異世界こぼれ話 その七十二「3つの世界線のトレドの男」 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

今回から比較的最近の異世界ネタを改めて追っていきたいと思います。

トレドの男ですが、今までに二回これについて書いています。

トレド(タウレド、トーレド)の男を追って

トレドという存在しない国のパスポートを持った人が日本に来た。この話を調べている人は結構世界中にいて、前回記事を書いてから今までに、かなり色々と新しいことがわかってきたようです。始まりはこのRedditです。トレドは欧米ではTauredと綴るのですが、Tuaredと綴られた1960年のカナダ、バンクーバーの新聞、Tuaridと綴られた英国議会の記録を見つけたというのです。Tauredをトレドと発音するのは無理がありますが、Tuaredの発音ならほとんどトレドに聞こえることでしょう。さて、その1960/8/15の新聞The Provinceを、https://www.newspapers.com/で探してみました。その切り抜きがこちらです。
 
全ては訳しませんが要点だけ書きます。
ジョン・アレン・カッチャー・ジーグラスJohn Allen Kuchar Zegrusという男は国、首都、国民、言語を創作した。彼は手製のパスポートを持って世界中を旅し、「エチオピアに帰化し、ナセルNasser大佐の諜報員」と主張していた。パスポートには、サハラの南にある国トレドTuaredの首都タマンラセットTamanrassetで発行されたと刻印されている。この素晴らしい文書を持ってジーグラスは中東を堂々と旅行し、行く先々で敬意を表された。ジーグラスは自分の素性を疑うものがいると、トレド国のスタンプの下に書かれた宣言文のようなものを読むように言っていた。そこには「Rch ubwali ochtra negussi habessi trwap turapa」と書かれている。これはどの言語でも何の意味も成さない。
この彼の旅は日本の東京で終わってしまった。日本人の徹底した追及の結果、法廷に立たされることになったのだ。
もっと情報がないかと思い各紙を「Zegrus」「negussi」と言ったキーワードで探してみましたが、この情報を扱った新聞は他にありませんでした、一方英国議会の1960/7/29議事録ではMr Robert Mathewが下記のことを言っています。
現在東京で起訴されているジョン・アレン・ジーグラスの事件をご存知でしょう。彼はナセル大佐の諜報員であり、エチオピアに帰化したと述べています。
(中略)
このパスポートは、独立主権国家トリドTuaridの首都タマンロセットTamanrossetで発行されたものとされています。国名も言語も特定できなく、この試みに多くの時間が費やされました。被告人が反対尋問を受けたとき、彼はサハラ砂漠の南のどこかにある人口200万人の国であると言いました。この男はこのパスポートで何の支障もなく世界中を回っています。このパスポートは、私たちの知る限りでは、架空の国の架空の言語で書かれています。だから、パスポートはセキュリティ・チェックにはならないのです。
このRedditに答えて、当時の日本の新聞記事を探してきたRedditもあります。ここは読売新聞だけですが、下記ページでその他の新聞記事やトレドの男に関する深い考察が日本語で読めます。
しかし日本の新聞では、ジーグラスの国はネグシ・ハベシとなっています。バンクーバーの新聞の「Rch ubwaii ochtra negussi habessi trwap turapa」の部分。4つ目と5つ目の単語がネグシ・ハベシと読めます。これはどういうことなのでしょう? 日本の新聞記事だけで考えると、ジーグラスとトレドを結び付けるものは、存在しない国のパスポートを持っていた、ということだけなのです。とはいうものの、この人がトレドの男の元になったのだろうというのが現在定説なようで、Wikiにも載るようになりました。

 

 

しかし、先ほどの国名の違いと、それ以外にも引っかかることがあるのです。TauredではなくTuaredのパスポートを持った男の話は、おそらくこの人が初めて紹介したのではないか、という人が見えてきました。ジャック・ベルジェJacques Bergierがその人です。

彼が1964年に書いたフランス語の書籍「Rire avec les savants」にTuaredについて若干書いてあると、あちこちのサイトで紹介されています。GoogleブックスにあったのでTuaredを検索してみたら81ページに下記の情報がありました。

Il y avait cependant un léger défaut, ce passeport ayant été délivré par un pays, le Tuared, qui n'existe pas sur la carte. Il était rédigé dans une langue ressemblant à l'arabe avec la traduction en français. Le Tuarred, d'après l'intéressé. a comme capitale Fort-Lamy. Il est borné nar la Somalie, la Mauritanie et le Soudan.

