フレデリック・マイヤース(Frederick William Henry Myers, 1843年2月6日 - 1901年1月17日)が生きていた時代は、心霊現象が社会的に大きな問題となっているときでした。
1848年に起きたハイズヴィル事件の影響で、亡くなった人と交流できるのは当然という気運が民衆に広まり、各家庭でごく普通に交霊会が行われていました。一方では、驚異的な超常現象を見せるダニエル・ダングラス・ヒュームの調査に乗り出した物理学者ウィリアム・クルックスが、これはトリックなどではなく、「心霊力」という未発見の力だと発表し、世間を騒がせていました。
こんな時代を生きていた彼が、心霊現象に強い興味を持ったのは、当然のことです。ちなみに彼は小さな頃から、自分が消えてしまうということに恐怖を覚えていたようです。小学校6年のときに、死んで消失するのをイメージして泣いてしまった私としては、非常に親近感を感じます。
さて、マイヤースが心霊研究に深くのめり込むのには、さらに2つのきっかけがあります。1つ目はウィリアム・ステイントン・モーゼス(William Stainton Moses, 1839年 - 1892年)との交流です。モーゼスは、高潔な人格で慕われていた、イングランド国教会の牧師です。その彼に霊的才能が芽生え、インペレーター(Imperator Servus Dei)という高級霊が降りてきました。その霊は49体の霊の統括として働く、第七層から来た存在だと名乗っています。モーゼスはインペレーター霊団の言うことが、何かとキリスト教の教えと異なっていたため、悩み、討論をしながら自動書記を続け、その結果は最終的に「霊訓」として本になりました。この本は現在でも各国で読まれ続けています。
モーゼスほどの大物と親しくし、その交霊会に参加できたことと、もうひとつの大きなきっかけは、最愛の女性アニー・マーシャル(Annie Marshall)の自殺です。彼女はマイヤースのいとこと結婚しました。マイヤースはアニーと一緒に交霊会に出席したりしながら、5人の子供と精神疾患を持った夫のために苦しんでいる彼女の精神的な助けとなっていました。もしかしたらプラトニックな間柄ではなかったのかもしれませんが、その辺ははっきりしていません。
1976年、アニーの夫が、躁状態で無謀な金銭取引を繰り返し、精神病院に収容される際も、マイヤースは大きな助けとなりました。しかしその年の7月、マイヤースがノルウェーに長期の旅行をしている際、アニーは罪の意識に苦しみだしたようです。夫を精神病院に監禁状態にするまでになったのは、自分にも罪があったのではないかと思い始めたのです。そして8月29日、彼女は自分の喉を切って湖に身投げしました。この後、マイヤースは今までよりも更に真剣に、心霊現象を調べ始めます。
マイヤースは、古典文学者、詩人で、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで教鞭をとっていました。そして、そこで知り合った学者たちと一緒に、あちこちの霊媒の調査を行っていたのです。1882年、その結果としてSPRが設立されますが、そのときマイヤースのノートに記録してあった交霊会の数は、すでに367件になっていました。
SPR、心霊現象研究協会(The Society for Psychical Research)は、マイヤースと、その友人たちによって出来上がったと言えます。マイヤースの古典に関する師に当たる哲学者、倫理学者、ヘンリー・シジウィック(初代会長)、催眠とオートマティスムの先駆的研究で知られる心理学者エドマンド・ガーニー、そしてマイヤースが、SPRを設立した中心的な3人です。
(左からシジウィック、ガーニー、マイヤース)
その他にも、物理学者ウィリアム・バレット、レイリー男爵(1904年ノーベル物理学賞を受賞)、哲学者アーサー・バルフォア(1902年から1905年のイギリス首相)、その弟の古典学者、哲学者そして政治家のジェラルド・バルフォア、そしてバルフォア家でこの二人の間に生まれた女性数学者エレノア・シジウィックたちが、設立時の中心となっていました。エレノアはヘンリー・シジウィックの妻で、後にニューナム・カレッジの校長となり、当時のイギリスを代表する女性の一人でした。
これだけでもSPRがどれだけすごい協会かわかってもらえると思いますが、この後にもどんどん、ヨーロッパ有数の学者たちが集まり、3年後の1885年にはアメリカ版SPR、ASPRも誕生しています。
マイヤースはこんな中で心霊現象の調査を進め、それまでは思考伝達など、いろいろな名前で呼ばれていた現象に「テレパシー」という名前を与え、supernormal(超常)という言葉を生み出し、当面は心霊現象を、生きている人の未知の力で説明しようとし始めました。彼の研究姿勢がよく分かる例を紹介しましょう。
