異世界こぼれ話 その十七 「人類史上最高の心理霊媒と、それに挑んだ研究者」 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

わかりやすい物理現象を起こす物理霊媒に対して、死者の声を伝える人を心理霊媒と言います。その中で歴史上最高と言えるのは、アメリカのレオノーラ・エヴェリーナ・パイパー(Leonora Evelina Piper、1859年 - 1950年)かもしれません。とは言え、前回のミラベリとは違って、彼女レベルの心理霊媒はそれなりにいると思います。ただ、パイパー夫人の場合には、科学者たちの調査に徹底的に、20年以上の間付き合い続け、その中で能力を示してきたという点で、やはり敬意を表したくなる霊媒なのです。

当時の新聞は、彼女に何か目立った動きがあるとこぞって記事にしていました。この画像はThe Cincinnati Enquirerという日刊紙の1907/7/7の記事です。「魂の不滅性を証明する実験」というタイトルがついていますが、丸く囲まれているのがパイパー夫人です。彼女がどれだけ優秀だったかというと、例えばこんな交霊会の記録があります。

サットン家の人々は可愛がっていた女の子を最近失い、我が子と連絡ができるのを期待しながら、パイパー夫人の交霊会に参加しました。ホジソンはパイパー夫人がどうやって事前にサットン家の情報を仕入れるのか、これを調べるために細心の注意を払いました。手紙はすべて読ませてもらったし、交霊会の三日前から彼女に新聞を読ませていません。パイパー夫人が外出するときには私立探偵に尾行してもらい、何があったかはみな報告してもらいました。ホジソンは交霊会の依頼者たちの名前も、皆仮名で伝えます。この状況で、詐欺が行なえるはずはありません。ホジソンはいつものように入念な準備をし、速記者を用意し、自信満々でサットン家の人たちの交霊会に挑みました。

パイパー夫人がトランス状態になると、その口から彼女の支配霊フィニューイの深くしわがれた声が現れました。彼女の通常の声と比べると一オクターブ半は優に下がっているその声が、明らかに女性の口から出てくるのは不思議です。この声の主フィニューイはかつてフランスの医者としてこの世に生きていたと言います。パイパー夫人の身体を借りたフィニューイ医師はこう言いました。

「小さな子があなたに会いに来ています。こちらへおいで。怖がらないで。いい子だ、ここに君のお母さんがいるよ」

突然パイパー夫人の声が甲高くなり、子供っぽい口調へと変わりました。

「パパはどこ。パパにも会いたい」

そう言ってパイパー夫人の身体を借りた何者かはテーブルにあった銀のメダルを手に取りました。

「これいいわ。噛みたい。早く!でないと口に入れちゃうわよ」

サットン夫妻は後に、亡くなった子がボタンを噛むのが好きだったことを認めています。
そのおちゃめな声はまた突然、しわがれた低い声になりました。

「ドゥードゥーとは誰です?」

この時点でサットン夫妻はもう確信していました。今パイパー夫人の口を借りて話していた子は確かに亡くなったキャサリンだと。彼女はお兄さんのジョージをドゥードゥーと呼んでいたのです!しかし残念なことにジョージはこの交霊会に来ていませんでした。

「ドゥードゥーに電話して伝えて。私は幸せよ……。私のためにもうこれ以上泣かないで、って」

パイパー夫人の口から出る声はまた子供になっていました。そう言ったパイパー夫人、いや、正確に言うとパイパー夫人の身体を借りた幼い子は、自分ののどを押さえてこう続けました。

「もうのどは痛まないわ。パパ、私に何かしゃべって。私のこと、見えない? 私は死んでないわよ。生きてる。おばあちゃんと一緒で嬉しい。ここにはもう二人。一人、二人、三人いるわ。一人は私より上で、一人は下」

キャサリンを知らない人にとっては何を言っているのか分からないこの話も、サットン夫妻には正しく理解できました。彼らの母、つまりキャサリンの祖母はだいぶ前に他界したし、キャサリンの前に失った子供が二人います。一人はキャサリンより年上、もう一人は年下でした。

