朝日新聞『吉野ケ里フィーバー 幕開け』記事を読んで | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○先日、ブログ『吉野ケ里フィーバー 幕開け』を書いた。佐賀県吉野ケ里遺跡が邪馬台国である可能性がゼロだと言う話だった。邪馬台国や卑弥呼を記録する「三国志」を読むと、そのことがよく判る。

○ただ、「三国志」が読者対象とするのは中国の専門史家のみであるから、まず、日本人には「三国志」は読めない。それが中国の常識である。中国でも普通の人には、まず、「三国志」は読めない。だから、中国では、普通の人は、まず、「三国志」は、読まない。

○ところが、「三国志」に関する本が出版されているのは、日本ばかりである。それも「魏志倭人伝」1986字を読んで、邪馬台国や卑弥呼を論じようとするのだから、驚き、呆れる。中国の史書は、そういう読み方はしない。

○そういう中国の史書の読み方を教えてくれるのも、実は「三国志」である。「三国志」魏書、巻三十『烏丸鮮卑東夷傳』は、次のように始まる。

   書載「蠻夷猾夏」,詩稱「玁狁孔熾」,久矣其為中國患也。秦、漢以來,

  匈奴久為邊害。孝武雖外事四夷,東平兩越、朝鮮,西討貳師、大宛,開邛苲、

  夜郎之道,然皆在荒服之外,不能為中國輕重。而匈奴最逼於諸夏,胡騎南侵則

  三邊受敵,是以屢遣衛、霍之將,深入北伐,窮追單于,奪其饒衍之地。

○つまり、「三国志」の編者である陳壽は、書経や詩経くらいは読んでから、「三国志」は読めと言う。少なくとも、「史記」や「漢書」ぐらいは読んでないと、「三国志」は読めないとも言う。それも原文である。それが「三国志」を読む作法だと説く。

○「三国志」は何とも面白い書物である。何しろ、14世紀に羅漢中と言う愛読者が出て来て、「三国志演義」をものしたくらいであるから。もともと「三国志」そのものは三世紀の著作である。それを一千年以上も後世に、編集し直し、長編小説化したものが羅漢中の「三国志演義」なのである。

○日本でも、江戸時代、「三国志演義」は知識人に広く愛読されていた。それを歴史小説にして世に出したのが吉川英治の「三国志」(1956年刊)である。これがブームになって、「三国志」は、広く人々に知られた。

○不幸なことに、日本では、「三国志」と言えば、この吉川英治の「三国志」だと勘違いしている人が多い。吉川英治の「三国志」の種本は、あくまで、羅漢中の「三国志演義」であって、陳壽の「三国志」ではない。

○さらに不幸なことに、その後、日本では、横山光輝の漫画「三国志」(全60巻:1971~87)が大流行した。横山光輝の漫画「三国志」も、もちろん、羅漢中の「三国志演義」が原作であって、陳壽の「三国志」ではない。

○したがって、羅漢中の「三国志演義」や吉川英治の「三国志」、横山光輝の漫画「三国志」には、邪馬台国も卑弥呼も登場しない。しかし、「三国志」だと言うと、多くの人が羅漢中の「三国志演義」や吉川英治の「三国志」、横山光輝の漫画「三国志」と勘違いしてしまう。

○日本では、現在でも、吉川英治の「三国志」や横山光輝の漫画「三国志」の愛読者が多い。そういう人々は「三国志」と言えば、歴史小説であり、漫画だと信じて疑わない。何とも、不幸な話である。

○それに加えて、日本では、「三国志」魏書、巻三十『烏丸鮮卑東夷傳』(全9446字)すら読まないで、倭人条1986字(いわゆる「魏志倭人伝」)のみを読んで、邪馬台国や卑弥呼を論じようとなさる。すくなくともそれでは「三国志」を読んだとは言えない。最低でも、『烏丸鮮卑東夷傳』(全9446字)くらいは通読する必要がある。

○陳壽の「三国志」は、それ程、面白い。ただ、一年や二年で読むことは、なかなか難しい気がする。十年とか二十年掛けて読むのが陳壽の「三国志」なのである。そういう読書は、なかなか厳しい。

●先日、ブログ『吉野ケ里フィーバー 幕開け』を書いて、気になったことがある。この朝日新聞の記事を書いた三ツ木勝巳は、本当に陳壽の「三国志」を読んでいるのだろうか。同じように、佐賀県文化課文化財保護・活用室の細川金也副室長(56)は、本当に陳壽の「三国志」を読んでいるのだろうか。本当に読んでいれば、こういう判断はできない。

●邪馬台国や卑弥呼を論じると言うことは、そういうことである。失礼ながら、片手間で陳壽の「三国志」は読めない。朝日新聞の『吉野ケ里フィーバー 幕開け』記事を読んで、そういうことを感じた。この記事があまりに無責任だからである。

●真面目に、丁寧に、まず、陳壽の「三国志」を読むこと。それが邪馬台国や卑弥呼を論じることに繋がる。そういうふうに陳壽の「三国志」を読むと、陳壽は「魏志倭人伝」を理解するには、会稽か寧波で読むしか無いと諭す。当古代文化研究所では、これまで、会稽に4回、寧波にも8回、訪問して、そのことを確かめている。