我々1943/44年生まれは、敗走急な戦時中に生を受けた。そのため同胞の多くの幼い命が、何もわからないうちに戦禍に失われていった。広島、長崎で原爆に会い、一瞬で黒焦げになった幼い命の写真は、自分だったかもしれないと思う。都市部に住んでいた私は、焼け野原の町が遊び場だったが、小学校に上る頃も、写生会で行った名古屋の大江の工場地帯には焼けた鉄骨がむき出しの工場跡があちこちに残っていた。また、田んぼや畑にもバクダン池という水たまりがあちこちに残っていて、子供がおぼれる事故も時々見られた。
しかし焼け野原と化した国土も、朝鮮戦争特需が日本の工業力を急速に回復させ、日本人は一億総エコノミックアニマルと化し戦禍焦土を15年で復興させる偉業を成し遂げた。この余りの急激な復興は各地に公害という副作用も生んでしまったけれど、これも世界一の勤勉労働者が早急に改善、克服していった。そして達成したのが世界2位の工業力と国富。そんなゼロからの急成長を身をもって見、体験してきたのが我々の世代だ。
右肩上がりという言葉は誰が作ったのだろう。我々の世代は就職に困ることはなく、毎年大幅な昇給は当たり前だった。国際競争力は急速に拡大し、米国に追いつき追い越すのも目前の感じだった。そんな頃、ローマ宣言は初めて我々に成長には限界のあることを教えた。そして襲ったオイルショック経済危機も、総力で克服し経済基盤は多少の変動でもビクともしない盤石な耐力を付けた。そして国民もその恩恵を受け、一億総中流社会を実現させることができた。
しかしその後の80年代、日本は狭い国土を担保にカネ狂いを始めてしまった。そんなバブルがはじけ日本は経済成長のない長い不況に落ち込み、正気に戻ってみると日本は経済成長力を失い、60-70年代に積み上げた国富をすべて失ってしまった。その間、欧米各国は倍増の経済富を取り戻していた。そのうえ国民を幸せにするはずの、政治体制つくりにも失敗していることが分かった。国民の幸せな生活取得は自己責任、国を守るのは他国依存、主要な食料品は輸入依存。日本人の生活の基本、衣食住の最低生産力も当てにならない社会を作ってしまっていた。
妻の一言が、友人の一言が、自分の軽はずみな一言が、国の形をゆがめ、自分を支持する人々に国税を使って花見盛りを催すことも良しとする一国の首相。そしてそれを知りながらその不正を追及しない大手メディアと官憲。日本人はいつから権力とカネさえ手に入れれば大きな国家不正は野放しにしてもよい国になってしまったのか。
欧州では民主主義が大戦後しっかりと人々の間に根付き、制度も確立された。争いを生むかもしれない国境は域内36か国で取り払われ、域内住民の就職、移動は自由になった。
その間、日本の国際競争力は80年代の一位から現在34位に下落したと、信じたくない結果を生んでしまった。国民の生活も各種国際指標もどんどんレベルを下げているが、政治は一向に成果の見える解決策を見出さないでいる。結果が見えれば原因をつかむのはそれほどむつかしくはないはずだが、それも放置してしまう政治家たちと政治制度。
国を再興させた人々に、老後は自己責任を求めるばかりの政治は、国民への背信でしかないことを政治家はわかっているのだろうか。これでは日本は80年前の終戦直前直後の政治状況から全く成長していないことになる。