北野天満宮参詣 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、北野天満宮にお参りした。北野天満宮東側の御前通にある東門から境内へ入って、行った。東門には、星梅鉢紋の神紋が掲げられ、戸口には、

      菅公御歌

  美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある

のご詠歌が飾ってあった。こういうところが如何にも京都らしい。

○東門から境内に入ると、正面に北野天満宮が見えている。しかし、正式の入り口は南門である楼門になるから、まず、楼門を目指して進んで行った。この道の左手には、社務所、神楽殿、宝物殿などが建ち並んでいる。その先に立派な楼門があった。

○改めて、北野天満宮楼門から境内に入った。楼門前に、京都市の北野天満宮案内板が設置してあって、それには、次のようにあった。

      全国天満宮総本社:北野天満宮

   菅原道真公(菅公)を祀る全国約一万二千社に及ぶ天満宮・天神社の総本社。

   「和魂漢才」の精神を提唱された菅公は、後に「文道大祖風月本主」と称えられ、

  学業成就や厄除、技芸上達の神として信仰を集めている。

   村上天皇天暦元年(九四七)、平安京の北西(天門)に創祀され、天徳三年(九

  五九)藤原師輔卿が御社殿を造営、以来朝野の崇敬篤く、殊に一絛天皇には

  「北野天満大自在天神」の神号を賜り、格別の尊崇を受け、「天神さま」として

  全国に伝播した。

   また、天正年間には豊臣秀吉公が境内一帯の北野松原で北野大茶湯を催し、

  慶長年間には出雲阿国が京において初めてややこ踊り(歌舞伎踊り)を演じる

  など、日本文化発信の中心地として強く意識されてきた。

   現在の御本殿(国宝)は、豊臣秀頼公が、慶長十二年(一六〇七)に造営された

  もので八棟造と称し、権現造の原型となった桃山建築の代表的遺構である。また、

  中門は三光門と呼ばれ、後西天皇御宸筆の勅額「天満宮」を掲げている。

   宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻・承久本(国宝)をはじめ、貴重な文

  化財を多数蔵している。

   毎月二十五日の御縁日(天神さんの日)には多くの参拝者で賑わう。

                       京都市

○別に、境内には、「北野天満宮案内図」があって、それには、次のようにあった。

      北野天満宮

   菅原道真公(八四五~九〇三)を御祭神とする全国天満宮の総本社。

  天暦元年(九四七)御神託により御鎮座。歴代天皇、皇室の御尊崇篤く、

  又朝廷、将軍家の崇敬を受け、全国に天神信仰が庶民の信仰として、

  また学問の神として広まった。現在の社殿は豊臣秀吉公の遺命により

  秀頼公が慶長十二年(一六〇七)に造営。桃山時代の代表的建物(国

  宝)。境内一円は京・随一の梅の名所で約2000本、約五十種の梅木

  がある。毎月二十五日は天神さんの縁日として有名。

○北野天満宮へ参拝したのは、2022年2月3日で、旧暦では正月三日で、折しも、節分の日だった。上賀茂神社では、節分祭が催されていた。此処、北野天満宮でも、10時から節分祭が開催されたとあった。梅の花が咲き始めていて、梅まつりが開催されていた。ちょうど良い日にお参りできた。