里奈子が僕たちに贈ってくれたメッセージ | SIVA CREATE STUDIO

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S.C.Sのブログ

里奈子ちゃんは、11才の誕生日の1週間前に、天国に旅立ちました。

彼女は、ボクの心友まなぶーの、いとこさんの娘です。


まなぶーからのメッセージ

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今何かに悩んでいたり
つまずいている人に
何か感じるメッセージになるのでは・・・
と想いメールしました。


追伸
わたしは、理奈子の病気を知ったときに
里奈子に元気を届けたいと想いました。

でも・・・どんな言葉をかければいいのか??


一生懸命に生きている彼女たちに
がんばってなんて声などかけられませんでした。



てんつくの話や杉浦貴之の話しや

ご縁のある変わった人たちの話をすると・・
ゲラゲラと笑ってくれました。


僕は、同じ悩み痛みを持っている人からの
言葉や姿が理奈子に元気とパワーを与えるんだと想い


それから会いに行くときは

彼らがTVに出てる映像やDVD
手書きのメッセージを持っていきました。

MAXやせいちゃんは快くメッセージを書いてくれて
感謝でいっぱいです。

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そして、いとこさん、里奈子ちゃんのお母さんの手記を、
転載します。

少し長いですが、最後まで読んでいただけたらうれしいです。
そして、なにかをかんじてください。





----------------手記---------------------


お心ある皆様方へ
はじめまして
愛知県知多郡在住の 磯部と申します
この度は この手記をお受け取り下さいまして 本当に有難うございます
私共の次女 理奈子は 平成22年4月8日 静かに眠りに就きました
小児癌でした
「必ず元気になる!」と100%の希望を持って 共に一生懸命 治療に専念致しましたが 残念ながら 望みは叶いませんでした
11歳の誕生日を1週間後に控えていましたが 祝ってあげることの出来ないまま
旅立ってしまいました
娘のいない寂しさは 今も 癒えることはありません
でも 娘は 私共に 大切なメッセージを たくさん遺していってくれました
もし 元気だったら 小学5年生になります
10歳の子供でも 私共家族に 多くのことを教えてくれました
そして その命懸けのメッセージを 私共だけでなく お一人でも多くの方にお伝えしたい
そう強く願っているのではないだろうかと 思えてなりません
娘の想いを受け止めて下さる方が お一人でもいてくださるのなら
「理奈子が頑張って生きた意味 生きた証を 見出せるのではないか」
そんな気がして 親の自己満足とは思いつつ 又 厚かましいと思いながらも
娘のことをお伝えしたいという 内からの衝動を抑えることが出来ませんでした
どうか 理奈子の想いが 皆様のお心に届きますように
そう願いながら 娘と歩んだこれまでの道のりを 次頁に綴らせて頂きました
長文で 誠に申し訳ございませんが ご一読頂けましたら 大変幸いに存じます
事実をありのままにお伝えしたため お読み頂くなかで いたたまれない表現だと
お感じになられることがあるかもしれません
どうかお許しください
この度は 本当に有難うございました
磯部 悟・真木




理奈子と共に 歩んだ11年間

<平穏な日々・・・>



11年前の4月15日 理奈子は元気に産声をあげました
赤ちゃんの頃から食欲旺盛で 体格も良く 元気そのものでした
幼少時代から活発で 色々なことに興味を持ち 工作 楽器 絵 習字など
何でも器用にこなしました
特にピアノやトランペットなどを奏でることが大好きで 私達によく聴かせてくれました
又 花を愛でる優しい子で 生け花も楽しみました
たくさんのお友達に囲まれながら よく学び よく遊び 充実した毎日でした
大好きな犬たちと戯れ 楽しく 平穏な日々が 当たり前のように過ぎ去りました

<発病>

2年前の小学3年生の秋 運動会が終わって間もなくのこと 突然 理奈子が右太ももの
痛みを訴えはじめました
病院でレントゲンを撮りましたが 結果は「異常なし」でした
でも痛みは少しずつ強くなり とうとう夜も眠れなくなりました
計4箇所の病院を転々とし 検査を繰り返しましたが 原因が分からないまま
不安な半年が いたずらに過ぎていきました


