黄宾虹像・黄賓虹像 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○杭州西湖北山街を歩いていたら、『黄宾虹像・黄賓虹像』を見付けた。寡聞にして、黄宾虹なる人物を知らない。日本に帰ってからインターネットで検索すると、次のページがヒットした。

      黄宾虹[huáng bīn hóng]

黄宾虹(1865年1月27日—1955年3月25日),原名懋质,名质,字朴存、朴岑、亦作朴丞、劈琴、号宾虹、别署予向、虹叟、黄山山中人等,原籍安徽歙县,出生于浙江金华。中国近现代国画家、书法家、篆刻家、诗人 、艺术教育家 ,其主要绘画作品有《蜀江归舟图》《焦墨山水》《九子山》等;出版画册有《黄宾虹纪游画册》《黄宾虹山水画册》《黄宾虹山水画集》《黄宾虹写生画册》《黄宾虹山水写生画册》《黄宾虹画集》等;出版著作有《陶玺文字合证》《古印概论》《古籀论证》《古文字释》《古画微》《虹庐画谈》《鉴古名画论》《黄山画家源流》《画法要旨》《宾虹草堂印谱》《画学编》《宾虹杂著》《宾虹诗草》《美术丛书》《神州大观》《神州国光集》《中国名画集》等。

黄宾虹于1881年师从于陈春帆学画;1886年,师从于画家郑姗绘山水,又从学于陈若水绘花鸟;1904年,任教于芜湖安徽公学;1909年,创作作品《歙县渔梁》《水墨山水》等 ;1916年,创作作品《黄山狮子林》《写陆放翁诗意》等;1925年,创作作品《遥山苍翠》;画史专著《古画微》刊行;1930年,任中国艺术专科学校教授、昌明艺术专科学校教席、新华艺专国画教授,作品参加比利时独立一百周年纪念国际博览会,获“珍品特别奖”,另创作作品《绿绮园图》;1954年,当选为中国美术家协会华东分会副主席,并任中央美术学院民族美术研究所所长;1955年,获评为“中国人民优秀的画家”,3月25日,在杭州逝世,享年90岁。

  黄宾虹_百度百科 (baidu.com)

○黄賓虹は、日本でもよく知られた画家であるらしい。ウイキペディアフリー百科事典にも、次のように載せている。

      黄賓虹

黄 賓虹(こう ひんこう)は、中国の近代山水画家である。名は質、もとの名は懋質。は朴存、に予向・虹廬・虹叟、中年以降は賓虹と称した。本貫安徽省徽州府歙県潭渡村。

幼い頃から画技を学び、汪仲伊について経学を修める。若い頃は辛亥革命を支持。新安中学の教師となり、その後上海北京杭州などの美術学校で教員を務め、同時に出版社にて編集を担当する。その後、商務印書館の美術部主任を担当。上海博物館の理事、故宮博物院の古物鑑定委員、国立曁南大学芸術学部教授、杭州国立芸専教授、国立北京師範学院講師などの職を歴任。1940年に中華民国国立北京芸術専科学校(現中央美術学院)教授、1949年には中国美術家協会華東分会の副主席、中央美術学院華東分院教授となる。

山水画は、李流芳程邃程正揆に大きく影響され、の画法を取り入れとりわけ元末四大家に師法した。中国各地に遊歴して山河を写生。とくに故郷の黄山新安江の山水に魅了された。その画風は海上画派に分類されることもあるが、本来は新安画派の大家である。に巧みで、書法に通じ、金石文に精通し篆刻をよくした。また中国絵画史・画論の研究に優れた。絵画の鑑定に精しく、中国歴代の名画を収蔵していた。

  黄賓虹 - Wikipedia

○黄賓虹の出身は、安徽省徽州府歙県潭渡村だとする。以前、当古代文化研究所では、2015年11月9日から18日まで、「中国文房四宝の旅」と題して、中国の馬鞍山市、宣城市、徽州古城、紹興市、杭州市、湖州市、蘇州市と一巡りしてきた。時には、こういう風流な旅も良いのではないかと思った。その時、安徽省徽州府歙県を訪れている。

  ・テーマ「徽州古城:歙县」:ブログ『徽州古城・歙县」

  徽州古城・歙县 | 古代文化研究所:第2室 (ameblo.jp)

○まさに、安徽省徽州府歙県そのものが「中国文房四宝の故郷」なのである。したがって、ここから山水画家、黄賓虹が出現すると言うことは、当然のことなのである。出るべくして出たのが山水画家、黄賓虹だと言うことになる。

○なかなか、日本人には、そういう感覚が無い。結構、中国の山水画家は、この地域に多い。そういう意味でも、一回は「中国文房四宝の旅」をしてみることが大事である。ちなみに、安徽省徽州府歙県は、名山、黄山の麓になる。山水画の画題に困ることは無い。九華山も近い。