先日,誕生日でした。

 

また死なずに1つ歳をとってしまったな,

 

と思いつつ陰鬱な1日を過ごしていました。

 

 

その日,3人からプライベートな連絡がありました。

 

人付き合いの下手くそな私ですから,

 

日に3人も連絡をくれるなんてことが滅多にないので,

 

それだけで嬉しくなってしまいました。

 

(出だしから陰キャ感丸出しですみません)

 

 

1人目は,昔からの女友達。

 

まぁ律儀というかなんというか,

 

誕生日おめでとうって。

 

この歳(アラサー)になっても,こうして年に1回,連絡をくれます。

 

本当にありがたい存在です。

 

しかし彼女は,私と何年も付き合いを続けられるだけあって

 

価値基準がちょっと世間と違うらしく,

 

誤解されることが多いように思います。

(こんなこと言ってるのばれたら怒られる)

 

賢くて優しいのに。

 

 

2人目は,前の職場の主任。

 

誕生日だったのは偶然。

 

その方も今は違う職場にいるのですが,

 

そこで,話の流れで私の名前が出たらしく,

 

どうしてるかなー,元気?って連絡でした。

 

ありがたいです。

 

私が退職したときも,多くの先生方から

 

えー!本当!?どうしたの!?もったいない!

 

という言葉があった中,この先生だけは,

 

「そっかー。そうだよねー。」

 

とおっしゃってくださいました。

 

その方は本当に尊敬に値する先生なのですが,

 

やはり誤解されやすく。

 

常に一生懸命で,生徒からは大人気だけど,

 

同僚からは煙たがられることもある方でした。

 

厳しくも,誰よりも優しい方だと思うのですが。

 

 

3人目。兄。

 

3年ぶりくらいの会話でした。

 

特段,不仲ではありませんが,

 

私自身,恥ずかしながら実家と折り合いが悪く,

 

離れているため,連絡を取り合うこともありませんでした。

 

彼はなんというか,不器用な人です。

 

ですがやはり,優しさを持つ人間で。

 

二人の甥っ子に何もしてやらないでいる愚弟にも,

 

変わらず優しい言葉をかけてくれました。

 

そんな彼も,順風満帆の人生とは言えず,

 

ここ数年で,ようやく少し安定した生活を送れているようでした。

 

 

 

ここ数ヶ月,嫌な言葉をたくさん聞きました。

 

人から優しさを感じる機会は本当に少なく,

 

なんでそんなに人を傷つけながらでないと

 

生きていけないのだろうと,

 

辟易していました。

 

そんな中,僕に癒やしをくれたこの人達は,

 

社会では決して高い評価を得ていません。

 

実務能力も,決して低くないにも関わらずです。

 

以前からなんとなく感じていましたが,

 

どうやら現代日本の労働社会では

 

優しさや思い遣りは低評価につながるようです。

 

人の「願い」を「需要」

 

人の「思い遣り」を「供給」

 

こう捉えられる人のみが

 

ビジネス世界を生き抜いていけるようです。

 

そしてそんな,ビジネス世界をスマートに生きる人こそが

 

素晴らしい人と評されるようです。

 

 

 

くそくらえ。