1966/67年の冬,ヘルシンキで若い北欧生活を体験していた。
日本で事務計算機の修理を4年近く経験していて、偶然同じ仕事を見つける事ができた。 8時から4時まで週5日、親切な仲間たちと出会い、楽しく仕事ができた。1ヶ月ほどして同じ地区に住んでいる20歳のRauno Makkonenと友達になれた。二人とも英語はタドタドしくやっと意思が通じるくらいだったけれど、時々週末のダンスに誘ってくれ厳冬の中、夜中2時まで開いているダンスホールに行ったりした。時には踊る相手を見つけてくれたりしたけれど、ステージのあでやかな衣装の歌手のショーを見ているだけでも楽しかった。
3ヶ月位たって彼の彼女の姉を紹介されたりしたけれど、クリスマスに南部スウェーデンに住むペンフレンドに初めて出会ったりしていて、深い付き合いにはならなかった。復活祭の休みには彼の故郷へヒッチハイクで旅し、彼の妹たちとスキーをしたり、凍った湖の氷に穴をあけ小魚を釣り上げたり、自家サウナ浴を楽しんだり、北欧の若者の生活をいろいろ体験させてくれた。
68年、スウェーデンで同棲していた彼女が子供を身ごもり、北欧の生活を切り上げ日本に戻った。そして74年、スウェーデンに移住した2年目の冬、日本に帰る医師から中古VOLVOを入手し、VASAに住むRaunoの家を家族で訪問した。彼は事務機修理業で自立していた。奥さんはヘルシンキ当時の彼女ではなくヴァーサフィルハーモニーでバイオリンを弾くBrita、男の子が二人、下の子はわが家の長男と同じ6ヶ月目だった。芸術家なのか、あまり気にしないタイプなのか食後のデザートは食事と同じ皿を使ったりして妻を驚かせた。彼女は絵もうまく、壁に冬の風景画作品がかかっていた。翌年の夏には彼らも我が家を訪問してくれ家族交流も深まった。
しかしそれからは自分の仕事が忙しくなり、35年間交流が途絶えていた。ある日、フッと彼のその後を思ったりして妻と話をしたその直後、なにか赤い糸が繋がっていたのか、彼から手紙が来た。彼はBritaと別れHelenaと年金生活者になっていた。早速電話をして現状を交換し合い、又会おうね、と話を切った。それからは毎年クリスマスカードの交換をしあった。しかし去年からはそれも来なくなっていたが、お互いに高齢だしあまり気にもかけなかった。
そして先週、メールを中継してくれていたBritaから突然、Facebook のメッセージがきた。Raunoが肺がんの末期治療で入院中とのこと。そういえば、最後に受け取った写真はかなりやせていた。驚いて昔を思い出させようと写真を探し、メールで送ったが、もうよくわからないようだ、とのこと。癌は私のほうが先輩だ。ガンバレーとメールを書いて送ってやった。(復活祭の始まる4月1日、旅立つた)