遣唐使の歌 | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年7月8日から10日にかけて、五島列島福江島を訪問した。その際、福江島の北部に位置する三井楽町にある「道の駅:遣唐使ふるさと館」を、8日9日と、二回訪れた。この「道の駅:遣唐使ふるさと館」には、遣唐使や万葉集に関する案内や展示などがなされていた。

○その中に、『遣唐使の歌』と言う屏風があって、「万葉集」が載せる遣唐使関係の和歌を集めているのがあった。どういう基準でこれらの和歌が並んでいるかは、皆目不明だが、これだけの和歌を集めるだけでも、大変な作業である。

○気になったので、紹介されている和歌を全て案内したい。そうすることによって、この屏風を作った方の制作意図が見えて来るのではないかと判断したからである。屏風は上下に分かれ、尚且つ、左右に四面ある。順序がどうであるかは、不明だから、一応、上部から先に案内し、下部を続けて紹介したい。

【第一面上部】

      天平五年癸酉遣唐使舶發難波入海之時親母贈子歌一首[并短歌]

   秋萩を  妻どふ鹿こそ  独り子に  子持てりといへ  鹿子じもの  我が独り子の

    草枕  旅にし行けば  竹玉を  繁に貫き垂れ  斎瓮に 木綿取り垂でて

    斎ひつつ  我が思ふ我子  ま幸くありこそ(巻九:1790)

      反歌

    旅人の  宿りせむ野に  霜降らば  我が子羽ぐくめ  天の鶴群(巻九:1791)

【第二面上部】

      三野連[名闕]入唐時春日蔵首老作歌

    在り嶺よし  対馬の渡り  海中に  幣取り向けて  早帰り来ね(巻一:0062)

      山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌

    いざ子ども  早く日本へ  大伴の  御津の浜松  待ち恋ひぬらむ(巻一:0063)

【第三面上部】

      天平五年癸酉春閏三月笠朝臣金村贈入唐使歌一首[并短歌]

   玉たすき  懸けぬ時なく  息の緒に  我が思ふ君は  うつせみの  世の人なれば

   大君の  命畏み  夕されば  鶴が妻呼ぶ  難波潟  御津の崎より

   大船に  真楫しじ貫き  白波の  高き荒海を  島伝ひ  い別れ行かば

   留まれる  我れは幣引き  斎ひつつ  君をば待たむ  早帰りませ(巻八:1453)

      反歌

   波の上ゆ  見ゆる小島の  雲隠り  あな息づかし  相別れなば(巻八:1454)

   たまきはる  命に向ひ  恋ひむゆは  君が御船の  楫柄にもが(巻八:1455)

【第四面上部】

      春日祭神之日藤原太后御作歌一首

      即賜入唐大使藤原朝臣清河 参議従四位下遣唐使

   大船に  真楫しじ貫き  この我子を  唐国へ遣る  斎へ神たち(巻十九:4240)

      大使藤原朝臣清河歌一首

   春日野に  斎く三諸の  梅の花  栄えてあり待て  帰りくるまで(巻十九:4241)

【第一面下部】

      天平五年贈入唐使歌一首[并短歌] [作主未詳]

   そらみつ  大和の国  あをによし  奈良の都ゆ  おしてる  難波に下り

   住吉の  御津に船乗り  直渡り  日の入る国に  任けらゆる  我が背の君を

   かけまくの  ゆゆし畏き  住吉の 我が大御神  船の舳に  領きいまし

   船艫に  み立たしまして  さし寄らむ  礒の崎々  漕ぎ泊てむ  泊り泊りに

   荒き風  波にあはせず  平けく  率て帰りませ  もとの朝廷に(巻十九:4245)

【第二面下部】

      反歌

   沖つ波  辺波な越しそ  君が船  漕ぎ帰り来て  津に泊つるまで(巻十九:4246)

【第三面下部】

      贈入唐使歌一首

   海神の  いづれの神を  祈らばか  行くさも来さも  船の早けむ(巻九:1784)

      大使藤原朝臣清河歌一首

   あらたまの  年の緒長く  我が思へる  子らに恋ふべき  月近づきぬ(巻十九:4244)

【第四面下部】

      勅従四位上高麗朝臣福信遣於難波賜酒肴入唐使

      藤原朝臣清河等御歌一首[并短歌]

   そらみつ  大和の国は  水の上は  地行くごとく  船の上は  床に居るごと

   大神の  斎へる国ぞ  四つの船  船の舳並べ  平けく  早渡り来て

   返り言  奏さむ日に  相飲まむ酒ぞ  この豊御酒は(巻十九:4264)

      反歌一首

   四つの船  早帰り来と  しらか付け  我が裳の裾に  斎ひて待たむ(巻十九:4265)

○『遣唐使の歌』と言う屏風の万葉和歌は、何とも中途半端なものであることに驚く。【第一面上部】の最初から長歌(巻九:1790)を載せるのは良いが、なぜか、反歌(巻九:1791)を欠く。

○【第三面上部】には、反歌(巻八:1454)(巻八:1455)を載せるのに、なぜか、肝心の長歌(巻八:1453)を欠く。そんな表現の仕方は無い。おそらく、万葉集をご存じ無い方が携わったのではないか。

○同様に、【第四面下部】では長歌(巻十九:4264)を載せて、反歌(巻十九:4265)を欠く。こんな中途半端な表現はしない。なぜそうしたかが皆目判らない。

○上記した『遣唐使の歌』では、そういう欠落したものを全て補って案内している。そうしないと、意味が判らないと判断するからである。本当は、こうあるべきである。

○『遣唐使の歌』としては、結構、良く整理されている。それだけに勿体無い案内である。参考までに整理して紹介しておきたい。