「この小さな子の舌はとても乾いていたのですか? 彼女は自分の舌を見せ続けています」

パイパー夫人の口調はフィニューイのそれに変わりました。その質問にサットン夫人はこう答えました。

「あの子は死ぬ前、咽頭炎のため舌が麻痺していました」

ホジソンから故人を特定する情報を霊媒に与えないように注意されていたサットン夫人は、注意深くそう言いました。しかし、次のフィニューイの発言で、もうそうした気遣いはしなくてもよくなったのです。
    
「この娘の名前はキャサリンですね。自分のことをケイキーと呼んでいました。最近亡くなったばかりです」

フィニューイはそう言うと、キャサリンに口を譲ります。

「お馬さんはどこ?大きい方の。小さいのじゃなくて。パパ、お馬さんに乗りたい」

サットン家には小さな子が乗ることができるおもちゃの馬がありました。キャサリンは病床で何度も、この馬に乗りたいとせがんだものです。ホジソンの言いつけで発言に気をつけていたサットン夫人は、もう黙っていられなくなりました。

「キャサリン。病気で一階の部屋に移ってからのこと、何か覚えてる?」
「熱かった。頭がとても熱かったわ」

そう、キャサリンは死ぬ間際、ずっと高熱にうかされていました。自分が今話している相手がどこからどう考えてもキャサリンであることを再確認したサットン夫人は、思わず涙をこぼしていました。それに対してキャサリンはこう言ったのです。

「私のために泣かないで、悲しくなるから。エリノアは、エリノアはどこ?」
「ここよ」

同席していた妹のエリノアがそう答えると、キャサリンはこう続けました。

「Row, row。私の歌よ。一緒に歌おう」


Lightly row, lightly row, 

O'er the merry waves we go. 

Smoothly glide, smoothly glide, 

With the ebbing tide.

サットン家の人々は、パイパー夫人の口から聞こえるキャサリンの声に合わせて一緒に歌いました。この歌はその子が好きだった歌です。
 
「ダイナはどこ?」

もう一曲、自分が好きだった歌を歌い終えると、キャサリンは突然、自分の好きだったぬいぐるみの名前を言いました。

「ごめんなさい。今日は持ってこなかったのよ」
「バギーは?」

キャサリンは自分の姉マーガレットを愛称で呼び、こう伝えました。

「バギー、今度ダイナを持ってきて。ドゥードゥーに会ったら、愛してると言ってたって伝えて。ドゥードゥー。懐かしいわ。行進するといつも後を付いてくるのよ」

拙著「視えない世界はこんなに役に立つ」 第二章「超常現象は静かに、しかし確実に起きている」より

ホジソンというのは、SPRとASPRから彼女を研究するために派遣され、パイパー夫人を専任で研究していた人です。彼はとても疑り深く、心霊現象は基本的にすべてトリックだという姿勢で調査に挑んでいました。ホジソンは、当時隆盛を誇っていた神智学のブラヴァツキー夫人を調査して否定的な報告書を提出したことで有名ですが、現在のSPRでは、ホジソンの初期のレポートは偏見に満ちていて、信頼性に欠けるという意見が出ています。

それにしてもブラヴァツキー夫人は、どの写真を見ても迫力があり過ぎる。。。

 

それほどすべてに否定的だった彼は、パイパー夫人が通常の手段で依頼人に関する情報を得ている可能性を、徹底的に調べていきました。あるときは、彼女を身の回りの人から引き離すために、単独でイギリスに招待しています。滞在中の行動はすべて前もって計画され、生活には常にSPRのメンバーが同行し、SPRの管理下で88回の交霊会が持たれました。それでも、信じられないほど正確な情報がパイパー夫人を通じて流れ続けたのです。

 

