四知書屋 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○昨日、ブログ『澹泊敬誠殿』を書いて、「澹泊敬誠」なる言葉が気になった。それで、手元にある岩波文庫「易経」上下巻をいくら探しても、

  不煩不擾、澹泊不失。

の文言が出てこないのである。

○それでインターネット検索でいろいろとさがしたところ、次のページがヒットした。

      經學通論

      論變易不易皆易之大義

《易緯·乾鑿度》云:易一名而含三義,所謂易也,變易也,不易也。又云,易者,其德也。光明四通,簡易立節,天以爛明,日月星辰,布設張列,通精無門,藏神無穴,不煩不擾,澹泊不失,此其易也。變易者,其氣也。天地不變,不能通氣,五行迭終,四時更廢,君臣取象,變節相移,能消者息,必專者敗,此其變易也。不易者,其位也。天在上,地在下,君南面,臣北面,父坐子伏,此其不易也。鄭玄依此義作易讚及易論云:易一名而含三義,易簡一也,變易二也,不易三也,

  經學通論/易經 - 维基文库,自由的图书馆 (wikisource.org)

○どうやら、『不煩不擾、澹泊不失』を載せるのは、ここにある、「易緯」であって、「易経」では無い気がする。一通り見ただけなので、まだ確実だとは言えない。いずれにしても、清朝がよく「易経」を学習していることは間違いない。

○その『澹泊敬誠殿』の奥に続けて存在するのが『四知書屋』になる。『四知書屋』の前に、次の案内板が設置してあった。

      四知書屋

   康熙五十年(1711)創建。康熙帝は「依清曠」と題名を付け、その後、

  乾隆帝が「四知書屋」と改名した。「四知」という言葉は「易経」の一節、

  「君子知微、知彰、知柔、知剛,万夫之望」に由来する。乾隆皇帝の「剛柔

  相済、恩恵並施」という国づくりの理念が含まれている。皇帝が休憩をし、

  着替えをするなど、また、少数民族の王族に接見する際に親しさを表すため

  に、ここで会うこともあったという。

○「君子知微、知彰、知柔、知剛,万夫之望」の文言を、岩波文庫「易経」上下巻で調べたところ、「易経」下巻、『周易繋辞下傳』に、次のようにあった。

   子曰、知幾其神乎。君子上交不諂、下交不瀆、其知幾乎。幾者動之微、

  吉之先見者也。君子見幾而作、不俟終日。易曰、介于石、不終日、貞吉。

  介如石焉、寧用終日、斷可識矣。君子知微知彰、知柔知剛,萬夫之望。

○つまり、『四知書屋』と言うのは、

  知微、知彰、知柔、知剛。

  微を知り、彰を知り、柔を知り、剛を知る。

  物事の兆しを知り、事の成り行きを知り、物事の全てを知る。

ところが、この避暑山荘の正宮だと言うことになる。

○なかなか避暑山荘はよくできている。『麗正門』を入り、正殿『澹泊敬誠殿』に入る。さらに、半分皇帝の私室になる『四知書屋』が存在すると言うわけである。清王朝が何とも中国文化を享受していることに、驚く。ある意味、中国人よりも遥かに中国人らしい。