聖書に記録されている懲らしめのむち棒とは、

愚かさを矯正する必要があることと、
そしてその為に利用可能な手段を、
当時のいちばん学の低い暮らしをしていた人々でも理解できるように表現したものです。

(聖書の神は、何かの組織に属しているいないに関わらず純粋な気持ちで神様を知りたいと願う人のためにみ言葉を著し、それを理解するための助けを与えてくださいます)

(学の低さは魂のレベル[※要後述]とは関係ありません。更に言うと現世においての社会的立場と魂のレベルもまだ今のところは一部を除いて関係ありません。それはとある時点以降に整えられます)

そこから数千年、時代と人々の意識が進んだ現代においてはいかがでしょうか。

生まれ持っての愚かさゆえに犯した悪を正す為に    
実際に肉体に痛みの伴う文字通り叩かれることやその他精神的な面を含む“苦痛”が必要なのか、
体の痛みを伴う苦痛を甘受しなくとも何かの罰や模擬体験によって理解できるのか、
言葉により言って聞かせるだけで自分を変化させる必要を理解し、同じ過ちを犯さないように注意を払えるようになるのか、

矯正を受ける者がどのような魂のレベルにいるのかによって、本来なら異なるわけです。

それなのに、管理する立場にいる者がそれを見分けることができず、
誰も彼にもムチが必要で、こと細かな規則に従わない者にも痛みを伴う暴力が必要であると、
そのような考えを強制的に親たちに行わせたとしたら?

神のお考えではなく自分達に従わないという理由で信者を排除していたら?



その結果は、愚かな者若しくは💩の犠牲者となる子どもが増えるわけです。

愚かな者でも神のお考えをその立場上で必要な程度に理解できるようになるまでは、失敗(?)を何度も重ねることがゆるされていたので、
そのあいだには公正ではない作用を受け止める“犠牲者”が出てしまうことでしょう。

更に更に言うと、み言葉の原則をまずいちばん初めに当てはめなければならないのは、それを教えるもの達なので、いちばんはじめに正しく理解する必要がある教える立場にいる者が何も理解していない事があの組織の中では露呈してしまいました。

このように本質的に聖書が求めていることと、実際に行われている所業の直接的な責任はエホバご自身ではありませんが、

💩は言葉のロジックを用いてかの方の責任だと思わせかの方への反感を募るように、(特に2世達へ)仕向けてきました。(※要後述)

あきの介の記憶によると、当時の出版物の中には、
確かに鞭を推奨したものが多くありましたが、同時に親は子どもをよく観察してお尻を叩くべきかどうかを慎重に判断するように勧める文章も存在しています。他の罰も選択肢にあると。

そしてあきの介の親はその通りにしていると思う時もあれば、正しく判断できておらずこのムチは不当と思ったこともそれ以上に多くありました。ただ幼いゆえにそれを伝えることが出来ず、子は従順が求められていたので、親の言う通りにされるまましかありませんでした。
ただ現し方は歪でしたが、その親の背後にある思いは受け入れられるものです。

あの組織の中で管理を任された者も、
そこから指示を受けた者も、
自分達の教えと実践してきたこととそれから生じる結果がどのようになるかによって、
実のところは誰の考えを反映しているのか、
愛の神の範疇にあるものなのかどうか、示すことになるのです。



『自分達は教える立場にいる』『信者を裁く権利を与えられている』と公的に述べているのであれば、

神の意図をそのご意志をより正確に、伝える責任があり、

これまでどのように何の為に誰の為にみ言葉を教えてきたのか、
全てを精査される方によってくまなく調べられており、いずれ彼らはその報いを受けます。


更に、もしも教える側が聖書を正しく捉えていたとしても、
聴く側(この場合は親の立場)が正確に消化出来なければ、その歪みの犠牲者は子ども達となります。
そして子どもの立場にいた者も、神の愛と親の愛と本質的な聖書の知恵を理解することを蔑んでいれば、

もしかしたら懲らしめがあったからこそ今の自分があること、それが無ければもっと愚かな人生になっていたかもしれない

それらを見逃し、かの方を侮る一面を孕んでいます。


タイトルの事案について、
一括りに語る事は出来ないしとてもセンシティブな事と重く承知して、
この記事を書きました。



LGBTQの

多くは後天的に育った環境や自分の体験によって自分の性が歪んでしまった人ですが、

(←この表現は件の方々を不快にさせることは承知していますが、人を地球に住まわせ男と女をそれぞれの目的と喜びの為に創造された方の本来の意図からは“ずれている”という意味になります)