SPRが設立された1882年、設立者の一人であるフレデリック・マイヤースが、それまでは思考転送(thought-transference)と呼ばれていた概念に、テレパシーという新しい言葉を与えました。ホジソンはパイパー夫人の能力が偽物ではないとわかってくると、このテレパシーの概念を持ってきました。パイパー夫人がトランス状態、つまり全く意識がない状態にあるときに、彼女は交霊会の出席者たちの心を、またそのとき何百キロも離れたところにいた人たちの心を読んでいると主張し始めたのです。

 

その後、このテレパシー仮説は間違いで、実は素直に亡くなった人が話してきているのだという結論にホジソンが至ったのは、調査を始めてから10年後のことでした。しかもその結論を得られたのは、幸運にも、ホジソンの友人の一人ジョージ・ペリューが亡くなり、彼がパイパー夫人を通して現れたからです。ちなみに、著書にはジョージ・ペラムと書きましたがこれは仮名で、本名はペリューです。話はずれますが、支配霊フィニューイ(Phinuit)の発音は、パイパー夫人が話すときは「フィニー」だったことが最近わかりました。人の名前の発音は難しいです。

 

さて、ホジソンは何ヶ月かにわたって、延べ一五〇人の人たちをトランス状態のパイパー夫人に紹介してきました。このうちの三〇人は生前のジョージ・ペリューと面識があり、他の者たちは一度も彼に会ったことがありません。ペリュー(パイパー夫人)は、一人の女性を除いて残り二九人を即座に分かり、姓よりも名で呼ぶほどの親しさを見せ、生前の思い出を語り合って旧交を温めました。しかし、その一人はどうしても心当たりがないと言います。それもそのはずで、ペリューがその女性に会ったのは、彼女がまだ幼い子供の頃だったのです。

 

ペリューが出てくるようになってからさらに二年間研究を続け、ホジソンはやっと、パイパー夫人の身体を使って連絡してくるのはその存在が主張している通りの故人である、と結論しました。

 

しかし、強固な反対派は、パイパー夫人から出てきているのはあくまで、潜在意識が生み出した副人格で、それが異常な力を持っているだけで、故人などではないと主張し続けました。そうなってしまう理由の一つは、やはりこれだけすぐれた霊媒でも、好不調の波があるからです。しかも彼女の場合、何かと、敵意むき出しの調査者が交霊会に同席していました。こうした現象は、その場に誰がいるかによって品質が変わってしまいます。

 

例えばこんな風に考えてください。ある野生動物の生態を観察したい場合、その動物を実験室に連れてきて、たくさんの人が見守っていたら、いつものような生態が観察できるでしょうか? それでも長期間かけて信頼関係を築けば、野生のような生態を見せるかもしれません。でもそこに、その動物に敵意を持った人が入ってきたら。。。

逃げのように聞こえるかもしれませんが、敵対者がいればそれだけ正しい結果を出しにくいのは、実は当たり前なのです。そして支配霊のフィニーがまた、時々失敗してしまうと言わざるを得ません。

 

例えばリッチという人がフィニーから、古い友人のフランク・レノックスの近況を近々聞くだろうと告げられた際、リッチは、フランクは今でもカルフォルニアにいるのかと聞きました。それに対してフィニーは、彼は海を渡って行ったが、その先は「Al – Aul – Aula」「これはなんと呼べばいいのだろう?」と言いました。そこへリッチが「Austraria?」と言うと、フィニーは戸惑いながらも、「そう、オーストラリア」と言ってしまいました。しかし後に、フランクが行った先はアラスカだとわかったのです。

 

パイパー夫人を調べていた人たちは筋金入りの否定派なので、こんな風に答えてしまうと、それだけでもう信頼性が薄れるのです。分からないことは分からないと言わないとダメなのですよね。ちなみに霊たちはどうも、固有名詞を得るのが苦手みたいです。理由はおそらく、言葉ではなくイメージの伝達のような方法で連絡をとっているからでしょう。なお、霊から霊媒に伝わるのも、こうしたイメージのようなものです。それを霊媒の脳が「翻訳」して、初めて言葉になるのです。

 

