【作家・昭和史研究家】保阪正康「岸田さんは"世論と歴史に負けた政治家"」 | まなかつおのしゃべり場へようこそ

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善なる人々が行動を怠れば、必ず、悪が勝利する
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来年、2025年は戦後80年 昭和100年

 

保阪正康氏「たった一つ 戦争は人為的な行動 人為的な所業であるってことさえ知ればいい」(講演・新しい戦前にしないためにーより)

 

2024年8月15日 12:46

終戦から79年となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で行われた。

参列者は先の大戦の犠牲者約310万人を悼み、戦禍の記憶と平和の尊さを胸に刻んだ。式は昨年まで新型コロナウイルスの感染防止のため参列規模を縮小して実施してきたが、今回は5年ぶりの通常開催。

厚生労働省によると、事前に参列意向を示した遺族は戦後生まれが約47%に上る。戦争を直接知る世代の高齢化は進み、記憶や教訓の継承の在り方が問われている。

 

9月の自民党総裁選への不出馬を表明した岸田文雄首相は3回目の参列。式辞では、安倍晋三元首相や菅義偉前首相と同様にアジア諸国への加害責任に触れなかった。昨年までの「積極的平和主義」の文言は使わず「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化を進め、世界が直面する課題の解決に全力で取り組む」と述べた。

 

正午の時報に合わせて全員が黙とう。天皇陛下は「過去を顧み、深い反省の上に立ち、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」とのお言葉を読み上げられた。(共同通信)

 

 

 9月の東京新聞140周年を記念し、7日に東京都千代田区の日比谷図書文化館で開かれた「ニュース深掘り講座」の特別編は、昭和史研究で知られるノンフィクション作家、保阪正康さん(84)が「『新しい戦前』にしないために 戦後80年を前に学ぶべき教訓は」と題して講演した。

 

 
近づく「自衛隊」と「靖国神社」の距離
海自 2024年5月10日
練習航海を行う幹部が「遊就館」を集団見学(約200人参加)
見学した人数は「確認に時間がかかる」(海幕)
 
陸自 2024年1月9日
幹部ら22人が「靖国神社」を参拝
海自 2023年5月17日
練習航海を行う幹部の一部が制服着用し「靖国神社」を参拝

 

「元自衛官が靖国神社宮司就任へ」
 

2024/3/21 10:00

大塚海夫前ジブチ大使が4月1日付で就任すると正式発表されたのだ。大塚氏は元海将。自衛隊出身者の同神社宮司就任は2人目だが、将官経験者は初。戦後史の歯車がひとつ回った感があり、心からの祝意を表したいポーンあせる

 

2024年8月14日 12時00分

◆軍事組織が平然と靖国神社と一体化

新しい戦前」という言葉は2~3年前から急に言われるようになり、意味を考えていたが、いくつかの社会事象、現象を見て、合点がいった。

一つは今回の東京都知事選で小池百合子さんに次いで票を集めた石丸伸二さんを「ニューウェーブ」と騒いでいるのを見て、論法、話し方、居丈高な口ぶりは旧軍人と全く同じと思った。「恥を知れ、恥を」というのは、昭和10年代の帝国議会の軍人の答弁と思った。

 

もうひとつ指摘する。海上自衛隊出身の方が靖国神社の宮司になった。海自隊員が集団で靖国神社へ参拝している。軍事組織が平然と靖国神社と一体化することを宣言したに等しい。平成期は考えられなかった。今上天皇を軽視しているに等しい。こういう形が新しい戦前だと理解した。

 

【覚えておきたいこと】

石破茂

「私は防衛庁長官就任以降、靖国神社には参拝していません。日本を敗戦に追いやり、国民を死に追いやった無謀な戦争をした指導者を”死んだら皆英霊”で胡麻化していいのか。彼らの責任を追及しなければならないと考えているからです」

 

 

右差し 安倍首相は同日午前11時半ごろ、首相官邸から公用車で靖国神社に向かった。玉串料3万円は私費で支払い、首相自身は「私人の立場で参拝した」と説明するが、玄関ホールにあたる到着殿では「内閣総理大臣 安倍晋三」と記帳し、本殿前には首相名で花も添えた。

 

 

STEP.18月14日、突然の・・・総裁選不出馬宣言

 

自民党総裁としての責任

自民党が変わることを示す

最も分かりやすい最初の一歩は

私が身を引くことである

 

責任を取ることに いささかの躊躇もない

今回の事案が発生した当初から思い定め

心に期してきたところである

 

政治家として取り組むべき課題

政治資金規正法改正で残された

検討項目について早期に結論

得ていかなければならない

 

ウクライナ侵略から3年

唯一の戦争被爆国として

平和国家日本として

終結に向けてリーダーシップを

発揮しなければならない

 

STEP.2鈴木史朗・長崎市長の「平和宣言」

被爆詩人・福田須磨子さん(1922~74)が残した「原爆を作る人々に」と題した詩を引用

 

原爆を作る人々よ!

今こそ ためらうことなく

手の中にある一切を放棄するのだ

 

原爆を作る人々よ!

しばし手を休め 眼(め)をとじ給(たま)え

昭和二十年八月九日!

あなた方が作った 原爆で

幾万の尊い生命が奪われ

家、財産が一瞬にして無に帰し

平和な家庭が破壊しつくされたのだ

 

 

やしの木。。2024年8月14日 報道1930より。。やしの木

 

保阪正康氏 終戦の8月15日を控えて不出馬表明をした岸田さんは"世論と歴史に負けた政治家" 明日という日は310万人の犠牲者を悼み 心静かに過ごす日である

史実

8月9日の長崎における日本の立場というのが世界史、日本史の中で問われたと思う(イスラエルを招待しなかったことでG7の大使らが欠席したこと)

長崎市長の式典での言葉と政府の間には大きなズレを感じるんですが、その時に岸田さんの指導力、核の前に先頭に立って被爆国として戦うんだということを強調している 強調している言葉が わずか5日前のことなのに空虚な感じがしますね。 8月9日の原爆のことで長崎市長の言葉の中に「原子物理学者は研究止めてくれないか」ということを言っていました。 しかし、79年前の8月9日に、アメリカの原子物理学者が長崎に落とした原爆の中に 小さなメールボックスを乗せていてですね、メールボックスには同じ原子力研究者の嵯峨根 遼吉 (さがね りょうきち) という湯川さんなんかと同期の...アメリカで仲間と一緒に原爆の理論の研究をやっていたんですね。 アメリカの原子物理学者がメールボックスで嵯峨根さんに「嵯峨根くん、とうとう我々はこんなモノ造ってしまったと 人類の大量殺害に繋がるモノを造ってしまったことを凄く感じている だから君は日本の指導者に戦争止めろと言ってくれ」というのが入ってたんです。 拾った普通の日本の庶民が軍に届けたので嵯峨根さんの所には届きませんでした。 2、3カ月して届きました。 私は原子物理学者たちがとんでもないモノを造ったということで 我々は恐怖におののいているということが79年前のメッセージで語られていると思うんです。 そういうことを長崎市長は23歳の詩人の言葉を借りながら言ってるんですね。 岸田さんは頑張りますのみ。史実の中に込められている一つ一つの歴史の人間の悲しさ、人間の進歩の発展に伴う矛盾、そういう感情をきちんと捉えていたら 岸田さんの今日の会見はこんなもんじゃないだろうと・・・。

岸田さんは政治家の言葉、空虚さを感じてしまう。支持率の高さに繋がらないことを考えていないなぁ。