長年、新日本キックボクシング協会のミドル級&ヘビー級王者として重量級を牽引してきた男、『目黒の破壊王』松本哉朗(藤本)が引退する。
常に相手を倒しにいくスタイルで、会場を沸かせてきた男。
日曜日に自身が所属する藤本ジム主催興行で引退式を控える松本哉朗選手にインタビューしました。
1.長年、協会を牽引してきた松本選手。13日の後楽園大会で引退式となりました。引退式直前の現在の心境はいかがですか?
→(以下、松本選手)
15年、63戦やって完全燃焼しました。大きな怪我もなく、40歳まで現役を続けられましたからね。悔いは全く無いです。
2.松本選手は日本ミドル級&日本ヘビー級王者を獲得しましたが、ミドル級とヘビー級のそれぞれで思い出に残っている一戦を挙げて下さい。また理由もお願いします。
→ミドル級の試合では、2002年に協会が初めて他団体に出場した極真会館主催の「一撃」でのギャリーオニール戦が思い出深いです。当時、極真のスターだったギャリー選手と試合をするとは思ってもいなかった事と、協会が初の他団体に出場という事でチャンピオンになったばかりの私が選ばれプレッシャーが凄かった思い出があります。結果はKO勝ち。最高でした。
他はミドル級では6回防衛しましたが、全ての試合が思い出になっています。やはりタイトルマッチは別物ですね。
ヘビー級に転向してからは、他団体に出場する機会が多くレベルスでの試合は思い出深いです。良い舞台で試合をさせて頂きました。あとは天田選手にKO負けしておまけに拳を骨折...散々な目に遭いましたが、4年後にリベンジ出来たのは嬉しかったですね。判定でしたが(笑)
3.松本選手が今回引退を決意したのはどんな理由からですか?
→体はまだまだ元気ですが、モチベーションが無くなったのが一番の理由です。ヘビー級に転向したので仕方がないですが、得意の肘有りの試合が出来る機会が激減し、相手もなかなか見つからない時が続きました。
肘無しの試合で勝っても嬉しいが何か物足りない..
そんな時に40歳の節目となり、地元である大田区での試合を最後にしようと決意しNo kick No Lifeに挑みました。
ジムの先輩でもあり主催者の小野寺さんには最後に肘有りの試合を用意して頂き本当に感謝しています。
4.では松本選手が藤本ジムに入門した当時の思い出は?
→運動不足解消の目的で入門したのに、新妻さんは雄叫びを上げながら練習しているし、鴇さんの見た目はどう見ても怖いし、恐ろしい所に入ったなって思いました(笑)
5.現役生活で一番嬉しかった事は何ですか?
→やはり沢山の人達が応援してくれた事と色々な方と知り合えた事です。
6.藤本ジムの後輩達にメッセージを。(あまり緑川選手をイジらないように 笑)
→現役を止めてからジムにミットを持ちに行く時もあるのですが、緑川は本当に練習します。ムカつくので認めたくないですが(笑)
石井達也も内田も風格が出てきていますし、その先輩達の背中を見て勝次や古岡、これからチャンピオンになるであろう松岡達は練習に励んで欲しいですね。名門目黒ジムの名前を伝え続けて欲しいです。
7.長年お世話になった藤本ジム 藤本会長へ。
→入門当初から今の会社で働きながら選手を続けてきましたが、仕事に関して理解して頂いたお陰で両立しながら選手を全う出来ました。本当に感謝しています。
8.では最後に後楽園大会にお越しになる方々へ一言。
→15年間応援ありがとうございました。これからはキックボクシングという素晴らしい競技を普及させる為にもキック界に恩返ししていきたいとおもいます。
名門 目黒藤本ジムの王者の系譜は後輩達に受け継がれていくことでしょう。
『目黒の破壊王』名王者 松本哉朗選手の引退式は13日 後楽園大会。
皆様のお越しをお待ちしています。
(新日本キックボクシング協会広報部)