輪島市の中学生集団で2次避難
市立3中学校で校舎内での授業が困難
全校生徒401人中250人が避難
避難先 白山市
17日から親元を離れ教職員と一緒に白山市の学習施設へ避難
輪島市小川教育長
可能な限り正規のカリキュラムに近いものを工夫したい
2か月以内に戻るのが願い(朝日新聞15日)
<まなかつお>
集団で2次避難をする中学生に家族から離れて寂しくないかと聞いたら「風呂に入りたい、たくさん食べたい」と答えた男の子がいました。 何時の時代の話? 寂し過ぎる。
能登半島地震で大きな被害が出た石川県輪島市の市立中学校3校の生徒のうち、保護者が同意した約250人が17日、同県白山市の県立施設2か所へ集団避難した。
2024/01/17 11:46
<まなかつお>
イヤリングにネックレスで防災服姿、危機感がまるでない加藤鮎子こども政策担当相
能登半島地震をめぐり、こども家庭庁は16日、遊びの機会を提供するなど、被災した子どもの居場所づくりに取り組む民間団体の支援を始めると発表した。1団体あたり年度内は500万円を上限に活動費を補助する。事業は新年度も継続する予定。
2024年1月16日 16時40分
林 よう子@Hayashi21yoko
悪いけど、防災服着て、イヤリングにネックレスして補助金の事言うのは辞めて欲しい‥ こども家庭庁 能登半島地震で被災のこどもに遊びや学びの機会提供の民間団体に費用補助へ(日テレNEWS NNN)
石川県の被災建物
倒壊危険判定3割以上
応急危険度判定
余震による家屋の倒壊など
2次被害を防ぐため 被災建物の状況を
自治体職員ら判定士が調査
3段階の判定
・危険 立ち入るのが危ない
・要注意 十分に気を付ける必要あり
・調査済 当面は安全
過去の地震での危険判定
阪神淡路大震災 13.8%
熊本地震 27.2%
(全国被災建築物応急危険度判定協議会HPより)
石川県内危険判定
県内10市町 34.8%
輪島市 53.8%
珠洲市 47.1%
(石川県14日現在)
対口支援 2018年 制度化後
2018年 北海道胆振東部地震
2018年 西日本豪雨
2019年 房総半島台風
2020年 熊本豪雨
<まなかつお>
馳知事、24時間頑張っている、風呂にも入っていないと強調しましたが
100歩ゆずって あなたは それでも食えるだろう
馳知事は石川愛を熱く語りますが、何故、石川に住まない?
石川県の馳浩知事は15日、北陸新幹線金沢―敦賀の延伸開業を3月16日に控え、能登半島地震が起きたことについて「このような時こそ石川に来てほしい。被災地への支援もお願いする」と話した。県の災害対策本部会議後、報道陣の取材に答えた。
2024/1/15 21:06
白坂和哉|ジャーナリスト|”突き刺さる” 政治情報を提供します!@shirasaka_k
こういうメッセージは人々を混乱させるだけでは? あれほど『能登に来るな!』と言っておいて、今度は『このような時こそ石川に来てほしい。被災地への支援もお願いする』 ──とは、一体どちらですか? また怪しげな ”同調圧力” が生まれそうな予感・・・
白坂和哉|ジャーナリスト|”突き刺さる” 政治情報を提供します!@shirasaka_k
馳浩・石川県知事の嘘『元日から24時間知事室に滞在して』の深堀り。 1/1元旦は皇居の行事に出席し石川県にはいなかった。 よって1/1開催の「第1回石川県災害対策本部会議」に馳知事は出席できず、リモートでの出席となった。
▲この動画の中で馳知事は、自ら『副知事らと首相官邸にいる』と語っている。
その後、自衛隊ヘリで慌てて石川県に戻り「第2回石川県災害対策本部会議」には出席でした。 しかし、この会議は日付も変わろうとする1/1深夜23時45分に開催されたものだ(下記画像) 馳知事による実質的な現場対応は、ここから始まっている。 ──故に馳知事の『元日から24時間知事室に滞在して』は嘘。 政治家という「公人」は、嘘をついて人心を攪乱してはならない!
白坂和哉|ジャーナリスト|”突き刺さる” 政治情報を提供します!@shirasaka_k
震災のどさくさ紛れに「嘘」をつく馳浩・石川県知事は最低だ! 「元日から24時間知事室に滞在して──」は嘘です。 馳知事は元日は東京にいた。大地震が起き慌てて自衛隊ヘリで石川県に戻り、翌日1/2早朝に被災地をヘリで上空視察した。 そして実際に初めて被災地を訪れたのが1/14だった
<まなかつお>
私は山本太郎さんをまるで英雄であるかのようなコメントにはヘドが出る
山本太郎さんがボランティア活動をしているのは 今に始まったことではないからです
HARUKI@ネット市民連合@Haruki_j1
『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎氏』のメルマガより 山本氏が、日頃から貧困者への炊き出しや、被災地支援などに体を張って熱心に取り組んできている姿を目にしていますが、今回も真っ先に被災者に寄り添ったのは、彼にとってはただごく自然な行動だったのではないでしょうか。 自分は物陰に潜んでいて何も行動しない人たちが、行動する人達に石を投げつけるような行為に対しては、いつも憤りを感じます。
6434人が命を落とした阪神大震災は1月17日、発生から29年を迎え、各地で追悼行事が営まれた。
230人以上が亡くなり、約1万6000人が避難生活を強いられている能登半島地震の被災地にも心を寄せ、祈りをささげた。
2024/01/17 11:27
阪神・淡路大震災から生まれた「満月の夕べ」
ー田中康夫が1995年1月17日の朝、東京のホテルで目覚めるところから始まる。震災ボランティアとして神戸市のとある教会を拠点に、ゲンチャリで被災者と接してきた1年間の記録である。
被災者の心理、行政の在り方、報道の在り方、企業として支援の在り方について鋭い視点で綴られている。(ウィキペディアより)
<まなかつお>
阪神淡路から29年の今日、田中康夫さんが書いた「神戸震災日記」から
田中さんは、当時、神戸市内にたくさんの友人が居ることもあって、何か役に立つことがあるのではと神戸へ向かったそうです。
早速、大阪の伊丹で「50ccバイク」を借り、被災地の路地から路地を走り抜けたとか。原付は道路が悪くても小回りが利き、機動力が高く、風を切って走ることから生々しい震災の臭いを嗅ぐことで、そこに人が居るかもしれないと肌で感じることが出来たそうです。
今では、一家に1台の原付チャリ!と太鼓判を押すまでに...ところが原付チャリの販売は今後は無くなるとの情報もありますが。