ問題がある。
社会に選択肢をたくさん用意すれば、それだけで豊かな社会にはならない。

なぜなら、
選択肢が存在することと、その人に選択肢が見えていることは違うからだ。 

10本の道があっても、2本しか見えていない人にとっては、選択肢は実質2本しかない。
だから、社会の側にも役割がある。

 存在する選択肢を、ちゃんと見えるようにすること。
教育でも、行政でも、企業でも、情報でもいい。
「こんな道もありますよ」 「こういう生き方もできますよ」 「ここにも入口がありますよ」
と見せる。

見る側にも能力が必要だ。

 目の前に新しい選択肢が現れたとき、
「自分には関係ない」
と素通りするのではなく、
「あれ? こんな道もあるのか?」
と気づく。
そして、その選択肢が自分にとってどんな意味を持つのかを評価する。

 コストはいくらか。 リターンは何か。 リスクは何か。 今の満足を少し我慢してでも、将来の満足を取りに行く価値があるのか。 そもそも自分は何を幸せだと思っているのか。


 ここで、僕がずっと考えてきた**「六つのコツ」**が全部つながってくる。

 六つのコツは、人生訓を六個並べたものではない。

 選択肢を発見し、評価し、選び、行動するための道具だ。 

自分から世界を見る。
今いる場所と行きたい場所の差を見る。

 アリの目で細部を見ながら、タカの目で全体を見る。

 演繹と帰納を行ったり来たりする。

 まだ経験していない未来へ「羽の生えた想像力」を飛ばしてみる。

 そして、実際に選んでやってみた結果を、単なる「成功」「失敗」で終わらせず、次の選択に使う。 


すると面白いことが起きる。 

選ぶ
↓ 

やってみる
↓ 

経験が増える
↓ 

世界の解像度が上がる
↓ 

今まで見えなかった選択肢が見える
↓ 

また選べる 


 選択することで、次の選択肢が増えていく。

だから僕が考える豊かな社会は、
選択肢が多い社会
だけではない。
選択肢を増やす社会。
選択肢を見えるようにする社会。
そして、一人ひとりがそれを見つけ、評価し、自分で選べる社会。
この三つが必要なんだと思う。

 だから教育も、単に「正しい答え」を覚えさせることでは足りない。
世界には、自分が知っている以上の道がある。
それに気づき、
「他にもあるんじゃないか?」
と探し、
見つけたものを比較し、
自分の価値基準で評価し、
自分で選び、
やってみて、
違ったらまた考える。
その力を身につけること。 


 僕が「六つのコツ」でやりたいのは、これなんだ。
そして僕が作りたい「豊かな社会」も、結局はここにつながっている。

豊かさとは、与えられた一つの道を楽に歩けることではない。

たくさんの道があり、
その道が見え、
自分で行き先を選べること。
僕は、そんな社会を作りたい。 


ここまで読んで、

「難しい話だな」

と感じる人もいるかもしれない。

でも、僕はあれを難しい話だとは思っていない。

選択肢が多い方がいい。

でも、選択肢があっても見えなければ選べない。

見えても、違いを比較できなければ選べない。

だから、見つけて、比べて、自分で選べる力が必要になる。

基本的には、それだけの話だ。

Efficient Frontierだとか、リスクとリターンだとか、難しそうな言葉を外してしまえば、ごく普通の話だと思う。

もし、これくらいの話まで「難しくてよくわからない」と感じる人が少なくないのであれば、僕はそこにも教育の課題があると思っている。


選択肢が目の前にあるのに、自分には無理だと諦めてしまう。

これくらいのことを、自分の頭で考えて理解できるようにするところまでが教育なのではないか。


知識をたくさん覚えることだけが教育ではない。

話を分解する。

違いを見つける。

比べる。

つなげる。

「つまり、こういうことか」と自分で理解する。

そういう力を身につけることも教育だ。

そして、僕がやりたい教育は、まさにそこにある。

どんな年齢、立場、職業の人にも役に立つ知恵だ。