様々意味で傷ついていたり、

自分の意に反して体験させられた事のせいでそうならざるを得なかったり、

環境ゆえ知らず知らずにそうなってしまった人もいて、その殆どは、

誰のせいか、

と議論することは本人がそれを望まない限りは

無意味で無駄な事に思えます。

(異星人の遺伝子を大なり小なり持っている可能性が高い、という基本的な理由もあります)



それでも自分の性をどう捉えるのか、

その歪みと向き合って元に戻そうとするのか温存するのかは、

抱える本人に多くがのし掛かり、依存しています。


ニュースになるジェンダー問題は、一般の人でもそれに目を向ける必要がある事を知らせ、

そんな彼らの居場所を確保しようとする動きなのでしょう。



あきの介は個人的にですが、

特にエホバから離れていた時には性については個人の自由だし、

TやQなどは、生まれながらそうで有れば最早エホバがそうされたと思えて、そういう人が地球に現れたのなら尚更差別意識は無くして受け入れて行かなければならないと思っていたほうでした。


そののち割と最近になって、いわゆる天界に於いても地上の企業などで行われるような組織化や事務作業的な仕事が、

天的な霊的な存在によって、それも個々に個性があり自由意識を持って行われている事を知り、

人間から見た天にいる存在であっても、完全ではないどころか、罪を犯し陰謀を働いている事を理解してから、少し見方が変わりました。

(というか一周回って元に戻った、というのでしょうか)


彼らはの中には、

自分達の覇権を地球に確保する為に、人間に自分達(異星人)の遺伝子を組み込む事すらしていました。


件の方々は人間として生きてるのに、

その性の歪みが強い欲望になって自分以外の対象に向かってしまった時に、

それをコントロールせずに自由を行使しようとすると、社会に恐怖を生じさせることになったり、別な問題や不幸が生まれる原因になる事も事実です。


そこには多くの複雑なことが含まれているとは言え、


何故そこまで自分の欲に固執するのか、人を犠牲にして自分の欲望を満たすことに自分の人生を費やすのか、

利己的な欲求に意固地になるよりも、


向き合って本来に戻るようにしたほうが、


心とメンタルを整える事が爽やかさと健全さに繋がりそれは、創造主が本来の目的として造られた男と女、そして人間として真の幸福に繋がります。


LGBTQのTは前世の生き方や行いに基づいて諸事情により魂と体の性が一致せずに生まれてしまった人


そしてQは恐らく、これまでに人間として産まれたことの無い異星✨由来の魂だったり、前世では家畜やペットとして早いうちの去勢手術により性を自覚しないまま暮らしたのち、

人に生まれて来た魂が含まれているのかもしれません。


ソドムとゴモラは、明らかに異星人達が地に住み着いて作った町ですが、

彼らは神の像として造られた人間の身体を用いて、自分達の欲望を満たす為に地球に住むことは許されませんでした。

(地球ではなく、同じ嗜好同じ種族の者たちで別な星に住むことは許されているのかも知れませんが)



遺伝子混入の問題は、もう今はいない支配層にワクチンによってもたらされてきましたが、

今回のコロナ禍によってその支配層は転覆させられ、

次の覇権を取った支配層が、ワクチンによって?変化させようとしているようです。

(ワクチンには種類が幾つかあるようですが)




LGBTQ意識の人ではなくても、

誰にでも重くのし掛かる別な問題や

向き合って整える必要のある事を抱えている点では、

それほど違わないのかもしれません。



ダニエル書8章に出てくる雄ヤギの角は、強くなり甚だしく高慢になった時に、8節によると天の四方に向かい、天の軍や星を地に落とした、と書かれているので、各預言の最終部分の成就は、天(宇宙や霊的な世界)で起こる事が表されているようです。


天の存在達の組織の攻防は、地上の組織に反映されたものになるので、大企業や国のトップが今次々に交代していることに表れていると言えますが、地上にある組織や企業は今は国をまたがって存在していますし実質的に管轄しているのはもっと高いレベルの存在ですので地上の彼らもただのアイコンに過ぎません。。


