私のスピリチュアルの背景:2.いじめと自殺未遂 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

記憶が連続し始めたのは五歳頃。その頃の私はとにかく早熟でした。二歳年上の姉や、幼稚園で会う子供たちはみな幼すぎて話にならない。そんな風に周りを見ていて、しかも身体が弱くおとなしいと、当然いじめられますよね。私は三歳頃から小児喘息で、ずっと入退院を繰り返していました。結構重度の喘息で、ときには息ができなくて気絶し救急車で運ばれるほど。ときどき子供の頃に戻りたいなんていう人がいますが、あんな苦しい身体にまた入るのは絶対嫌です!

 

そんな子供だったので、まあ、ほどよくいじめられていました。でもこれは別に苦ではなかった。特に小学二年の時に療養所に入ってからは、割と元気にやっていました。生粋のいじめっ子が入ってくるまでは。

 

その彼が入ってくる前、療養所内に問題児が入院してくるという噂が流れていました。この時私は小学六年。すぐに彼を中心としたいじめが始まり、親しい友人もいない私は追い込まれていきました。その頃の私は、抵抗ということができない少年でした。今の自分なら「戦え! おとなしくしているから相手が図に乗るんだ。自殺するくらいなら、戦って死んでもいいじゃないか」と叱咤したくなります。中学になって退院してからまたすぐいじめられそうになったときは、先導者の筆箱を思いっきり床に投げつけたら、すぐにいじめは治まりました。でもそんなことができるようになるのはもっと後の話。親から離れて国立療養所にいた当時の自分は、自然に自殺を考えるようになっていました。しかし実際に入水自殺をしようとした池は腰までの水しかなく、そこに顔を埋め、死ぬまで耐えるのは大変すぎると思い、踏みとどまったのです。だから、今でもこうして生きているのですね。あの池がもし深かったら・・・

 

自殺未遂をした頃、ある日宣教師が慰問に来ました。宣教師にもいろいろな人がいて、いろいろな教えがあります。このときの宣教師は「人は死んだら土に戻る。そして、復活の日に神に選ばれた人だけが復活するのです」、そう教えてくれました。私は本気でそれを想像しました。
 

   土になるってどういう感じなんだろう。

   このまま眠って永久に目覚めないってことかな。   

   自分が神に選ばれてまた復活するなんて思えないし。

 

そう思った私は無性に悲しくなったのです。自分が消滅してしまうという感覚はとても受け入れ難く、私は思わず泣きじゃくってしまいました。

 

それ以来「人は亡くなった後どうなるのか」という命題が、私の人生において一番優先すべきものとなりました。私がこう思い始めた一九七三年、まるで私の興味に呼応するように、ある少年漫画が始まります。「うしろの百太郎」という、つのだじろう氏による心霊漫画が始まったのです。

この漫画は非常に反響を呼び、一九七四年の、スプーン曲げで有名なユリ・ゲラー氏の初来日と相まって、世間ではオカルトブームが始まりました。実はこの漫画、とても影響を受けたのはわかっているものの、内容がそれほど思い出せず、数年前に買い直して読んでみました。そして、その内容が考えていた以上にものすごくまともなものであったことに、改めてビックリしたものです。確かに、多少漫画的に脚色され、実際にはめったに見られない、もしくはあり得ないほど派手な心霊現象が頻繁に出てきます。しかし、基本的に取り扱っている題材は、海外で100年以上続いてきた、伝統的な心霊現象研究の成果でした。

 

これで心霊知識の基礎の基礎を学んだ私が、次に出会ったのはスウェーデンボルグの著書です。彼がどんな人だったかは異世界こぼれ話に詳しく書いてあります。

異世界こぼれ話 その九 「スウェーデンボルグ」

私は彼の著書のおかげで、死後の世界は確かに存在すること、おぼろげながらもそこがどのようなところなのかを理解していきました。私の初期の人生に大きな指針をくれたこの人。キリストがいなくなってから、どんどん間違った方向に行ってしまったキリスト教を立て直そうとしたのが彼です。とは言え、当時のキリスト教からは異端扱いされ、むしろこれ以降のニューエイジ思想の基礎となっている感はあります。彼が実際に見たり、天使たちから聞いたという霊界の仕組みは、これ以降の時代に色々なソースから伝わってくる話とほぼ同じです。

  • 神はどこにでも存在する。

  • 神は人を裁かない。人は自分で自身を裁く。

  • 人は自分の一番居心地の良い死後の世界に行く(たとえそこが地獄のようであっても)。

  • 霊界では似たような人々が集まってそれぞれコミュニティを作っている。

  • 宇宙には(太陽系にも)たくさんの生命があり、死後の世界には地球人以外もいる。

全体的に天国に行くことを非常に重要視していて、とても宗教がかっていて、時々変なことが書いてあったりはしますが、スウェーデンボルグの著作類は、現在の私から見ても、とても正統的な死後の世界像だと思います。