北野名物:長五郎餅 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、北野天満宮にお参りした。北野天満宮東側の御前通にある東門から境内へ入って、行った。東門の先、左手に立派な構えの茶店らしきものがあって、そこで、北野名物:長五郎餅を売っていた。さすが、京都、こういうところに、文化があると感じた。せっかくであるから、一つ買って帰った。

○何処に文化があるかと言えば、菓子折りを入れる袋が全部紙製で、それも手作り感満載で、何とも愉快と言うか、楽しい。この袋自体、決して高価なものを使うのではなく、さりげない思いやりを感じる。買って帰る者がしあわせ感を感じる。ありがたみが違う。

○値段も千円もしなかったが、買って帰って、家人にたいへん喜ばれた。まさに、手土産である。大きさもちょうど良い。箱には、

   北野名物

   長五郎餅

   豊公の 昔をしのぶ もち一つ

   生菓子ですのでお早めにお召し上がり下さい

とあった。

○中に、「長五郎餅の由来」と言うパンフレットが入っていて、次のようにあった。

      長五郎餅の由来

   北野名物・長五郎餅の由来は、遠く天正年間にさかのぼります。

  この頃、北野天満宮が鎮座する一帯は濃く生い茂った森林に囲まれ、

  小川のせせらぎに銀玉の転がるごとく滝が流れ落ち、

  秋には紅葉が美しい洛中きっての景勝地として、

  多くの参詣客で賑っていました。

   かの地において河内屋長五郎という者が、

  葭簀張りに床机を並べて参詣客をもてなしながら、

  永年の研鑽により茶果を完成させました。

  当時は菓子といってもまだ味も見た目も素朴なものが主流であり、

  長五郎が編み出した餡をくるんだ羽二重餅は、その上品な味わいと

  洗練された意匠で評判を呼び、後世の餡入り餅の祖ともなりました。

   さて、天正十五年、陰暦十月一日のこと、

  太閤秀吉が公家や諸侯を集め、

  北野に於て豪華な神前大献茶会を催されました。

  その折り茶果としてこの餅が用いられ、

  秀吉公は殊のほか典雅な風味を賞されて、

  主の名より「長五郎餅」との命名を賜ったのです。

   その後は明治維新に至るまで皇室のご用達となり、各宮家、

  とりわけ小松宮家や山階宮家からご愛顧を賜りました。

  維新の際は諸国大名の多くが京都詰めとなって、

  各藩こぞって長五郎餅をお買い上げくださり、

  名声が全国津々浦々に伝わったということです。

   以来お陰様で現在に至るまで、当地での創業四百余年の

  永きにわたって伝統を継承。

  今もいにしえのままに極上大納言の風味を活かした

  さらりとした甘さと、柔肌のようになめらかな餅の口当たりが

  織り成す絶妙の味わいを守り続けて、

  皆様にご愛顧を頂戴しております。

          北野名物:長五郎餅本舗主人敬白

○今回の「京都ぶらり旅」のお土産は、この長五郎餅と聖護院生八ツ橋と、空港で買った伊勢の赤福で、全部で二千円くらいのものだった。今回、北野天満宮へお参りして、初めて、長五郎餅を知った。天正年間は1573年から1592年まで、20年も続いている。今から四百三十年も昔のことである。

○そういうものが営々と今でも残っている。それが京都なのである。今回、北野天満宮へお参りして、偶々、通り掛かった年配の女性が、「あら、今日は、長五郎餅を売っている。買って帰ろう。」とおっしゃった。その声に惹かれて、私も長五郎餅を買って帰った。