なので預言の成就が、例えばBC 537年(だったかな?)バビロン捕囚からイスラエル人を解放したのがメディアの王キュロスであるとか、

1世紀にメシアとして現れたのはイエスキリストであるとか、

その後のエルサレムを崩壊させた『荒廃をもたらす嫌悪すべきもの』がローマ軍である、

という風に特定のものや人物に当てはまったようにはいかず、

聖書預言最終部分においては、

その成就の対象としてどこかの国や組織を特定するのは難しいのかもしれないし、まして地上の特定の人間に当てはまると考えるのは、あまり論理的では無いように思います。

(ただ、報道されるニュースにおいては、世界情勢の進み具合を判別するために例えば北の王は〇〇だろう、的に捉える事が出来るように仕立てられているように見受けられます)



恐らくこの時点(ダニエル8章〜)で地球は雄羊を倒した雄ヤギに掌握されています。そしてその覇権を宇宙に広めるために勇んで手を伸ばしているはずです。


その雄ヤギの高ぶりはエホバの御座のあるシオンにまで手を出して、それは一時的に成功します。





ダニエル11:14とイザヤ5:19では、幻を自らの力で実現させようとする(強盗のような)者、聖なる方の計り事をその方に逆らって早めようとする者がいる事が記録されています。

そのせいでしょうか、これまでにも平和宣言であったり某国が強さを誇示してそれが聖書の言及している勢力であるなどの揶揄がなされたりしましたが、それも


(ものみの塔はその始まりは“聖書研究者”であるゆえに、そしてエホバご自身もその名を置く民としての“エホバの証人”達のために、ご自分の意志とお考えを複数の特定の人物を用いて伝達して来られたでしょうし、その情報は出版される物や集会を通して教える内容の基礎となって、今に至るまで利用されていることでしょう)


彼らが“終わりの日のしるし”基づいて長きに渡って提示して、

それは実際に聖書に記録されている事なので、間違いではないし、天で起こる事は地上でも反映されるので、広い意味では実際に起こっていたことでしょう。

でも真実の預言の成就は、当然の事ながらエホバのタイミングと手段によりますので、


エホバ神ご自身は、組織としての彼らからはとっくに離れておられるので、(その理由はまた別に記載する予定です)

預言を成就させるご自身の本当の時や手段を彼らが理解出来る事は決してありません。


これまでに築いた立場ゆえに利用できる様々なテクノロジー若しくは呪術を駆使して、世界に散らばった神の預言者に与えられる情報を盗み、


それがさも成就しているかのように、世界の事象を操作したり、

地の王達に対して、聖書に記録されている過去の英雄たちのようになる事を唆して、世界の支配層を自分達の思うままに動かしてきたかもしれません。



そのように彼らは地の王達に対して自分達がさも特別なところから情報を得ているように見せているかもしれませんが、

それは彼らの“上に乗っかって”酔いどれていたいからなのでしょう。


個人レベルにおいては

“エホバの証人”だと自覚してその中で、崇拝のために集まったり教える業に参加したりする人で心からエホバへの信仰を基礎としてなすべきことに携わっている方々も現時点でも沢山いらっしゃると感じています。もちろん不純な動機の人も本人自身ももうわからずにただ惰性でそこにいる人もいるかとも思います。



“地の王達”とは現代においては特定の国というよりは、もっと高いレベルの領域から地に影響を及ぼしている存在で、

ダニエル8:9の雄ヤギが向かう“飾りの所”の欄外参照には、美しいところと書かれており、分脈や聖書の他の場所からするとそれはシオンを表していると考えることが妥当です。


地球表層ではない宇宙領域に存在している者たちには、シオンが何を表しているかはきっとすぐに理解出来ることでしょう。


そして宇宙の最高主権者の座がある美しい場所であるシオンが、今そこがどのような状態に置かれているのかも。



上記を踏まえて、今地上に現れている状態と照らし合わせて見ると、

ハルマゲドンが現時点では何故来ていないのか、

預言の成就の進捗状況を大まかに捉えることができるでしょう。



高度な知的生命体と相対した事のある人の話によると、彼らの強い種族の者たちは、周囲に存在している者たちを動かないようにしたり、行動を操ったりすることができるそうです。そこにいた人は自分の意志に反して瞬時に何も身動きが取れなくなってしまったと書いていました。

もしもそんな生命体が集団で地球に降り立てば、人類を自分たちの思いのままに操って奴隷か召使いのように働かせたり、聞き従わない人間を瞬時に消すことも簡単にできるでしょう。

(聖書の中にもそのように強い“み使い”の記録があります)

