弘法大師空海 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、東寺へお参りした。70歳を過ぎて、ようやく、東寺へお参りすることができた。まさに、兼好法師の『仁和寺にある法師』そのものである。そう言えば、『仁和寺にある法師』も真言宗のお坊さんだった。高野山へは、数年前にお参りを済ませている。

○前回、このように書いたが、高野山へ参詣したのが何時だったか、気になって確認したところ、2008年3月7日となっているのを知って、驚いた。もう10年以上も昔のことだった。最近だと思っていたのに、けっこう、昔のことだった。その時の様子は、次のブログに書いている。

  ・テーマ「吉野山の正体」:ブログ『高野山参詣』

  高野山参詣 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○もう三月だと言うのに、高野山にはまだ雪が降り積もっているのに、驚いた。高野山は、そんな高山の奥なのである。弘法大師空海は、どうして、こんな山深いところを終の棲家に選んだのだろうか。そんなことを思った。

○弘法大師空海は、不思議な人物である。あまりに偉大過ぎて、伝説の彼方に埋もれていて、その実像に迫ることは、容易なことではない。たとえば、東寺のホームページでは、弘法大師空海を、次のように案内している。

      弘法大師空海

 讃岐の国、いまの香川県に生まれた弘法大師空海。幼名を真魚といいました。真魚は都に出て大学に入学。学問に励みますが、あるとき、「だれも風をつなぎとめることはできないように、だれがわたしの出家をつなぎとめることができようか」と、僧の道を歩みはじめます。

 それから7年間、四国や和歌山で山岳修行を行い、奈良などの寺院で仏教を学びました。その修行中、久米寺の東塔に納められていた密教の経典、『大日経』と出会いました。この密教の教えを深く理解するには、文字や言葉では伝えられないものを、師より学ばなければなりませんでした。

 そこで、弘法大師空海は、師を求め唐に行くことを決意。

 延暦23年、804年、私費の留学僧として遣唐使船に乗り込みました。26年ぶりに出航された遣唐使船には、偶然にも、桓武天皇により派遣された伝教大師最澄が乗船していました。

 地位も待遇もまったく異なる弘法大師空海と伝教大師最澄。後に、平安の二大仏教、真言宗と天台宗の開祖となる二人の出会いでした。弘法大師空海が31歳のときのことです。

延暦23年、804年、12月、弘法大師空海は唐の都、長安に入りました。この都で弘法大師空海は、密教の理解に必要なサンスクリット語などを学びながら、最新の知識や技術を吸収していきました。

 およそ半年たった初夏のこと。弘法大師空海は、唐の国師であり、正統な密教を受け継いだ僧、恵果がいる青龍寺を訪ねました。恵果は会うなり、「われ先より汝の来れるのを知り、相待つこと久し」と告げたといいます。

 まもなく、弘法大師空海は、胎蔵界金剛界、そして正統な密教の師となる伝法阿闍梨位灌頂を受けて、真言密教の第八祖となりました。灌頂名は、遍照金剛

 それとともに、恵果は、宮廷画家の李真などに曼荼羅を描かせ、五鈷杵五鈷鈴金剛盤という密教法具、経典、犍陀穀糸袈裟、仏舎利80粒などを弘法大師空海に授けました。

 正統な密教の師となった弘法大師空海は、入唐から2年後、膨大な経典や仏画を持って帰国しました。さきに唐より戻っていた伝教大師最澄は、弘法大師空海が朝廷に出した『請来目録』を見て、密教のほぼすべてが日本へ伝授されたことを知りました。経典類だけでも216部461巻、両界曼荼羅などの図像を10軸、密教法具などが記されていました。異国の香りを含んだ密教という新しい教えは、朝廷内の人々の間に広まり、最大の関心事となりました。

 弘法大師空海は、桓武天皇のあとに即位した嵯峨天皇の信任を得て親交を深めていきます。伝教大師最澄とも、交友を深めていきました。

 そして、弘仁14年、823年1月19日。嵯峨天皇は、官寺だった東寺を弘法大師空海に託しました。弘法大師空海50歳のできごとです。『御遺告』のなかには、このときの心情が、「歓喜にたえず、秘密道場となす」と記されています。

 東寺の御詠歌に、「身は高野、心は東寺に納めおく、大師の誓いあらたなりけり」というものがあります。

この御詠歌のとおり、弘法大師空海は、東寺に住房を構え、ここで、東寺の造営という大事業と並行して、高野山に壮大な伽藍の建立を進めていました。都にある東寺を密教の根本道場に、高野山を修禅道場とする計画でした。

 そして承和2年、835年を迎えます。弘法大師空海は、宮中真言院において、鎮護国家、五穀豊穰、国土豊穰を祈る後七日御修法を行います。その後、およそ十数年過ごし住み慣れた東寺をあとにします。

 高野山にようやく春が訪れようとしている旧暦の3月21日、弘法大師空海は、弟子たちの読経のなか、ご入定になりました。

  弘法大師空海|東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺 (toji.or.jp)

○いくつかの項目をカットしても、この分量である。しかし、最も詳しくて、丁寧な弘法大師空海案内ではないか。ウイキペディアフリー百科事典が案内する空海が、如何に事務的であるかが判って面白い。少なくとも、此処には、弘法大師空海に対する無上の尊敬と愛慕がある。