麗正門 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2024年3月1日、河北省承徳市の避暑山荘を訪れた。朝、北京朝阳站を8時50分に出発し、承徳南站に10時2分に到着した。その後、承德公交69路に乗って、終点の火神庙站まで行った。火神庙站から宿泊先の『承德山庄宾馆』までは、歩いて200mである。

○ホテルへチェックインして、いよいよ念願の避暑山荘見学である。宿泊先の『承德山庄宾馆』の向かいが、もう避暑山荘だった。避暑山荘見物には、最高のロケーションである。道路一本を渡ると、そこが避暑山荘だったから。

○土産物店が立ち並んでいて、入り口が何処かも、よく判らなかった。やっと入場券売り場を見付けて行った。午後1時くらいだったので、ほとんど観光客も居なかった。場券売り場の窓口に行って、パスポートを出して、入場券を買い求めようとした。

○ところが、窓口の女性が、パスポートを見て、「向こうの窓口に行け」とおっしゃる。意味がよく判らなかったが、言われた通りに行くと、無料の入場券をくれた。中国では、ほとんどの観光地が70歳以上は無料となっている。それは外国人でも同様である。有り難いのだが、気の毒だと言う気もする。

○お陰で、承徳避暑山荘には無料で入れた。その入り口が『麗正門』である。そこには、中国語と英語、日本語、ハングル文字で、次の案内板が設置してあった。

      麗正門

   麗正門は乾隆三十六景の一番目で、避暑山荘の九つの門の長である。

  康熙年間に建てられ、乾隆十九年(1754)に修繕が行われた。南に

  面しており、上部には低い城壁と展望台が作られている。麗正門の額は

  乾隆帝直筆である。「麗正」は「易経□離卦」に、『日月麗乎天、百谷

  草木麗乎土、重明以麗乎正、乃化成天下。」に由来し、「帝は太陽と月

  が天に委付し、植物が大地に委付するように、正しい道に委付してはじ

  めて、天下を教化し、統治できる。」との意味である。

○なかなか丁寧な説明文である。まさか、ここで「易経」を目にするとは、思いもしなかった。「易経」周易上経の、最後、第30卦が「離卦」になる。『日月麗乎天、百谷草木麗乎土、重明以麗乎正、乃化成天下。」を、「帝は太陽と月が天に委付し、植物が大地に委付するように、正しい道に委付してはじめて、天下を教化し、統治できる。」と訳すことは、なかなかできることではない。大変な力量である。それに感心させられた。

○上記説明にあるように、

  麗正門は乾隆三十六景の一番目で、避暑山荘の九つの門の長である。

麗正門を、まず、拝することから、避暑山荘見学は始まる。こういう創意工夫が随所になされているのが中国の庭園なのである。早速、勉強になった。

○しみじみ、文化とは耕すことであると言うことの大切さを学んだ気がする。それが避暑山荘の正門、麗正門であった。

○ちなみに、中国の検索エンジン、百度百科が案内する『麗正門』は、次の通り。

      丽正门[lì zhèng mén]

      河北承德避暑山庄的景区

丽正门既是避暑山庄的正门,也是正宫的正门,建于乾隆十九年(1754年)。它是个重台城门,有三个长方形拱门入口,重台上建有城阁三间。门前列石狮一对,左右立下马碑各一,迎面建有30米长的红照壁。布局规格严整,风格质朴秀丽,为避暑山庄的乾隆三十六景之首。

丽正,取自《易经》:“日月丽于天”,意思为光明正大的门。因我国的封建皇帝都自诩为受命于天的天子,故名其正门为丽正门。在我国历史上,元朝大都北京皇城的正门曾叫丽正门,明代改称正阳门。清帝乾隆将避暑山庄兼正宫的正门命名为丽正门,表明这里是同皇城一样重要的政治活动场所。丽正门前正中央门洞上方,镶有乾隆用汉、满、蒙、维、藏五种文字题写的“丽正门”石质匾额,这是我国统一多民族国家的体象征。中门北面的门额上刻有乾隆皇帝于乾隆十九年写的一首诗:岩城埤霓固金汤,詄荡门开向午阳。两字新题标丽正,车书恒此会遐方。

  丽正门_百度百科 (baidu.com)