<病気の発覚>


昨年の4月 大学病院で体内の異常が見つかりました
診察室に緊張が走りました
お医者様は ただならぬ慌てた様子で 急かすようにそれまでの経過をお尋ねになりました
そして 即 検査入院となり 様々な検査をしました
しかし 何か重大な病気であることは分かっても その病名が何なのか
原因はどこにあるのか なかなか特定することが出来ず 胸が締め付けられる想いでした
そして 3週間かかって ようやく下った診断は「ウイルムス腫瘍」という
小児の腎臓ガンでした
左の腎臓が 腫瘍の塊となっていて 全摘出せざるを得ない状況でした
そして この時点で既に あちこちに転移していて ステージ4という段階でした
肺には病巣が10個 そのうち1つは直径が5センチもあり
子供の小さな気道を いつ塞いでもおかしくない という状況でした
骨にも転移していました 腫瘍が恥骨を取り巻き 骨がもろく溶けかかっていていました
右太ももの痛みは 恥骨への転移が原因だったと このとき初めて分かりました
お医者様方によれば 恐らく幼い頃から長い歳月をかけて 病は進行していたのではないか とのことでした
それまでの穏やかな日々が嘘のように ガラガラと音をたてて崩れるのを感じました
崖から突き落とされたように愕然とし 夢なら覚めて欲しいと何度も思いました
ギリギリの精神状態の中で 私は 自分自身に強く言い聞かせました
「この子の病気を絶対に治す! この子が元気になるまでは泣かない!
泣いている暇があったら 有効な治療を一つでも多く探し出して
一日でも早く 家族の幸せな生活を取り戻すんだ!」
そう決意して 折れそうになる自分の気持ちを 何度も何度も立て直しました


<苦悩の決断>


ウイルムス腫瘍は 比較的 治癒率が高いということで 希望を持っていましたが
摘出した腎臓を調べてみると 理奈子の場合は 抗がん剤や放射線などの標準治療が
効きにくい「予後不良型」であることが判りました
ウイルムス腫瘍の年間発症数は 国内で50~100例と言われています
そのうち8割~9割が 標準治療が有効な「予後良好型」です
しかし 残りの1~2割は治療成績の良くない「予後不良型」なのです
更に 骨に転移するのは1%未満とのことで 極めて珍しい症例であることがわかりました
大学病院でも 何年も前に「予後不良型」のお子さんを治療されたそうですが
残念ながら その方は亡くなられたとのことでした・・・
随分思い悩みましたが 様々なお医者様方のアドバイスを得て 考え抜いた結果
在宅で治療することに決めました


<9ヶ月間の自宅療養>


思い切って病院を出たものの 心の内は不安で一杯でした
有効な治療を探すのに必死でした
藁にもすがる思いで 有効な情報を集めました
そして幸いなことに 日本中の素晴らしいお医者様方 治療家の方々と巡り会えました
北から 新潟 東京 浜松 名古屋 京都 岡山 大分 福岡・・・
京都のお医者様に 主治医として 心ある細やかなご指導を頂きながら
地元のお医者様 治療家の方々や 全国各地の諸先生方に 随分助けて頂きました
免疫細胞療法を始めとする 代替補完医療を数多く取り入れ 2月に再入院するまでの
9ヶ月間 理奈子が一番安心できる我が家で療養することができました


<家族と過ごした日々>


幸い 昨年12月までは体調も良く 通院の合間を縫って 穏やかな毎日を過ごすことが
できました
お料理 お菓子作り 水彩画 編み物 ピアノ 生け花 手芸 パズル・・・
本人がやってみたいことを 可能な限り どんどんさせました
作曲もしました
主人の母が詩を作り 理奈子が曲を添えて オリジナルの曲がいくつも出来上がりました
今思えば 命と向き合いながら 家族とのささやかな幸せを胸一杯に感じられた日々でした


<痛みとの闘い>



理奈子も 私共も 「絶対に治る!」と信じていました
「100%の希望と 愛情と 感謝を貫き 奇跡を呼び込む!」
そう信念をもって 有効な治療を探し続け ありとあらゆる 代替補完医療を行いました
でも 子供であるが故なのでしょうか
進行が早く 病魔の勢いを止めることが出来ませんでした
昨年12月末から 右太ももの痛みが強くなり 寝て過ごすことが多くなりました
それまで自分を励まし 懸命に頑張っていた理奈子も 弱音を吐くようになりました
「どうして理奈子だけが病気になってしまったの?
こんな毎日で何も楽しいことがないよ
神様は理奈子のこと 忘れてしまったのかな・・・」