フィニーにはもう一つ難点があります。彼はフランス人で医学を学んでいたということなのですが、パイパー夫人の身体を借りて処方した薬のフランス語名、ラテン語名が言えなかったり、そもそも、フランス語をあまり話せませんでした。SPRのウィリアム・ジェームズは、自分とフランス語で話せないフィニーとの会話を「tiresome twaddle(面倒で、どうでも良い些細なことや愚かなことを言ったり書いたりする)」と評しています。


(ウィリアム・ジェームズ(William James、1842年1月11日 - 1910年8月26日)は、アメリカ合衆国の哲学者、心理学者)

 

でも、フランス人の霊の言葉をフランス語で伝えられるかどうかは、霊媒の能力に寄ります。実際のところ、フランス人の霊がフランス語を話せなくても、全く問題はないのです。そもそも、霊が霊媒に伝えているのは言葉ではないのですから。それにしても、フィニーがフランス語をうまく話せなかったということは、パイパー夫人のトランス状態は、それほど深くなかったのかもしれません。前回紹介したミラベリは何ヵ国語も話しましたが、ある程度以上の深いトランス状態でないと、本人の知らない言語を話すまでには行かないのだと思われます。

 

フィニーには更に難点があります。彼のフルネームはJean Phinuit Sclivelle、フランスのメスに住んでいて、1860年頃に亡くなり、Marie Latimerという奥さんが居たとの主張ですが、これを確認できた研究者はいません。ただし、1870年の普仏戦争によって、記録が失われた可能性はあります。

 

とは言え、このように色々な難点はあるものの、フィニーの故人の情報をとってくる能力は、確かなものです。例えばあるとき、デトロイトからパイパー夫人を予約なしに訪れたカップルがいました。フィニーは名乗ってもいない彼らをフランクとメアリーと呼び、ある女性のフルネームと共に、その人からのメッセージを伝え始めました。実はその女性は、彼らの最近亡くなった叔母だったのです。

 

こうした数々の記録は、フィニーを酷評しているウィリアム・ジェームズにテレパシーの存在と、それを使いこなす人格が人間から生まれることがあるのを確信させました。ジェームズ教授はあるときこう言っています。

 

「私はパイパー夫人が、目を覚ましているときにはどうしても手に入れることのできない知識を、トランス状態になると得ていることに、絶大なる確信を持っている」

 

パイパー夫人はまた、ホジソンと、彼の死後に続いた研究者ヒスロップには、死後の世界が存在するという確証を与えたのです。ジェームズ・ヒスロップは、最初の新聞記事でパイパー夫人の右側に写っている人です。

 

ところで、ホジソンは、彼女の研究によって死後の世界を認めた後、ある日、スポーツをした直後に突然の死を迎えてしまいました。その後間もなく、彼はパイパー夫人から出てきます。ホジソンは死後の世界について、さらにたくさんの情報を伝えてきましたが、自分のことをホジソンだと認めないものが何人かいるのに気づいて驚きました。かのジェームズ教授はこう言っています。


「そう、この情報を送ってきているのは多分ホジソンなのだろうが、私にはあまり確信がない・・・」

 

パイパー夫人の身体を借りたホジソンは、これを聞いて憤慨していたと言います。

 

パイパー夫人はその生涯を研究のために捧げました。とは言え、いつまでも死後の世界を認めようとしない研究者たちに苛立って、もう協力はしないと、何度か宣言したようですが、そのたびにホジソンや他の研究者に説得されて、また続けたとのことです。

 

死後の世界があるかないかというのは、もはや宗教のようなもので、ないと信じている人たちには、よほどの証拠があっても通用しないのです。しかし、そんな研究者たちをも納得させようとする実験が、1900年代に霊界側から始まりました。「交差通信」と呼ばれる、各国の霊媒に切れ切れの情報が送られてきて、それらを合わせるとやっと意味がわかるようになる通信が始まったのです。ホジソンが亡くなった後しばらくして、パイパー夫人もこの現象に巻き込まれていきます。

 

交差通信について語るには、フレデリック・マイヤースを紹介しなければなりません。次回は、マイヤースと交差通信について書きましょう。