垣間見られる「意思」を汲み取る。 | 壇蜜オフィシャルブログ「黒髪の白拍子。」Powered by Ameba

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ここ数日、扇風機の「首ふり機能」のありがたさを噛み締めながら生活しております。部屋のなかを風が均等に吹くなんて、機械のチカラなくしては不可能なのではないでしょうか。どうしても一ヶ所に偏りがちなエアコンの冷気も撹拌してくれますし、何と頼もしい…と感謝の眼差しを向けずにはいられません。

眼差しを向けずにはいられない理由は、まだあります。
首ふり機能…どうしても「生命」を感じてしまって、見つめちゃうんです。コンセントで動いているのに、鼻唄混じりでゆっくり首を振っているようにも見えるのです(←暑さでおかしくなった訳ではありませぬ)。
思えば実家に昔おいてあった冷蔵庫内の「自動氷製造機能」からも目が離せませんでした。氷ができる頃合いを見計らって(それっぽい音が微かに聴こえる)、チビミツは「製氷される場面」にかぶりつきでした。氷が製氷皿から外されて自動に蓄積されるという10秒足らずの時間なのに、その瞬間に居合わせると「すごいもの見た」と感じていたのでした。家族からは「その為だけに冷蔵庫開けるなんて、もう…」と呆れられていましたが。

機械は意思を持っているんじゃないか…と感じ始めたのもこの頃です。