母との時間 | 母も娘も『私がわたしの世界いち』お子様の摂食障害・不登校

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たくさんのブログの中から訪問して頂きありがとうございます。
私と一緒に心のブレーキを外して生きづらさを手放していきませんか?

台風により被害に遭われた方々に
心よりお見舞い申し上げます。
 
 
 
心屋認定カウンセラー
じゅんです。
 
 
 
 
2000年のことなので
もう20年近く前になりますが
 
東海豪雨で実家が被災した経験があります。
 
 
 
 
車で10分ほどの実家が、
 
家の外では私の背を超え
家の中でも私の背くらいまで
 
堤防が決壊して押し寄せた泥水に浸かりました。
 
 
 
 
兄たち家族と二世帯住宅に住み
1階居住部分は全て母だったので
 
母は水が入ってきた時に持ち出した
眼鏡と入れ歯以外すべての物を失いました。
 
(母のこの選択は母を助け
後に家族みんなから褒められました^^)
 
 
 
 
 
当時の経験から
被害がもっと深刻で報道陣も入れない為
報道されず
 
食料もボランティアも支援物資も
なにも届かない場所があるのではと思っています。
 
 
片づけに追われて
情報もなかなか入ってきません。
 
 
本当に大変だと思います。
 
 
 
 
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実家が被災した時の
母とのことを思い出しました。
 
 
 
 
 
母と兄家族は
我が家に避難して来ましたが、
 
ライフラインが復旧し
学校も始まる頃には
兄家族は戻っていきました。
 
 
 
しかし1階部分は
長時間の浸水で臭いもひどく
壁も床もすべて取替が必要だった為、
 
母は一か月ほど
我が家に滞在していました。
 
 
 
 
 
今思えば
 
3年前から半身不随と失語で
現在は施設にお世話になっている母と
 
2人きりの時間をたっぷり過ごせたのは
結婚以降はあの時だけでした。
 
 
 
 
 
被災して実際には
いろんなことが大変な中でしたが

母の役に立てていることを
嬉しく思っていたような気がします、
 
母のことが好きとは思えなかった頃でしたが。
 
 

病院に連れて行ったり
ご飯を作ったり
当時小学生だった娘たちと
一緒に過ごしてもらったり。
 
 
 
あの頃の私は
異常に夫に気を遣っていたから
母のお世話を堂々と出来たというのもあるかも。
 
 
 
そんなことを
思い出しました。
 
 
 
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実家は
土台を乾かす為に
和室はずっと木枠だけの状態で、
 
新しい畳を入れることが出来たのは
被災から4か月近く経っていました。
 
 
母が日常に戻れたのは
もっと先のことでした。
 
 
 
本当に大変だと思いますが、
 
被災された皆様に
早くいつもの日常が戻りますように…
 
 
 
 
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前回告知しました
12月の東京セッションの募集の開始は、
来週初めに延期しようと思います。
 
よろしくお願い致します。