そのパスポートにはちょっとした欠陥がありました。Tuaredという地図に存在しない国が発行したことになっているのです。アラビア文字のような言葉で書かれていて、フランス語の翻訳がついていました。その人によればTuaredの首都はフォール・ラミFort-Lamyで、ソマリア、モーリタニア、スーダンと接していると言います。

ここでアフリカの地図を出しましょう。

ソマリア、モーリタニア、スーダンと接するというと、かなり大きな国ですね。ここでピンで示したのはフォール・ラミです。この都市はフランス人によって1900年に建設され、1973年、ンジャメナと改名されました。ここで注意して欲しいのは首都です。バンクーバーの新聞と英国議会ではタマンラセット、タマンロセットが首都となっていました。

 

ジャック・ベルジェは1970年の本「Les Extra-Terrestes dan's L'histoire」にもトレドTuaredのことを書いています。これの英語翻訳版「Extraterrestrial Visitations from Prehistoric Times to the Present」が1973年に出ていて、なんとKindle版もあったので、早速購入してみました。この本の143,144ページに話が載っています。

内容を簡単に紹介しましょう。

1954年、日本でとても暴力的な騒乱があり、日本政府は裏に外国人の先導者がいるのではないかと考えました。そして外国人のパスポートを一斉検査したとき、この男が見つかったのです。彼のパスポートはどこにも問題ないように見えましたが、発行国であるトレドという国は地図に存在しないのです。その男によればトレドはモーリタニアからスーダン共和国まで広がり、アルジェリアの大部分を含んだ場所にあります。彼が日本に来たのは武器を買うためでした。

 

男はトレドという国はないと言われると記者会見を開きました。これを聞いた記者たちはUS、アラブ連合、UNESCOなどあらゆるところに問い合わせましたが、トレドという国はありません。日本の精神病院に入れられるまでにこの男はいくつかのインタビュー、特に週刊英字新聞のインタビューを受け、その中で彼はずっと自分の主張を繰り返しました。実際のところ彼のパスポートに不審な点は一切ありません。発行国が地図に見つからないということを除けば。

 

こんなことが英語版に書いてあるのです。ここで注意したいのが、パスポートに不審な点はないというのが強調されていることです。日本語で言われているように、そのパスポートが週刊誌大だったら、このような書き方をするでしょうか? ところで、元のフランス語版を購入して、それを英語に訳してくれている人がいました。下記ページにその訳文がありますが、そこには英語版では省略された、重要な文章がありました。

 

 

And more recently the story of the Tuared, so beautiful that I never tire of telling it. In 1954, riots took place in Japan, so violent that the personal representative of the President of the United States could not disembark, the Japanese government admitting that it was unable to ensure his safety.

「US大統領の代理人が上陸できないほどの騒乱」と書いてあるのです。さて、1954年にそれらしい暴動やデモなどがあったかどうか調べてみましたが、どうもありません。US大統領は1953年からドワイト・D・アイゼンハワーになっています。このアイゼンハワーの訪日に関する興味深い事実があります。彼は1960年、現職大統領としては初めての訪日を予定していました。しかし6月10日羽田空港で、アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官が、空港周辺に詰め掛けたデモ隊に迎えの車を包囲されて動けなくなり、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救出されるという事件が発生したのです。これはハガチー事件と呼ばれています。どうでしょう。これはまさに「US大統領の代理人が上陸できないほどの騒乱」ではないでしょうか。とすると1954年というのはベルジェの勘違い? フランス語版だけにある文の中で彼は「素晴らしく、決して語り飽きることのない話」と書いています。その口ぶりからすると、それなりに調べて何度も人に語ってきたのではないでしょうか。それなのに、ジーグラスの逮捕理由、年、さらに月までをすべて勘違いした? しかもネグシ・ハベシという国名をトレドと勘違い?