ユーサピア・パラディーノ(Eusapia Palladino 1854–1918)という、とても問題のある物理霊媒がいました。彼女は管理された実験において、下記のような現象を起こしています。
- 物質に触れずにそれを動かす
- 自分自身の体重を含め、物質の重量を変化させる
- 冷気を発生させる
- ラップ、声、その他の物音を発生させる
- 粘土や石膏に、文字を書いたり、体の各部の刻印を表す
- ビームのような光を無数に発生させる
- 手だけを物質化させたり、もやもやとした身体、ときには全体像を物質化させる
(パラディーノと、実験中に動いているテーブル)
これだけ実力のある霊媒なのですが、若干品性がよろしくなくて、実験の監視が少しでも甘いと、すぐにイカサマをしようとするし、実際に何度もやってきているのです。反対派の人達は、一度でも不正を見つけると、やはり今までの現象はすべてイカサマだったのだと決めつけて、それで調査を止めます。しかしマイヤースとSPRの研究チームは、実験中に意識的に彼女の手足を自由にしてやることによって、どのようなときにごまかしが起きるのかを調査しました。その結果、マイヤースは「不正行為は、通常の意識状態と完全にトランス状態になっているとき、この両方において起きた」と述べているのです。
このトランス状態、つまり無意識の状態でなぜごまかしが起きるのかについて、パラディーノをパリに招待して調査した、SPRの会長を務めたこともあるカミーユ・フラマリオンは次のように言っています。
「実験の翌日、ときには翌々日まで彼女はよく体調を崩し、何を食べても吐いてしまう状態になる。そのため何らかの超常現象を要求されたとき、不正手段を用いてそれを実現することが可能であれば、多大な体力を消耗するよりはそちらを選ぶのではないかと推測できる。その方法なら疲れ果ててしまうことはないし、彼女自身も楽しめる。」
一方私は、これに対して違う考えを持っています。トランス状態の霊媒はいわば、「操り人形」です。そのため、否定的な考えを持った人が出席者にいれば、その意識の影響を受けるし、それに釣られて集まってくる悪意のある霊の影響も受けるでしょう。その結果として、時には不正を働くのではないでしょうか。こう仮定すると、他の様々な霊媒たち、極めて素晴らしい業績を残しながらも汚点のある霊媒たちが、なぜそうなったのかを理解できてきます。
マイヤースが同じように考えたかどうかはわかりませんが、少なくとも、トランス状態に出てくる自我は、表面の自我とは別のものだという仮説にたどりつき、それにサブリミナル・セルフ(subliminal self、閾下自我)という名前を付けました。この無意識部分の自我は、表面の自我とは違う考えをし、違う振る舞いをするし、しかもテレパシーなどの異常な力を持っている、としたのです。
これによって殆どの心霊現象は説明ができるので、SPRの中には、それなら死後の世界なんてないのでは、という考えに行き着く人たちもたくさん出てきました。とは言え、マイヤースの主張は、これですべての心霊現象を説明しようとするものではありません。彼は、簡単に死後の世界を認めてはダメで、とにかく学術的に考え、世間を納得させる必要があると考えていたのです。彼は自分の研究の集大成と言える本、全2巻からなる大著『人間の人格とその死後存続』(Human Personality and its Survival of Bodily Death 、死後刊行)を書き表しました。
この本は現在でも売られていて、マイヤースの息子が編集した要約版のkindleバージョンなら、無料で読めるようになっています。でも、要約とは言えかなりのボリュームがあります。私も頑張って読んでみたいとは思っているのですが、昔の英語で、しかもマイヤースが作り出した単語がたくさんあったりするので、かなりハードルが高いです。。。
マイヤースはこの本で、SPRが調べてきた中でも信頼できるいろいろな心霊現象を挙げ、それらが普通の自我によって起こされるのか、サブリミナル・セルフとテレパシーの力によるのか、もしくは亡くなった人間が関与しているのかを論じています。あちこちを少しだけ読んでみたところ、最終結論らしき箇所は発見できませんでしたが、マイヤース個人としては、晩年、死後の世界があることを確信していたのは確かです。彼はASPRのメンバーであるハーバード大学教授ウィリアム・ジェームズに、自分が先に死んだら霊界から通信を送ると言っていました。そしてSPRの物理学者オリバー・ロッジに密封した封筒を渡し、死後にその中身に関する通信を送ると約束して、1901年に亡くなったのです。