情報をキャッチするのが早いというか、「それを地獄耳というのだ」と思ったりするが、いつもながらT教頭さんには驚かされる。
「隠し事なんか出来たもんじゃない」、と恐れ入りながら自分の机に着くと、机を隣り合わせた6年担任のT先生が、
「頑張り過ぎて足腰が痛いんじゃねえな?」
と、気遣ってくれる。
「村体に出場するなんか誰にも言うてないのに、どうしてみんな知っているんですか」
不思議に思って聞き返すと、
「そりゃあ、たった十数人の職場じゃからな、情報はすぐに伝わる」
と、苦笑いしながら答えてくれる。
「悪いことならともかく、いいニュースは早いな。そういうことより、アルコールが抜けきらんのなら、しばらく畳の部屋(旧宿直室)で休んだらいい」
「とんでもない。そんな甘えたことはできません」
その日、二日酔いがばれないように一、2時間目の授業を済ませて職員室へ下りると、
「よい、どげえかえ。もう気分はようなったか」
と、また教頭さんが声を掛けてくれる。
「子どもたちまで気遣うてくれたみたいで、すっかり快調です」
「それで、昨日の夜は美味い酒が飲めたか」
「はい、教頭先生に言われたように、少しなりと地域に恩返しができた気がしています」
「おお、それでいい。しかし、まあ、あんまり無理をし過ぎんようにやれ」
今にして振り返れば、何とも大らかな職員室の空気であった。
ところで、笠掛地区民の一人として村体に出場し、地区民と一緒に打ち上げを楽しんだ。このことが5年生の子どもたち、とりわけ引っ越しに反発した男子に与えた影響は大きかった。
―スイス・フランス・アメリカの旅―
ウロコを落として見えた世界 (111)
高速道路を降りたが、その先どう走ればいいか分からない。「インターチェンジは、ブサンソン市街の手前にある(と思う)から、高速道路と同じ方向へ走ればいい」と考えて、西方向へと走る。「そのうち案内標識が出るだろう」と期待したのだが、何とも寂しい山の中だ。「ブサンソンはドゥ川沿いに開けた街だから、とにかく川へ向かうことだ」、と道を下って行く。が、道は途中で上りへと変わり、林を抜けて小高い丘陵の新興住宅地へと出て来た。「こんな高い場所ではない」、とUターンし、下りの方向を定めて進む。が、またしても上りとなって別の住宅地へと入って来た。
「いやあー、困った・・・」、どこをどう走っているのやら、さっぱり分からなくなった。こういう場合は、もうだれかに尋ねるしかない。住宅地の中を、「どこかに人はいないか?」、と見回しながらゆっくり走る。しかし、気は焦るがどこにも人影はない。ようやく角を曲がった先に中年風の女性を見つけ、車を停めて歩み寄る。「すみません。ブサンソンはどう行けばいいのですかね(英語)」、と声を掛けると、何やら呆気にとられた顔をして、「ノン、ノン」と手を振る。なおも尋ねようとすると、「イングリッシュ、ノン(英語、ダメ)」と困った顔をする。「英語が通じない」と分かって、「サンキュー、ソーリー」、と頭を下げて車に戻る。「これは、ほんとに困ったぞ」と、次なる人を探して先へと進む。同じ所へ舞い戻ったり、あちこち走り回って、さっきよりは少し若い女性に出会くわし、「この人が助けてくれなければ大変なことになる」と、後がない気分で歩み寄って声をかける。
ところが、やはり英語が通じない。逃げかかる女性を、「ちょっと待って!(英語)」と、ジェスチャー混じりに引き止め、「これを見て(英語)」と、ブサンソンの市街地図を広げ、「ここに行きたい(英語)」と指で押さえ、「どっちの方向ですか(英語・ジェスチャー)」と訴える。地図を見せたのがよかったようで、「そこは、あっちです(たぶん仏語)」と、右手林の方向を指さしてくれる。方向さえ分かれば有り難い。教わったとおり、住宅地の先の林を目指して走る。ところが道は単純ではない。林の先は、また狭い上りになってドゥ川へ向かう感じではない。