 

いやいや、普通に考えたら日本で伝わる話とベルジェの話は別物ですよ。そうは思いませんか?

 

話を整理しましょう。今までに1960年頃の英語圏の情報から見えてくるトレドの男A、当時の日本の新聞や、後に書かれた日本の書籍(佐々淳行『私を通りすぎたスパイたち』文藝春秋など)から見えてくるトレドの男B、ジャック・ベルジェの伝えるトレドの男Cが出てきました。それぞれの特徴は下記になります。

 

英語圏情報A: 

男の名前はジーグラス。パスポートを発行したのはトレド。首都はタマンラセット。トレドはサハラの南にある。トレド国のスタンプの下に「Rch ubwaii ochtra negussi habessi trwap turapa」と書かれていて、それを男は強調していた。この文章はどこの国の言葉でもない。

 

日本情報B: 

男の名前はジーグラス。パスポートを発行したのはネグシ・ハベシ。エチオピアの南にある人口200万くらいの国。パスポートのサイズは週刊誌大。1960年1月、偽造小切手で不正にお金を得たとして、詐欺罪の容疑で逮捕される。何度か公判を重ね、1960年8月10日、懲役1年の判決が下った判決公判の日に、法廷で隠し持っていたガラスの破片で両腕の血管を切り自殺を図る。1961年12月、控訴審を経た上で懲役1年の判決を受けるが、刑期を上回る拘置日数のため結局一日も服役しなくてもいいとされた。出所したジーグラスは「国外退去処分」とされたが。どこに送還すべきかは分からず結局、日本に入国した時の最終寄港地だった香港に送還された。

 

ジャック・ベルジェ情報C: 

男の名前は不明。パスポートを発行したのはトレド。首都はフォール・ラミ。トレドはモーリタニアからスーダン共和国まで広がり、アルジェリアの大部分を含んだ場所にある。この男は記者会見を開いたり、各紙のインタビューに答えたりして、自分の正当性を証明しようとしていた。

 

私が違和感を覚えるのは例えば、Bにおいてパスポートのサイズが週刊誌大だったり、公判で自殺を図ったというとても印象的な事柄がAとCにはない点。バンクーバーの新聞は自殺未遂をしてから5日後です。それになぜAとCはトレド? 日本の情報ではそんなのは全然出てきていないのに。

 

しかし日本の情報の中でジーグラスとトレドを結び付ける要素がひとつありました。先に紹介した日本語でまとめている人のページに1961/7/25の毎日新聞の記事が載っていて、そこに「書かれてある文字はアフリカのサハラ砂漠に住むトゥアグレ人の言葉(タマハク語)らしいとだけ判明した。」と書かれているのです。トゥアグレ人はトゥアレグ族Tuaregのことだと思われます。とするとTuaregとTuared、一文字違いです。この種族はwikiによると、「現在では、トゥアレグ族は主にアルジェリア、マリ、ニジェール、リビアなどのサヘル地域に分断されて分布しており、その数は100万から350万人の間といわれる。」となっています。AとCで言っているトレド国の位置と結構重なっています。

 

しかし、バンクーバーの新聞が出たのは、毎日新聞の前の年なのです。となるとやはり、日本語情報から考えると、1960年の新聞や議事録にTuared、Tuaridという国名が出てくることに説明がつきません。と考えてくると、私にはA,B,Cがそれぞれ別々の世界線の、別々の過去のように思えるのです。例えばトレド、またはネグシ・ハベシがどこにあるかというと、それぞれの説明から見えてくる位置はこんな感じでしょうか。

 

まずは英語圏の情報Aのトレド。サハラ砂漠の南で、首都がタマンラセット。同名の地名がアルジェリアにあるので、サハラ砂漠の南の言葉に相応しく、さらにそこを含めるように描くとこうなります。ただこれだと首都がかなり国の外れの方になってしまうのが気にかかります。

