歌の中には不自由がない、とASKAさんが言いました。
歌の中でそう言いました。サビの最後のフレーズはこうです。
『本当のことはいつでも誰かの口でねじれていく』
そんなことが現実にはたくさんあります。
例えば事件ね。テレビで報道されていること
新聞で一面に載っていること、
電車の中吊り広告て見出しになっていること
ネットで出回っているニュース。
出回る、だから「デマ」なんですよ。
嘘です。
デマの語源は「出任せ」です。
嘘です。
デマの語源はドイツの扇動、扇動政治などを意味するデマゴギーが語源だそうです。調べてみました。
でもね、これだって本当のことかどうかなんてわからないじゃないですか。みんな都合よく解釈するわけですよ。
「報道の自由」って事実を告げ知らせる行為の自由、だそうですよ。真実かどうかなんて誰にもわからないのにね。
嘘がずっと出回っていくと、それがときに真実以上に大きくなって、収拾がつかなくなって、誰かが犠牲になる。辛いという刺激に慣れてしまった人が、より激辛を求めるように、情報にも刺激を求め、より過激で、悪い方へ悪い方へ向かう。それをメディアが火に油を注ぐように、どんどん嘘を足していく。何してるんだ?と思うわけです。
ただ、事実を報道するなら、そこに何も個人の感情はいらないだろうし、そもそも報道する時点で切り取り方で、撮影の仕方で、インタビューの仕方で何人もの感情が入っているわけですよ。素材だけなんてことは出来ない。
この風刺画は秀逸だと思うわけです。
疑視感の話ってしたっけな?
まだしてなかった。今度しますね。
ってかまぁある程度はしてるんだけどねぇ〜。
僕は歌では朝も夜も過去も未来も歌えないから
お笑いで、落語で、自由を勝ち取ります。
開放解放〜!
笑いの中では不自由こそが自由、
かける