澹泊敬誠殿 | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2024年3月1日、河北省承徳市の避暑山荘を訪れた。最初に、宮殿区に行き、麗正門をくぐって、内午門から澹泊敬誠殿、四知書屋殿へと進んで行った。だからと言って、建物そのものは、それ程、豪華なものではない。

○それはここが清朝の避暑山荘だからではないか。北京の故宮博物院とは雲泥の差がある。ただ、今回、初めて訪れてみて、その規模の広大さに、驚き呆れた。それももう避暑山荘のレベルでは無い。みはるかす先までが避暑山荘だと言うのだから。

○避暑山荘の宮殿区のみを歩いて、承徳の避暑山荘と言うものは、一日二日で見尽くすことはできるものでは無いことを悟った。とてもそんなレベルや規模ではない。それが承徳の避暑山荘なのである。

○昨年2023年9月に、蘇州城を訪れた。その際、『苏州四大园林』なるものをを見学して来た。もちろん、一日である。

      苏州四大园林

苏州园林,在建筑中独树一帜,有重大成就的古典园林建筑。苏州园林又称苏州古典园林, 以私家园林为主。

其中沧浪亭狮子林拙政园留园并称苏州四大园林,代表着宋(公元960~1278年)、元(公元1271~1368年)、明(公元1368~1644年)、清(公元1644~1911年)四个朝代的艺术风格,被称为苏州四大名园。这是古代劳动人民的汗水的结晶!

  苏州四大园林_百度百科 (baidu.com)

○その際、中国には、『中国四大名园』なるものが存在することを知った。それで、今回の「北京漫歩」の主目的の一つに避暑山荘と颐和園を選んだわけである。ちなみに、『中国四大名园』とは、次のものを指す。

  拙政园 江苏省苏州市 编号121-74

  颐和园 北京市海淀区 编号122-75

  避暑山庄 河北省承德市 编号123-76

  留园 江苏省苏州市 编号124-77

○すでに、昨年9月に留園と拙政園見学は済ませているから、今回の旅行で、避暑山荘と颐和園を訪れれば、『中国四大名园』の全てを見物したことになる。そういうつもりで、今回、承徳の避暑山荘を訪れたわけである。

○承徳の避暑山荘のうち、宮殿区に行き、麗正門をくぐって、内午門から澹泊敬誠殿、四知書屋殿へと進んで行っただけで、もう、承徳の避暑山荘と言うものは、一日二日で見尽くすことはできるものでは無いことを悟った。話にならないくらい、規模が違うのだから。

○当古代文化研究所としては、蘇州の留園や拙政園の感覚で、承徳の避暑山荘を考えていた。もっとも、清王朝のものだから、規模は少々、大きいに違いないくらいに思っていた。それが全然、桁違いに大きいのだから、驚き呆れた。

○麗正門から内午門、澹泊敬誠殿、四知書屋殿だけで、すでに留園や拙政園の規模を遥かに超えているのだから。この奥にさらに烟波致爽殿などが続いている。それも中心軸の建物だけで、そうである。さらに中心軸の左右にも、建物は立ち並んでいる。

○承徳の避暑山荘を一泊だけで済ませようと言う見物が、如何に不十分なものであることが痛感されられた。しかし、取り敢えず、今回は、見れるところだけを見学し、残りは次回に繋ぐしかない。避暑山荘に圧倒されるばかりである。

○今回は、『澹泊敬誠殿』について。中国の検索エンジン、百度百科が案内する『澹泊敬誠殿』は、次の通り。

      澹泊敬诚殿

      承德避暑山庄正殿

在承德避暑山庄丽正门北,是其正殿澹泊敬诚殿。此殿规模宏大,殿前有外、内午门,朝房、乐亭,后有四知书屋、寝宫等建筑。门上悬有康熙御书“避暑山庄”四字匾额,东西两壁是乾隆御制《阅射六韵》诗刻石。澹泊敬诚殿建于清康熙四十九年(1710),乾隆十九年(1754)全部用名贵的楠木改修,故又称楠木殿。是青砖布瓦卷棚歇山式建筑,殿内悬康熙御笔“澹泊敬诚”匾额。此殿还收藏古今图书大全一万余册,涉及天文、地理、社会等方面。

澹泊敬诚殿为清代避暑山庄的正殿。始建于康熙五十年(1711),乾隆十九年(1754) 又用楠木进行改建,故也称楠木殿。面阔七间,进深三间,单檐歇山卷棚顶,四周有围廊。地面与台基用紫豆瓣大理石,殿内天花有万字、寿字、蝙蝠、卷草等雕刻。前檐正中悬有清圣祖御笔“澹泊敬诚”匾,殿内挂有清高宗御书匾,山墙上则挂有清绘《皇舆全图》。北面书橱有《古今图书集成》一万卷,围屏上雕刻着《耕织图》上一百六十三个人物。此殿是清廷在避暑山庄举行重大典礼之处,亦是皇帝在山庄时听政和读书之所在。

  澹泊敬诚殿_百度百科 (baidu.com)

○澹泊敬誠殿の前には、次のような案内板が設置してあった。

      澹泊敬誠

   康熙五十年(1711年)造営を始め、乾隆十九年(1754年)楠の木を

  用いて再建される。康熙帝直筆の額「澹泊敬誠」がある。「澹泊」と言う言葉

  は「易経」の「不煩不擾、澹泊不失」(静を以て身を修め、倹を以て徳を養ふ)

  に由来する。ここは清帝が重要な式典を開催し、百官の朝見を受け、少数民族

  の首領や外交使節と面会する場所である。

○つまり、澹泊敬誠殿は避暑山荘の正宮であることが判る。麗正門も「易経」に拠るものとされたが、この澹泊敬誠殿も「易経」の拠るものだと言う。なかなか清王朝は学がある。と言うか、四書五経を最もよく学び、政治に取り入れているのが清王朝なのではないか。