娘が不憫で 胸が押し潰されそうでした
私は心の中で手を合わせながら 「今は辛くても 必ず良くなるからね! 大丈夫!」
そう励まし続けました


<壮絶な苦しみ>


そして今年の2月 それまでの鎮痛剤では 痛みを抑えきれず
麻薬系の薬に頼らざるを得なくなりました
更に 下腹部に広がる腫瘍の圧迫で 尿道が塞がり おしっこが出にくくなりました
膀胱も圧迫されているせいで 常に尿意があり 不快感が続きました
痛みに耐えて 泣きながら車椅子に乗って 一日に何十回も お手洗いに駆け込みました
自然に排泄できる有難さを このとき初めて 理奈子に教えてもらいました
急激に体調が悪化したことで 夜も眠れない日々が続きました
目の前で 我が子が苦しむ様を見なければならないのは まさに生き地獄でした

「こんな体で生きている意味があるの? 理奈子の体はどうなってしまうの?
ママ 怖いよ! こんな毎日なら 死んでしまった方がいいよ!
ママ お願いだから 理奈子のことを殺して!」


そんな辛い叫び声が 家の中に響きました
苦痛 恐怖 不安・・・ 肉体的にも 精神的にも 耐え難い 重苦しい日々でした
それでも私達は希望を持ち続け 更なる有効な治療を探し求めました
そして2月の半ば やっとの思いで 新たな治療を見つけました
お医者様方も「これで挽回できますよ!」と言ってくださり 希望の光を見出すことが
出来ました
治療を受けるため 長野県立子供病院に向かう準備を進めました
しかしながら 理奈子の体は 既に限界でした
麻薬の服用を以ってしても 痛みのコントロールが出来なくなっていました
そしてとうとう 1滴のおしっこも出なくなりました
それまで入院することを固く拒否していた理奈子も 限界を感じたのだと思います
私達の求めに応じ 以前お世話になった大学病院へ 救急車で向かいました


<病院での41日間>


診察後 即入院となり 尿道にカテーテルが通されました
点滴で 痛み止めの麻薬が 24時間投与され 寝たきりとなりました
でも 私達は 強い希望を持っていました
「痛みのコントロールさえ出来れば 長野に行って治療が受けられる!」
一日でも早く退院しなければと 必死でした
しかしながら 事態は逆行し 免疫力も 食欲も どんどん落ちていきました
骨盤部の腫瘍は 最終的に 20センチ以上にもなりました
右足へ流れる 神経 血管 リンパ を圧迫し 右足は左足の5倍にも6倍にも腫れ上がり 完全に麻痺し 身動きが取れなくなりました
尿道だけでなく 腸も圧迫され 自力で排泄することは困難でした
痛みも極限でした モルヒネを毎日増量しても なかなか苦痛からは解放されませんでした
ほんの少しの刺激が 理奈子にとっては 泣き叫ぶほどの痛みとなりました
私達は 理奈子の体に触れることは勿論 ベッドの柵に触わることも
かぶっていたタオルケットを ほんの少し持ち上げることも出来ませんでした
姉弟が面会に来ることも 私達が話しかけることさえも 理奈子にとっては負担でした
でも私は 何とか理奈子を勇気付けたくて 病室で何が出来るか考えました
そして息子に「季節の草花を摘んで 病院に届けてほしい」と頼みました
たくさんの花達が 命のエネルギーと共に 病室に届けられました
その中から可愛らしい花を一輪選んで
「お花さん どうか理奈子を励ましてください」と 想いを託しました
その一輪を理奈子に差し出すと にっこり嬉しそうに微笑んで 右手で優しく握りました
そして 花に優しく励まされながら 静寂の中で 一日一日を 精一杯過ごしました
一輪 しおれてはまた一輪・・・ 花に癒してもらう日々が続きました
痛いところを撫でてあげたいのに撫でられない 抱きしめたいのに抱きしめられない・・・
そんなもどかしい気持ちを 押し殺すしかありませんでした
そんな私の想いを察したのでしょうか
理奈子がこんなことを言ってくれました

「ママ、理奈子のこと 抱っこしたいんでしょう
お母さんはみんな 子供のこと 『抱きしめたい』って思ってるんだよね
でも 今 痛いから 抱っこさせてあげられなくて ごめんね・・・」


