○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、平野神社へお参りした。この日は、朝6時に京都駅八条口のホテルを出て、レンタサイクルで鴨川を遡り、下鴨神社から上賀茂神社、大徳寺、金閣寺、北野天満宮、大報恩寺、平野神社と見学してきた。
○最初の予定では、この後、仁和寺、妙心寺へお参りしてから、東寺、西本願寺を参拝することにしていた。しかし、時間は十分あったが、体力的に無理だと判断した。北野天満宮で、もう十分疲れ果てていた。それで、急遽、そのまま平野神社から真っ直ぐ、東寺を目指すことにした。
○平野神社から東寺へは、随分と距離がある。それこそ、京都の町の北端から南端へ行く感じである。ただ、道は一本で、ひたすら西大路通を7キロメートルほど下れば、良いだけである。そうすれば、九条通にぶつかる。それを左折すれば、東寺に行き着く。
○途中、西大路八条の交叉点のところに、若一神社を見付けて、驚いた。前回、その話を書いている。
・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『若一神社:西大路八条』
若一神社:西大路八条 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
○当古代文化研究所にとって、若一神社は慕わしく、懐かしいところである。それは平安中期に、平季基が日向国諸県郡末吉郷橋野へ、若一神社を勧請している。その橋野の若一王子神社へ、当古代文化研究所は、二回ほど、お参りしていたからである。写真で確認したところ、それは2021年1月29日と、3月25日となっている。
○今どき、平季基を知る人も少ない気がしてならない。平安中期に、日本最大の荘園と言われた島津荘を開墾したとされるのが平季基である。平清盛よりも一世紀ほど前の人物である。日向国諸県郡末吉郷橋野には、平季基のお墓がある。
・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『平季基墓』
○そういう話をブログに載せたのが、2021年12月27日のことだった。それは、京都ぶらり旅へ出掛ける一か月余り前のことだった。京都に若一神社が鎮座ましますことは、そういうことから理解していた。それが平野神社から東寺へ向かう途中に出現したから、びっくりしたわけである。
○こんな偶然は無い。まさに、若一神社の思し召しとするしかない。京都西大路八条の若一神社は、私にとって、そういう神社である。平季基が引き合わせてくれた神社である。
○その西大路八条の若一神社から、さらに南下して、JR東海道本線の下をくぐって、西大路九条まで進んで、そこで左折して、九条通を東へ1キロメートルほど進んで行くと、東寺である。したがって、平野神社から東寺までは、およそ8キロメートルほどだった。
○これも写真で確認すると、平野神社を出発したのは、12時47分となっている。途中、京都西大路八条の若一神社に着いたのが13時26分で、東寺横に着いたのは13時54分となっている。つまり、平野神社から東寺までは、40分あまりを要したことになる。
○それもこれもレンタサイクルのお陰とするしかない。自転車は何とも便利な乗り物である。現在は、電動自転車だから、身体への負担も、ほとんど無い。京都の町を周回するほどの距離であるなら、自転車が一番だと思った。
○地図で確認すると、西大路九条の近くに、唐橋西寺公園が存在する。ここが西寺跡である。また、九条通には羅城門遺址が存在するとある。写真で見たことがあったので、実見したみたいと思っていたが、九条通を通ったのに、見付けることが出来なかった。もう少し用心して走るべきだった。
○この日、朝6時からずっと京都観光を続けていて、相当疲れていた。そのせいだったかもしれない。もう一回、いらっしゃいと言うことなのだろう。是非とも、もう一回出掛けたい。
○午後2時ころ、やっと東寺に到着した。これまで、東寺五重塔は、新幹線から眺めるばかりで、一回も訪れたことがなかった。今回、「第56回 京の冬の旅」、非公開文化財特別公開で、東寺五重塔が特別公開されていた。その東寺五重塔に登れるのが、何とも、嬉しい。いそいそと東寺へと向かった。