それでも基本的に彼らに与えられたのは宇宙領域で存在することで、、



地球は、特にエホバの像を表す者として造られた人間のために用意されました。

そして誰しもが自ら進んでエホバご自身とその目的を理解して宇宙と地球の平和と各自の本当の意味での幸せを手に入れる事が出来るようになることを願っておられるので、

そのような強い知的生命体のやり方で完全に地球を支配することは許して来られませんでした。


エホバは進んで人間の至らなさをずっと辛抱して来られましたが、ご自身の高い基準を曲げる事は決してされません。もしもそれを曲げられたなら、宇宙の平和と調和は乱されたままであり、悪や不幸は絶対に無くならならず、希望は何もない事を意味します。


今は反逆者たちの存在とその活動を許しておられるので、世界は混乱していて人間は誰しもその影響受けたり自分の選択によって、苦しく辛い人生があります。


でもそんな中でも、何故混乱して不幸なのか、世界が平和と調和の取れた状態になるため、皆で幸せになるためにどうすれば良いのかを、心から知りたいと願う人にはそれが見つけられるように、情報は隠されていませんし、自分は弱いと思う人であっても心から望むのであれば試練をくぐり抜けられるサポートも用意してくださっています。


それを受けたいと思うのであれば、心からそう願っていることを各自が自覚して表明して掴み取るように行動する必要があります。


掴み取る。という意味には、他のどのような道であってもそうであるように、

謙遜な態度で求めることも含まれますが、それは当然なことです。




今の世界は、何もかもが溢れるほど豊かにあり物質的なものだけではなく、精神世界においてもジャンクフード的なものから深淵なものまで多種多様な情報に溢れているので、

簡単に自分を満足させてしまうものを見つける事も簡単なのかもしれません。


でもそれ故に、いちばん大切なものが何なのかを見極めるのがとても難しく、真理とその神エホバを探求することをせずにも満足できるようになってしまいます。


あきの介はそれこそが“ポスト悪魔サタン”の目指すところ、悪魔サタン自身の“お仕事”なんだろうなと思っています。



聖書では、

『賢くあるように、

理解を求めるように、

臆病にならないように』

勧められていてそのための助けも用意されています。


エホバの証人は“組織化”されることで、その規模と活動範囲の意味においては文字通りに世界中に音信を届けてきたと言えるかもしれませんし、そうなるためには深い知恵が無ければ達成することは出来なかったでしょう。


(それだけではなく、聖書の音信やそこに集う人々に引き寄せられた人の中には、

家族に恵まれず自分の居場所のない人に居場所と為すべき勤めを提供し、

自分の育った家庭環境が不安定だったために、

子育てや夫婦のあり方、人間関係の良いモデルを知らずに悩む人が、良い視点に気付けるよう促して来ました。

更にただの主婦だったり、何の特技も無く引っ込み思案な人でも、集会に集って参加するだけで論理的に考え、人前で自分の意見をはっきり語る事が出来るようにトレーニングされます。

そしてそれはすべて無償で行われるプログラムでした。

自分が受けて来たそれらをゴミのように感じて人前で吊るし上げるのか、感謝して受け止めプラスになるよう適用するかどうかは本人次第ですが)


なので、知ろうとしたけど見つからなかったと言える人はいないようになるか、もしかしたらもういなくて、

これからは各自が自分はどうするのかどうしたいのかを自覚してそれを表すための時間と言えるのかもしれません。


エホバの名を掲げる組織の、行ってきた方法のすべてが、本来のエホバの特質を反映していたとは言えないのは事実で、

それゆえに傷を受けたことも事実かもしれません。



エホバは心をご覧になるので、特に2世達のそのような潜在的な不満をご覧になって、それを達成したり、失ってきたと思ったものを取り戻し傷を癒して自分を回復させるための時間も与えられたことでしょう。


(それを別な誰かのせい何かのせいと、感じるのもまたひとりひとり違うことでしょう)



jw経験者ではなくエホバを直に知らずに育った人たちにも、2世よりも酷い仕打ちをする毒親に育てられたり、超過酷な人生を強いられてきた人も沢山いて、でもその人たちすべてが一般的な意味での神を呪っているかと言うとそうでもないように見受けられます。


エホバは宇宙最強の神でありながら、縁の下の力持ち、若しくは最奥の陰の功労者として誰も認知出来ないレベルで世界を支えて来られその恩恵は、

神の民との自意識を持つ者からは『諸国民(世の人)』と呼ばれる人たちにも及んでいます。(使徒14:16,17)