自分のことで精一杯でもおかしくない状況にありながら いつも私や主人 姉弟のことを
気遣う子でした 私にはもったいない言葉でした
私は泣くのをこらえながら 言いました
「元気になったらいっぱい抱っこするからね 今は心の中で抱きしめているから大丈夫!」


<理奈子のつぶやき>


ある晩 理奈子はウトウトしながら こんなことを言いました

「みんな それぞれ 大変なことや 問題を抱えていて
それらを解決しようと 一生懸命 頑張っている
問題の中身は違っても 頑張っていることは みんな同じ
大変なこと 辛いことを 乗り越えていくのが 人生なんだよ
理奈子だけじゃなくて お姉ちゃんだって おばちゃんだって
みんな 問題を何とかしようと 頑張ってるんだよね
それを乗り越えられたとき 夢が叶ったっていうこと
これまで 恥ずかしくて言えなかったけど 今は言える
パパ ママ 産んでくれて ありがとう」


10歳でありながら 生と死に 真っ直ぐ向き合っていました
自分は何のために生まれてきたのか どうして自分だけが病気と闘わなければならないのか
こんな体で生きている意味があると言えるのか・・・
壮絶な闘病生活の中で 想像を絶する痛みに耐えながら 自問自答した末の人生を達観した言葉でした
そして 思いもかけない「ありがとう」という言葉に 私達の心の方こそ 理奈子への感謝で満たされました


<二度のケイレン>


3月31日 亡くなる8日前 理奈子が突然叫びました

「ママ、目が見えない!! 怖いよ!!

動揺する気持ちを抑えてナースコールし 理奈子の手を握り 声を掛け 励ましました
数分後 顔面にケイレンが起こりました
数十秒で治まり ほっとしたのもつかの間 15分後に再発し 今度は右手 続いて左手
にもケイレンが始まりました
ケイレン止めの薬が投与され まもなく治まり しばらく眠りました
私は極度の緊張状態の中にありました それでも「私がしっかりしなければ!」と
「大丈夫!必ずよくなる!」と自分自身に言い聞かせて 理奈子を見守りました
翌日 残念ながら また同じことが起こってしまいました
ケイレン止めの薬で治まったものの 理奈子の様子は明らかに違っていました
瞳を大きく見開いたまま 視線が合わず 意識が遠のき 反応が全くなくなりました
体も動かなくなりました 植物のように・・・
大学病院のお医者様に告げられました
「このような状態になったら もう 元の理奈子ちゃんには戻らないと思います」
そうはっきり言われても 私は諦めきれませんでした
「そんなはずはない!理奈子は必ず戻ってくる!」そう信じて励まし続けました
「大丈夫だよ!! ママは理奈子の生きる力を信じているよ!!」
でもやはり反応はありませんでした
聞こえているのかいないのか それさえも分かりませんでした
気持ちを伝え合えるということが どれだけ有難いことなのか 痛感しました
まだまだ伝えたいことがあったのに・・・
話したいこと 聞きたいことも たくさんたくさんあったのに・・・
大切な人と 想いを伝え合いたい たったそれだけのことなのに 叶わない・・・
こんなことになるなら たとえうるさがられても 毎日毎日伝えておけばよかった
悔やまれてなりませんでした
でも まだ この子には命がある・・・!!
苦しい中でも 目の前の理奈子の 命の鼓動が 一筋の希望の光のように感じられました


