「弱きを助け強きを挫く」ご存知新門辰五郎 | 劇団岬一家みんなのDODODO

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弱きを助け、強きを挫く

幕末の侠客の一人、新門辰五郎。

 

※侠客(きょうかく)とは

「弱きを助け、強きを挫く」

という心持を持つ人のこと。

男気などとも言われる。

 

 

 

今日も読んでいただき

ありがとうございます。

感謝しています ^ ^

 

今日一日みなさんが

少しでも笑顔で

ありますように ^ ^

 

こんにちは。。。

キャベツ寛太郎です ^ ^

 

 

新門辰五郎(しんもんたつごろう)

1800年(寛政12年)下谷山崎町の

(東京都台東区下谷)

飾り職人の子として生まれる。

 

 

幼少期に実家が火事になり父が焼死。

 

辰五郎の家から出火し

近隣にも迷惑をかけてしまった。

 

このことに責任を感じ

浅草十番組「を組」の頭

町田仁右衛門の元に身を寄せ

火消になったとされる。

 

 

 

新門辰五郎の誕生

 

辰五郞の名が世に広がったのは

1821年頃、火災現場で「を組」の

纏を立てたところ、大名火消しが

「を組」の纏を倒しました。

 

これを良く思わなかった辰五郞は

大名火消しを纏ごと転落させました。

 

・纏についてはこちら

江戸の火消事情「江戸三火消」(その壱)

・大名火消についてはこちら

江戸の火消事情「江戸三火消」(その参)

 

 

それを見た「を組」の頭

町田仁右衛門。。。

慌てて仲裁に入りましたが

大名火消しは、下手人(げしゅにん)を

出すようにと告げます。

※下手人とは

犯行を犯した者、犯人のこと。

 

 

辰五郞は大名屋敷へ出向き

あぐらをかき、啖呵(たんか)を

切ります。。。

 

大名屋敷にいた者達は

この辰五郞に圧倒され

何もできませんでした。

 

 

大名屋敷まで行き

一歩も退かず己を貫く。

この男気が、瞬く間に

広がり、みなさんご存知の

辰五郎となります。

 

 

その後、浅草伝法院の

新門警護を命じられ

“新門辰五郎”と名乗る

ようになったと言われています。

 

 

 

ちなみに、、、

 

火消=め組

 

め組=新門辰五郎

 

これは間違いです(^_^;)

 

確かに「め組」には

辰五郎という人物は

いますが、め組の辰五郎は

新門辰五郎とは別人です。

 

 

 

ということで今回は

「「弱きを助け強きを挫く」ご存知新門辰五郎」

でした ^ ^

 

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それでわぁ~

キャベツ寛太郎の写真館♪

 

劇団岬一家総舞踊を

舞台袖から盗撮 ^ ^

以上キャベツ寛太郎の

写真館でしたぁ~♪

 

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それでは今日はこのへんで

最後まで読んでいただき

ありがとうございます ^ ^

 

今日もこうして読んで

いただけたことに感謝しています

また次回お会いしましょう ^ ^

 

キャベツ寛太郎でした ^ ^

 

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