日本の基準   

 

突然オリンピック開催5ヶ月ばかりとなった時期に、日本オリンピック組織委員会会長の“女性の話は長い”と言う軽いいつもの女性を茶化す一言が、女性差別だ、という批判の的になり、会長職を辞任するところまで追い込まれたことに、驚愕している。

“女性は子供を生む機械”とか“子供を産まない女性が年金を受けるのは問題”とか“女性は平気でうそがつける”などともっと大変な発言をした時は、ほとんど発言者は責任を取らず、ないに等しい反応だったのに、世の中は何が突然変わったのだろうか。#Me too運動があったときも、Gretaが環境ストライキを始めた時も、世界の先進国と比べ日本国内の行動は鈍かったのに、今回の#モリロウガイともいえそうな、動きは何かが変わったのだろうか。

スウェーデンでは女性の呼び方に“美人の”という修飾表現を使うのはブラックな世界だけだ。日本では一般的な出版物でも平気で女性差別修飾の“美人の”と書く。それに対して女性から改まった抗議は聞いたことがない。気分のよい差別語はよし、と言うことだろうか。

評論家がTVで“今は世の中が変わる節目にある”のだという。権力を持つ居座り老人たちが、古い時代のままの価値観でその時代変化に気づかず、時々批判を受ける。しかしそれは時代遅れの老人だけの責任だろうか?

日本文化の根底には女性を差別してきた意識と制度が、厳として今日も生きている。幼い時よりしつけ教育としてそれは受け継がれていて、それを見逃して古い価値に生きる老人だけを攻撃するのは正しくない。

今、会長の女性差別で騒いでいる人々は、本気で日本式根回しに基づく社会の動かし方を、北欧の氷のように透き通った、平等公平な姿に根底から変える勇気を持って言っているのだろうか。その覚悟なしではこの動きも結局は今までのように、時とともに元に戻って、ハイそれまで、と言うことになると思う。

例えばあなたは、結婚に際して、女性の姓名を残すことに賛成しますか? あなたは隔日に夕食つくりが出来ますか? あなたは自分の衣服を洗濯、アイロンかけをしますか? あなたは赤ちゃんのオシメの交換をしますか? あなたは育児休暇を取れますか? 共働きですか?

今はIOCと言う外圧があったから騒いでいるだけで、差別を生む根本をなくすためには、本気で日本人の古い意識と制度の改革が必要だ。