奇跡的な回復>


4時間後 奇跡が起こりました!
瞳がかすかに動いたような気がしました そして間もなく まぶたが確かに動きました
そして 時間とともに みるみる回復しました
首を縦に振ってうなずき 「大丈夫だよ」と言ってくれました
理奈子が帰ってきてくれた・・・!!心から感謝し 有難い気持ちで胸が一杯になりました
お医者様も驚かれていました
「理奈子ちゃんの生命力ですね!」
ただ ケイレンの影響なのか 記憶が随分と欠落していました
精神面は 幼少期に戻ったように幼く 4~5歳に感じられました
受け答えにもかなり障害がありました 知的障害というのでしょうか
でも そんなことは 取るに足らないことでした
たとえこのまま 障害が残ったとしても そのままの理奈子で十分でした
私達の理奈子がここにいる! ただそれだけで 十分幸せでした
その後 喜ばしい変化に気付きました
気持ちがとても穏やかに落ち着き 不安や恐怖から解き放たれたようでした
こだわりや執着がなくなり ますます純粋で 素直になりました
自分の体に対して 感謝するようになり 私達や周囲の人たちとの会話を楽しみ
「ありがとう!!」としきりに言うようになりました
それまで口に合わなかった栄養剤も ごくごく飲めるようになりました
一番驚いたのは 痛みからの解放でした
前月3月18日から4月7日まで 岡山の気功の先生に 頻繁に治療にお越し頂きましたが それまで毎日のように増量していたモルヒネを 3月20日を最後に増量せずに済むようになっていました
そして ケイレンが更なるきっかけとなったのかどうか 分かりませんが
痛みが殆どなくなり 気持ちも随分と落ち着き 新たに生まれ変わったように思えました
ここからが 本当の回復への道筋に思えました
大学病院の先生に モルヒネの量を減らしてもらうよう 思い切って懇願し 幸いにも
受け入れて頂きました


<一難去って また一難・・・>


そして間もなく 普通に会話出来るようになり 以前通りの理奈子に戻る事ができました
気持ちも明るく前向きになりました これで順調に回復すれば 長野に治療に行ける!
そう希望を持って また新たな気持ちで二人三脚をしていこうと 希望で一杯でした
でも 現実はそう簡単にはいきませんでした
今度は日に日に 肺の正常な部分が 少なくなっていきました
酸素マスクをあてて 息を吸うこと 吐くこと・・・ リズムを整えて ただそれだけに
全神経を集中していないと 血中の酸素濃度が低下し 苦しくて仕方がないのです
大きな試練でした・・・
「空気さん どうか 少しでも理奈子の体に入ってください 命をつないでください」
そう祈りながら 理奈子を励まし続けました
呼吸の仕方を教わって 何度も練習しました
息を吸って酸素を体内に取り込むという 意識せずに出来ていたこの単純で当たり前の事が こんなにも難しく大変で 且つ命に直結する重要なことだったのかと思い知りました


<理奈子の言葉>


4月3日 亡くなる5日前 理奈子が 驚くようなことを言い出しました

「理奈子ね すぐによくなるよ
今ね 楽しいの これまですごく怖かったけど 今は怖くない
心はもう元気なの だから あとは 体だけなの
理奈子 幸せなんだよ


この時 理奈子に許されていた自由は かろうじて息をすること 時折水分補給をすること そして 壁に貼られた大好きな犬達の写真を見ることくらいでした
そんな理奈子のそばにいられる私の方こそ「本当に幸せだ」と毎日手を合わせて感謝をしていましたが 私が自分のことを「幸せだ」と言うレベルは 理奈子のそれには 到底
及ばないと思いました
10歳でも 私にとっては人生の先生でした
多くを語らなくても 身を以って 大切なことを たくさん教えてくれました
4月4日 亡くなる4日前にはこんなことも言ってくれました

「パパ ママ ありがとう
パパとママのおかげで 理奈子の人生 変わったよ!
今 とても いい感じなの ありがとう!」


理奈子の横顔は まるで大仏様のように気高く穏やかで 私は思わず手を合わせていました


<最後の言葉>


理奈子の全身の状況は 決して楽観できるものではありませんでした
でも「希望を持ち続ける限り 道は必ず拓かれる!」と信じていました
実際 血液検査の結果もようやく改善し どん底から抜け出せたように感じられました
京都の主治医のお医者様 各地の治療家の先生方が 力強く支えて下さり
どんな困難も乗り越えられると 明るい将来を強く信じていました
4月8日 本当に残念でなりませんが とうとうその日がきてしまいました
意識がだんだん遠のきながらも 理奈子は 思い残すことは何もないという
はっきりとした口調で 何度もこう言いました

もうこれで いいの! もう 十分なの!
パパ ママ 本当に 本当に いいんだよ!