エホバを知りながら離れた人は、彼らの持つ恩恵がどこか別のところから来てると勘違いして、神の組織にいて苦しかったから逃げてそこに行けば安心だと思っているようですが、


寛大で心の広いエホバの呼びかけは、諸国民にも行き渡り、彼らが理解したいと思う時にエホバの働きを知るための恩恵なので、


今外の世界へ出てそれに預かって安心しているとしてもそれは“エホバから盗んでいる”だけに過ぎません。


[ヘブライ4:13 そして,[神]の​み前​に​明らか​で​ない​創造​物​は​一つ​も​なく,すべて​の​もの​は​その​目​に​裸​で,あらわ​に​され​て​おり,この​方​に​対し​て​わたしたち​は​言い開き​を​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。 10:26 というのは,真理​の​正確​な​知識​を​受け​た​後,故意​に​罪​を​習わし​に​する​なら,罪​の​ため​の​犠牲​は​もはや​何​も​残さ​れ​て​おら​ず,27 むしろ,裁き​に​対する​ある​種​の​恐ろしい​予期​と,逆らう​者​たち​を​焼き尽くそ​う​と​する​火​の​よう​な​ねたみ​と​が​ある​から​です]


余談ですが、最近破壊されたジョージアガイドストーンには、高次存在達の目標は地球の人口を5億人まで減らすことだと記録されていました。

最高主権者のエホバは彼らに応えなかった時間が長かったので、力の強い高次存在たちは、地球を汚染させずに、自分たちで人間を管理して収めるにはそれくらいに減らす必要性を感じていたからだと思うと、


それが壊された今でも人として身を引き締める必要があると感じてしまいます。

そしてそれにまつわるここには書けない背景を考える時に、畏怖の念を感じざるをえません。



地球がエホバの栄光を受ける日は必ず来るので、

それまでわたしたち人間は(立場や知っている事の内容と深さに応じて)自分がどちらの側に立っているのかを日々の考えと生き方で表してる事になりますし、


毎日目の前に現れる情報や環境は、

様々な方法で精錬されるための、そして現在進行形で試すためのツールだと言えると思います。


コロナ禍はそのためのフェーズがより進んだ段階と言えます。

自分の置かれている環境をどう捉えてどう対処するのか、

神の組織の中にいても外にいても、

誰の何の指示に、何のために従うのか、


各自が心で考えて行動しなければなりませんし、

誰かともしも同じような環境下にあったとしても、それまでの経験や持ってる情報が個々に違うために行うべきことや辿り着くこたえは違うと言えるでしょう。


誰かと同じことをしていれば良い、というわけにはいきません。

自分のことは各自で判断して決めなければなりません。


親のせい組織のせい、そのように語る動機も純粋なものかそうでないのかもすべて調べられています。


組織の中にいて、敬虔な専心の言葉を皆の前で語っているとしてもその本心にあるものは既に知られています。


エホバはこれまでずっと、エホバの名のもとに集う者たちにすべてのものの与え主として、彼らがどれだけ理解せず不満を述べても様々な“良いもの”を用意して来られました。イスラエル人はエホバからの導きと畏怖を起こさせる奇跡を目の当たりにしながら、その保護が無ければ生き抜く事は不可能だったのに、『〇〇にはウンザリした』とエホバが彼らのために備えられたものに対して不満や批判を述べました。それでもずっと辛抱され寛大に与え続けて来られました。


今、わたしたちの生きている時代もその時と同じことが起きていますが、“支配層”にいるものたちは一般市民が、神の行う下支えの一部を認識出来ないように操作しているので、その点については彼ら自身が返報を身に受けますが、わたしたちも個人としての生き方には十分に考慮を払う必要があります。



[ペテロ二3:9エホバ​は​ご自分​の​約束​に​関し,ある​人々​が​遅さ​に​つい​て​考える​よう​な​意味​で​遅い​の​で​は​あり​ませ​ん。むしろ,ひとり​も​滅ぼさ​れる​こと​なく,すべて​の​者​が​悔い改め​に​至る​こと​を​望ま​れる​の​で,あなた方​に​対し​て​辛抱​し​て​おら​れる​の​です。10 しかし,エホバ​の​日​は​盗人​の​よう​に​来​ます。その​とき​天​は​鋭い​音​と​とも​に​過ぎ去り,諸​要素​は​極度​に​熱し​て​溶解​し,地​と​その​中​の​業​と​は​あらわ​に​される​でしょ​う]