日本の情報によるネグシ・ハベシ。エチオピアの南というとこんなものでしょうか。Aとは全然違う場所ですね。

ジャック・ベルジェのトレド。モーリタニアからスーダン共和国まで広がり、アルジェリアの大部分を含む。ソマリア、モーリタニア、スーダンと接する。これを満たすとなるとこんな感じ? 大帝国です。

 

ジャック・ベルジェが体験した世界線は、フランス主導の世界線だと言えます。パスポートにはフランス語の翻訳がついて、首都が、フランス人が作ったフォール・ラミ。そのようなトレドの男の話だからこそ、フランスに住んでいた彼が知ることになったのではないでしょうか。そしてその世界線では、私たちの世界線では1960年だったアイゼンハワー大統領の訪日予定が、1954年だったのかもしれません。

 

英語圏のトレドの男の話は、そういうことがあってもよいという世界線で起きたのではないでしょうか。しかし日本語圏では、この話は完全に説明のつくものにしなければならないという思いが大きく、もはやトレドではなく、ネグシ・ハベシという国の、全く異なる過去が生まれたのではないでしょうか。

 

未来と同様に過去も書き換わります。未来・現在・過去は幻想のようなもので、人の意識の中だけに存在するものです。だから、言語で分断されたそれぞれのグループの過去に、三種類のトレドの男がいても全然不思議はないのです。

 

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10/30 補足

いくつか新しい資料が入ってわかったことがあります。

 

当時の中央公論にジーグラスについての記事がありました。それによるとネグシ・ハベシ国の首都はアジスアベバです。アジスアベバはエチオピアの首都だと言うとジーグラスは、エチオピアの首都の正しい読み方はアジスアバーバだと言ったそうです。そしてネグシ・ハベシ国の位置はエチオピアの国境にあり、アルジェリアの南の辺りです。佐々氏の本にはエチオピアの南と書いてありましたが、どちらが本当なのでしょう? 英語、フランス語の情報から考えると、中央公論に書いてあった「アルジェリアの南」の方が正しそうです。

またパスポートには「ルフ、ウブワリ、オクトラ、ネグシ、ハベシ、トラップ、トラッパ、ダンカル、スラッツ、ティマリ・・・」と書いてあったそうです。これはバンクーバーの新聞の「Rch ubwaii ochtra negussi habessi trwap turapa」と同じですね。これだけ複雑な訳のわからない情報が正確に伝わっているのに、肝心の国名、首都が日本と英語圏で違うのはなぜなのでしょう?

なお、これはアラビアのトワレック地方の方言だと彼自身が言っていたとあります。そして外務省が確認したら確かにその地方はあったと書かれています。毎日新聞によるとこの言語はトゥアレグ人の言葉となっています。トゥアレグ人が住んでいた地方が当時トワレック地方と呼ばれていたのでしょうか? 現在そのような地方はありません。

 

ジャック・ベルジェの「Rire avec les savants」を手に入れました。ここには1954年とは書いていなく、アイゼンハワー大統領が日本への公式訪問を希望したが、極めて激しい暴動が発生したためにそれが叶わなかったあと、一斉摘発で不審な男が捕まったと書かれています。捕まったのは帝国ホテル。一方日本のジーグラスは芝公園のアパートにいました。帝国ホテルとアパートではかなり違いますが、しかもベルジェの話では捕まった男の名前はエル・ハッサンEl Hassanなのです。

この本にはさらに、ハッサンはナセル大佐の個人的な友人であったため、外務省はナセル大佐にもトレドという国の存在確認をしなければならなかったと書いてあります。このナセル大佐というのは、英語とフランス語の情報には出てきますが、日本の情報には決して出てこない名前です。そしてこのナセルはおそらく、今の世界線では大統領であったというこの人だと思います。

 

ということで、調べれば調べるほど、トレドの男が実在した過去はあったのですが、今一般に認識され始めている過去はそれと似たような、しかし確実に違う話でできているのがわかってきました。トレドの男の話は、マンデラエフェクトの本質に迫るものではないでしょうか。私としてはどうせつながるなら、エル・ハッサンとトレドが存在した過去にしたいものです。