スウェーデン人は世界一合理性を好む人種だと思う。官公庁窓口では、全ての国民に与えられているマイナンバーが名前より優先される。現金より取り扱いも簡単で経費も安いカードでの買い物が90%を越える。最小の貨幣単位は四捨五入するので50 Öre貨幣が存在しない。町の景観を統一するため建物に勝手な色彩を使用することを禁止する。スウェーデン人はこれらを正しくおこなう。
量産の規模が異なるが、日本の自動車工場の作業員は、機械のように作業をマニュアル化されそれを間違いなく行うことを求められる。一方、米国の飛行機製造工場では作業員がコーヒーカップ片手に、自動車工場作業員よりのんびりと仕事をしているように見えるという。流れ作業の工場では、生産性を高めるために作業手順を標準化し、さらに日々改善を加え生産コストを下げる努力をし、競争に備える。 日本の社会を見ていると、決められたことを間違わずに行うことは正しいとして、往々にして世界標準とは違うことをする。普通ビジネスをするということは、客の求めるものをつくり、販売し、利益を得てそれを労働者や資本家に配分し次の生産に向かう。ところが日本ではこの30年ほどそのようには経済が回っていないようだ。利益の配分のうち労働者への配分が節約され、世界の労働者はこの間、80%も収入が増えているのに、日本の労働者は10%もマイナスになっている。そのため中間層が貧しくなり国内消費も全く伸びない。そしてそこで節約した金は不時の用意にと、社内にただ貯められているという。コストを下げることは正しいが、これでは日本の経営者はビジネスを正しく行っていないことになる。企業が幾ら売り上げを上げても労働者がその恩恵を受けにくければ社会は不安定になり、かえって社会的経費は増える。企業を支える社員の賃金を抑え次世代を育てもしない指導者はニセモノではないか。政府も最大のスポンサーである経済界にその改善を促す強力な政策は採りにくいようだ。先進国の複数の国では国民全員に一律に最低給付金を支給し自助を促すシステムが試みられたりしている。
いつか仕事で遅くなり、新幹線最終の名古屋行きに乗ったことがある。車両はガラガラで自分が着席したときは一車両に四人ほどが乗っていただけ。駅弁を買っていたので早速広げ夕食を始めると、隣に30代のビジネスマンがやってきた。東京を出ると次は名古屋終点。動き始めるとビジネスマンは隣の席で雑誌を読み始めたので、他があいていますよ、と狭苦しいだろうと声を掛けると、“ここぼくの席ですから”とのこと。広げた弁当をたたんで自分が他の席に移ったけれど、随分と融通の利かない人だな、と思った。この人は決められたことを正しく行って安心をする、典型的な日本人なのだなと思った。政官界を見ても最近の日本人はあまり考えもせず、正しく行動する人であふれているようだ。