なので、世界がどれだけ平和に見えても、又は世界中が戦争をしていても、(そう見えるように何者かが“操作”していても)


エジプトの王ファラオの心を頑なにしてイスラエルを解放させたように、異国の王キュロスを用いてご自身の民を集めて高められた崇拝を回復させたように、誰かが時と法をどれだけ変えようとしても、ご自身の予定されてる時に約束されていることを必ず行われます。



自分の罪が何故許されたのかを考えて感謝の気持ちに満たされながらも、

すぐに忘れてしまう気の短いあきの介は、長引く平常とは違う社会などを見て、つい『まだですか?』と思ってしまうのですが、、、



聖書を見てみると、人を選り分けること以外にもまだ起きなければならないことがいくつかあるように思えます。。。






↑↑の続きです。啓示の書に登場する大いなるバビロンの描写と、ダニエル書に登場するものの描写に共通するところが多く見られます。ダニエル書の預言の一部は一度成就しましたが、まだ成就していないように思うところもあり、啓示の書で預言されてる出来事と重なる情報があり、その特徴を比べて見えてくるものがありますのでそれをピックアップしてみました。


◆ おもにダニエル書7章〜12章

この複数章の中では、四つの野獣と三本の角と高慢な口を持つ大きな角、荒廃をもたらすものについての記述

一連のほぼ同じ期間のほぼ同じような出来事を、

前後の詳細な出来事を付け加えながら繰り返しています。()


◉3つの角が無くなったあとに、人の目と高慢な口を持つ大角が出る[7:8,20]

→古代ペルシャ、古代ギリシャ、黙示録の大いなるバビロンに共通している


◉3つの獣が興ったのち、四番目に登場するのは恐しく際立って強い野獣で全地を踏みにじり打ち砕く[7:19,23]


◉[7:7]四番目の恐しく強い獣に10本の角

◉[啓示17:12]黙示録の10本の角は、王国を受ける前の10人の王で7つ頭を持つ獣から出る


◉大角(おおつの)は、天の至高者に逆らい、3人(3本の角)の王を辱めたり、聖なる者達(至高者[エホバ]神に仕える者)を迫害する[ダニ7:24,25][啓示13:1,6,7]


◉大仰な口を持つ大角は、時と法を変えようとする

(「時と法」の参照聖句ルカ21:24.マタ24:14]

 

◉大いなる都市は3つに裂けた後神は、大いなるバビロンを裁き、それは倒れた[啓示16:19]


◉[ダニ8:4-12]世界征服をしようとしていた雄羊を倒した雄ヤギから4本の角が出てそのうちの1本が大きくなり、

天界の四方へ進み、

天軍と星を地に落とし踏みにじり、

天軍の君たる者に対しても高ぶり、

その方の聖なる場所と日ごとの犠牲を取り去った

(“違反のため”常供のものが徐々に引き渡され真理は地に投げつけられる)


◉[8:17,1926]ダニエルが見た幻は終わりの時のもの

◉[8:23,-25]違反が極みに進む時、顔つきが獰猛であいまいな言い回しをよく理解する者が、ずる賢く効果的に事を行い、聖なる者達をも滅ぼす

洞察力による欺き事が成功を収め、至高者(長の長たる者)に対しても大いに高ぶるが、

人手によらず砕かれる



◉ダニエルが幻を見たのは、古代エルサレムが荒廃させられて生き残りがバビロン捕囚にあっている時、“違反の為”にエルサレムが滅んだ事を自覚する


[9:24-27]都市エルサレムと聖なる場所は、やってくる指導者により滅ぼされ、終わりは洪水による 荒廃をもたらす者(四番目の獣、大仰な口を持つ大角)は嫌悪すべきもの極めて不快なものの上にいる 週の半ばに犠牲と供え物は除かれる


◉[啓示17:3-6]

『神を冒とくする名を持つ野獣に座り、不快なものと汚れたもので満ちた杯を持っている大いなるバビロン、嫌悪すべきものの母。その女は聖なる者達の血に酔っている(彼らは女に殺されている)』


◉[啓示13:1-7]

7つの頭と10本の角を持つ野獣は、

神を冒とくする名を持ち大いなる事を語る口が与えられ、

神の名と住まい(聖なる場所)と天に住む者を冒涜した

聖なる者を征服し、あらゆる部族と国民と言語に対する権威が与えられた