日本国には西欧先進国と比較した時、人々が生きていく上で随分と異なる制度を残している分野がある。欧米のようにそれを取り払うか、改善した方が人々がより一層幸せになれるとわかっているけれど、その動きは遅い。その原因のうちに、当局の指導的立場の組織や人達に、それを残しておきたい意識があるからではないだろうか。それが温存されれば、組織が他より優位に立てたり、組織の利権の維持が楽になったりするからと。

確かに人は育った環境や、人生で感動したもの、出会ったもの、作ったもの、などに愛情を持ちそれを残しておきたいと思う心がある。一方で身辺を片付ける時が近づくと、モノを片付け捨てる事を進め様とする考えもある。それら事物には思い出もあり、持っていることに幸せを感じることもあり、またいつか再利用する可能性もあると思い、捨てることを戸惑う。

Ukraina戦争が始まって、食料や資源価格が急上昇し、エネルギー価格も高沸、電気代も突然地区によっては10倍にもなって、月額x万円を超える家庭も出始めた。そこで屋根に太陽光発電パネルを付ける計画を立てた。我が家は年間、電気を15000KW利用するそうで70%くらいをカバーできるセットを申し込んだ。屋根瓦を洗って40年間の苔を落とし、割れている瓦を交換した。ところが工事屋が仕事に未熟な外国人で、工事の後、雨漏りするところが見つかった。屋根裏に上がり雨漏りを点検し写真に撮って工事屋に連絡をした。その時、屋根裏で忘れていた箱を一つ見つけた。開けてみると30年程前の雑誌がぎっしり入っていた。3-4冊拾い読みして驚いた。今も十分興味のある内容のものがある。さっそく夜寝る時の読み物にした。これはまさしくタイムカプセル、捨てなくてよかった。

妻は最近、持ち物をどんどん捨てる。教会の古着コンテナーはそんな衣類でパンクしそうだ。衣裳部屋にかかっているのはほとんど自分のものばかり。そして“処分しろ”とうるさい。たしかに着なくなった冬物や夏物もきちんとかかったままだ。捨てなければと思うけれど、まだ着られるとも思う。貧しい時代に育った自分には、まだ使えるものを捨てることはむつかしい。しかしそろそろどこかで決断も必要だ。専門家も言うように、

①    1年間着なかったものは処分する。

②    季節のものは3着以内に制限する。

③    一つ購入したら一つ処分する。

 

さて我が断捨離、うまく成功するかどうか。