無明橋 Ⅲ 173、 本 匠 116 「しょわねえか」 | 『清流』 無明橋 Ⅲ [2017年7月-] | 中高年の子守唄 | 太平洋を越えて | 日曜版 読者だより

『清流』 無明橋 Ⅲ [2017年7月-] | 中高年の子守唄 | 太平洋を越えて | 日曜版 読者だより

『清流』 - 太平洋を越えて - 2011年夏、カナダ・アメリカ旅行記ーー ヴァージニア州に住む友人夫婦に誘われ、バンクーバー、カナディアン・ロッキー、ナイアガラ、ヴァージニアと気ままに旅した13日間の旅行記


 「家に帰っても晩飯は食べんで、直(じき)に公民館へ来ておくれ。みんなが集まり次第始むるきいな」
 地区役員やNさんの誘いに応えて、村体の慰労反省会場の笠掛地区公民館へ。公民館と言っても、集会所の機能しかないような民家風平屋の建物で、借家の庭から目と鼻の距離に見える。公民館では、地区婦人会の人たちの世話で、早々と慰労会の準備が整えられていて、日も暮れぬ内から、「村体反省会」とは名ばかりの打ち上げが始まった。
「大活躍の先生はこっちへ」、と上座に手招きするのを辞退して、真ん中辺りに腰を下ろして仲間に加わった。村体会場では、「初対面に等しい」ということでお互いに他人行儀なところもあったが、公民館では、「羽目を外す」という言葉通りに、互いの間の仕切り板が取っ払われ、いつの間にか上座も下座もなくって酒席の会話が賑やかに弾んだ。
「先生のお陰で今年は成績がようなった。今日は存分に飲まんせ」「よう笠掛に来てくれた。これからもずっと居ってくるりゃいい」「飲みつぶれたて、そっからそこじゃきの」、などと声を掛けてくれながら、盃を置く間もなく酌が続いた。婦人会メンバーとして打ち上げに加わった5年生の母親たちも、「倒れたら家まで運んじゃるきな、遠慮せんで飲んでおくれ」、と酒を勧めてくれた。
 小半地区では、地区の集会に加わることなど一度もなかったが、「それにしても、地区民の気風がこうも違うものか」と、少なからず面食らった笠掛地区公民館での慰労反省会。多分に主観的なとらえ方かも知れないが、「だれもがお人よし(優しい)で、底抜けに明るい」、というのがその日朝から感じ続けていた笠掛地区民の気風であった。
 翌朝、アルコールの抜けきれないまま職員室に踏み込むと、目の合ったT教頭さんが、
「よい、世話(しょわ)ねえか。昨日は、昼も夜もなかなかの活躍じゃったそうじゃのう」
 と、朝の挨拶代わりに声を掛けてきた。
「だいぶ飲み過ぎましたけど、まあ大丈夫です」
 村体会場では目にとまらなかった教頭さんだが、いったいどこから情報が入るのであろう。

 

―スイス・フランス・アメリカの旅―

ウロコを落として見えた世界 (110)

 

 路線によって道路の設置者が違い、料金も有料だったり無料だったり・・・。
フランスの高速道路がどういう仕組みになっているかも知らずに、車を借りてドライブをするなど、後になって振り返れば、ずいぶん無謀なことをしたものだと思う。が、借りた車に乗ってドライブに出かけてしまったからには、
「それは知りませんでした」など言えるはずもない。
2度目に現れたゲートでは、チケットを引き抜いて無事に通過できた。次に現れたゲートで、抜いたチケットを差し込んでお金を払うに違いないが、どこで次のゲートに出くわすやら、その辺はさっぱり分からない。ゲート(料金所)も気になるが、もっと注意しなければならないのは、ブサンソンへと降りる出口インターだ。
 高速道路(A36)を走って1時間が過ぎた。「そろそろインターが出て来そう」と注意しながら走って・・・、「おっ、出て来たぞ」と、案内標識にブサンソン(Besancon)の文字を見つける。更に走って、再度標識が現れ、「ブサンソン⇒右」、と書いてある。時計を見ると、1:10を少し過ぎている。「案外早くブサンソンに戻って来たぞ」と、安心して出口誘導路へとハンドルを切る。誘導路に進入して、「料金所は?」と注意するが、何もないまま一般道へ。結局1時間以上高速道路を走って、料金は2百円程度ということになるが、日本に比べればずいぶん安いフランスの高速道路だ。

ブサンソンはどの方向だろう?・・・

 15:00までにブサンソンへ戻りたい。そう思って高速道路を走ったのだが、1時間半余りも早くブサンソンに戻って来た。「こんなことなら、ワイン街道の『美しい村』をもっとゆっっくり見物してもよかった」、と悔やまれる。しかし、その先に待ち構えていたのは、「この調子だと、今夜パリを発つ飛行機に乗り損なってしまう」と、背筋に冷や汗が流れるほどの事態であった。
 高速道路を降りて先ず向かうのは、ブサンソン市街のレンタカー事務所。ところが、インターチェンジは、市街中心部からずい分離れた山の中で、案内標識もなく、どの方向へ走ればいいのやらまるで見当がつかない。