親鸞 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年2月3日に、京都ぶらり旅で、西本願寺へお参りした。西本願寺について、あれこれ書くのに、親鸞聖人を抜きに語ることもできない。西本願寺のホームページが案内する宗祖親鸞聖人は、次の通り。

      宗祖親鸞聖人

平安時代も終わりに近い承安3年4月1日(新暦1173年5月21日)、親鸞聖人は京都の日野の里で誕生されました。父は藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり)、母は吉光女(きっこうにょ)と伝えられます。親鸞聖人は養和元年(1181)9歳の春、伯父の日野範綱(のりつな)にともなわれて、慈円和尚(じえんかしょう)のもとで出家・得度をされ、範宴(はんねん)と名のられました。ついで比叡山にのぼられ、主に横川の首楞厳院で不断念仏を修する堂僧として、20年の間、ひたすら「生死いづべき道」を求めて厳しい学問と修行に励まれました。

しかし建仁元年(1201)親鸞聖人29歳のとき、叡山では悟りに至る道を見出すことができなかったことから、ついに山を下り、京都の六角堂に100日間の参籠をされました。尊敬する聖徳太子に今後の歩むべき道を仰ぐためでありました。95日目の暁、親鸞聖人は太子の本地である救世観音から夢告を得られ、東山の吉水で本願念仏の教えを説かれていた法然聖人の草庵を訪ねられました。やはり100日の間、聖人のもとへ通いつづけ、ついに「法然聖人にだまされて地獄に堕ちても後悔しない」とまで思い定め、本願を信じ念仏する身となられました。

法然聖人の弟子となられてからさらに聞法と研学に励まれた親鸞聖人は、法然聖人の主著である『選択集』と真影(しんねい)を写すことを許され、綽空の名を善信(ぜんしん)と改められました。そのころ法然聖人の開かれた浄土教に対して、旧仏教教団から激しい非難が出され、ついに承元元年(1207)専修念仏が停止されました。法然聖人や親鸞聖人などの師弟が罪科に処せられ、親鸞聖人は越後(新潟県)に流罪。これを機に愚禿親鸞(ぐとくしんらん)と名のられ非僧非俗の立場に立たれました。

このころ三善為教の娘・恵信尼(えしんに)さまと結婚、男女6人の子女をもうけられ、在俗のままで念仏の生活を営まれました。建保2年(1214)42歳の時、妻子とともに越後から関東に赴かれ、常陸(茨城県)の小島や稲田の草庵を中心として、自ら信じる本願念仏の喜びを伝え、多くの念仏者を育てられました。元仁元年(1224)ごろ、浄土真宗の教えを体系的に述べられた畢生の大著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を著されました。

嘉禎元年(1235)、親鸞聖人63歳のころ、関東20年の教化を終えられて、妻子を伴って京都に帰られました。『教行信証』の完成のためともいわれ、主に五条西洞院に住まわれました。京都では晩年まで『教行信証』を添削されるとともに、「和讃」など数多くの書物を著され、関東から訪ねてくる門弟たちに本願のこころを伝えられたり、書簡で他力念仏の質問に答えられました。

弘長2年11月28日(新暦1263年1月16日)、親鸞聖人は三条富小路にある弟尋有の善法坊で往生の素懐を遂げられました。90歳でありました。

  にしほんがんじhttps://hongwanji.kyoto/know/shinran.html

○随分と長い案内だが、これが全文である。変に省略することもできないので、そのまま掲載しておく。親鸞聖人を簡単に理解するのには、恰好の材料ではないか。

○別に、ウイキペディアフリー百科事典が案内する親鸞は、次の通り。

      親鸞

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。浄土真宗の宗祖とされる。

法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)の草稿本が完成した1224年元仁元年4月15日)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。

  親鸞 - Wikipedia

○親鸞聖人を案内する書物は多い。幾らでも挙げることができるが、著名なのは次のようなものである。

  ・倉田百三『出家とその弟子』(1917年)

  ・吉川英治『親鸞』全3巻(1948年)

  ・丹羽文雄『親鸞』全5巻(1969年)

  ・五木寛之『親鸞』全2巻(2010年)

○ご覧の通り、何とも錚々たるメンバーである。それ程、親鸞の門徒が多いと言うことなのだろう。他にも巷間の名も無い人々の著作も多い。結構、意外な人が親鸞について書いていたりして、驚かされたりする。