痛みと苦しさに耐えながら 「全力で 精一杯 生き抜いたんだ」という
10歳にしては 潔すぎる言葉でした 私達は諦めきれず
「そんなこと言わないで! 元気になってまたお家に帰ろうよ!」と何度も引き止めました
そんな私たちの気持ちを汲んでくれたのでしょうか

「お家に帰りたいよ

最後に ささやくように言ってくれました
主人と私で 理奈子の両手両足を握り締め ただひたすら励ましていましたが
いつのまにか呼吸が停止し 間もなく心臓も停止していました
私は そのことに全く気付かず ずっと 理奈子を励まし続けていました
心臓マッサージをしてくださっていたお医者様がおっしゃいました
「お母さん 心臓が停止して もう15分経過しましたよ
もうそろそろ やめてあげませんか マッサージも理奈子ちゃんにとっては辛いんですよ」
そう言われて 初めて「まさか」のことが起きてしまったと知りました
もう出来ることは何もないのか 自分はなんて無力だったのかと 呆然とし
悔しさと 悲しさと 苦しさと 申し訳ない気持ちで一杯になりました
私は初めて声をあげて泣き 安らかとなった理奈子の体を 強く抱きしめました


<幸せはここにある・・・>


理奈子は 本当によく頑張ってくれました
この一年 理奈子と共に 密度の濃い時間を過ごす中で 私達はとても多くのことを
理奈子に教えてもらいました これまで 自分達がいかに幸せで それに気付かず過ごしていたか 健康で普通に暮らせることが 当たり前ではない ということを実感しました
自分の足で立って どこへでも好きなところへ行けること
ご飯をお腹いっぱい食べられて それが自然に消化 吸収され 排泄されること
呼吸が楽にできること
痛みがないこと
家族が一緒に過ごせること
目の前の大切な人に 言葉で想いを伝えられること
大好きな人をギュっと抱きしめられること・・・
これらは理奈子にとって 叶えることが難しい 理想の状態でした


<理奈子の想い>


理奈子は 平和と調和を愛する 心優しい子でした
自らの命を以って 私達家族や皆さんに こんな事をお伝えしたかったのかもしれません
皆さん それぞれ 何かしら 問題をかかえていらっしゃることでしょう
あるいは 満たされない毎日に 不満を持ったり
いつ どうなるか分からない将来に 不安を抱いたりされているかもしれません
でも 皆さんは 少なくとも 私にとっては 理想の状況にあります
意識しなくても呼吸ができ 心臓が動き 命を保つことが出来ていると思います
少し見方を変えて頂ければ 幸せを感じて頂けるのではないでしょうか
「恵まれた状態で生かされている」 そう感じて下さったなら
皆さんのことを大切に想う 心温かい方々に 感謝できるでしょうし
無償で与えられている空気や 太陽の恵み 自然の恩恵にさえも
手を合わせることが 出来るかもしれません
人の世は「無常」だと言われます 明日はどうなるか 誰にもわかりません
私たちにも 無常の風が 突然吹きつけ 悲しい別れが訪れました
だから 今 皆さんの周りにいらっしゃる 大切な方に
どうか 皆さんの 温かいお気持ちを 伝えて差し上げてください
「ありがとう」 「感謝しているよ」 「大好きだよ」 「愛しているよ」と
言葉で 伝えて差し上げてください
そして 目の前にいる その大切な方を ギュっと 抱きしめて差し上げてください
それが出来るということが どれだけ有難く 幸せなことか 私たちは痛感しました
愛の言葉 感謝に満ちた言葉で 皆さんと 皆さんの大切な方々が 少しでも
幸せに包まれたなら 今度は その幸せの輪を 少しだけ 外へ広げてみて頂けませんか
幸せの輪が 少しずつ大きく広がれば
そこはきっと 優しく平和な社会に 一歩でも 近づくのではないでしょうか
少し 大袈裟かもしれませんが 皆さんお一人お一人が 社会の一員なのですから・・・
未熟な私が 生意気を申しまして 本当に申し訳ございません
理奈子の想いをお伝えすることが 今の私にとって 娘のために唯一出来ることです
最愛の娘に先立たれた母親の 切なる想いと思って どうかお許しください
理奈子が旅立った4月8日は 花祭り お釈迦様の御誕生日です
きっと高いところから 私共を見守ってくれているのではないかと思います
皆様の人生が 益々お幸せで豊かでありますよう 理奈子と共に 切に切に願っております
幸せは すぐそばにある ここにある・・・そうお感じ頂けましたら 大変幸いです


最後までお読み頂きまして 本当に有難うございました
心より 感謝申し上げます



磯部 悟・真木

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たくさんの方に読んでいただけたら、さらに幸いです。

ありがとうございました。