金閣舎利殿 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年2月3日に京都ぶらり旅で、金閣寺へ参詣した。その金閣寺については、前回、すでに詳しく触れている。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『金閣寺』

  金閣寺 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○黒門から入って、玉砂利の参道を進んで行くと、総門へ辿り着く。総門をくぐって、境内へ入ると、受付があって、

     開運招福  京都北山

   金閣舎利殿 御守護   福寿如意

     家内安全  鹿苑禅寺

と書いたお守り札と、

   臨済宗相国寺派

     金閣鹿苑寺

と書いた案内パンフレットを頂戴して、先へと進む。

○その先に参拝門があって、参拝門をくぐった先が、壮大な池泉回遊式庭園で、その中に、ひときわ、美しく金閣舎利殿が建っている。まさに、絵に書いたような美しさである。誰もが、驚き、声を挙げて称賛して止まない。

○前回にも、案内したが、総門前に立つ京都市の「鹿苑寺(金閣寺)」案内には、次のようにあった。

  金閣は、「法水院」と呼ばれる寝殿造の初層、「潮音洞」と

  呼ばれる武家造の二層、「究竟頂」と呼ばれる禅宗仏殿造の

  三層から成り、公卿文化と武家文化を折衷した建築様式は、

  北山文化の象徴とされる。二層、三層は漆塗の上に金箔が

  張られ、屋根の上には中国の伝説の鳥、鳳凰が輝いている。

   初層に義満公坐像と宝冠釈迦如来像が、二層に岩尾観音

  坐像と四天王像、三層に仏舎利がそれぞれ安置されている。

  壮大な池泉回遊式庭園は、特別史跡及び特別名勝に指定

  されている。舎利殿の北側には義満ゆかりの銀河泉・巖下水・

  龍門滝があり、また萩と這い棚と南天の床柱で名高い茶室・

  夕佳亭もある。

○また、鹿苑寺(金閣寺)で頂戴した案内パンフレットには、次のように案内している。

      北山文化の黎明を今に伝える金閣寺

   鹿苑寺は通称「金閣寺」としてよく知られている臨済宗相国寺派の

  禅宗寺院です。かつてこの地は西園寺家の別荘でしたが、1397年に

  足利三代将軍「義満」が譲り受け、舎利殿(金閣)を中心とした

  「北山殿」を造りました。創建当時、「北山殿」は青磁・文化の

  中心であり、天皇や中国(明)からの使者を迎える場として使用

  されていましたが、義満の死後、遺言により寺院となりました。

   国の特別史跡・特別名勝に指定された鹿苑寺の庭園は、当時の

  面影を現在に伝えており、1994年に世界文化遺産として登録され

  ました。

○鹿苑寺の壮大な池泉回遊式庭園は、何とも美しい。参拝門からくるりと四分の三を周回するように、造作されている。その中心にあるのが金色の金閣舎利殿である。二月の春の陽気に照らされて、誠に美しかった。

○これまで、幾度か金閣寺は訪れている。しかし、何度訪れても、その風景は見事と言うしかない。金箔張りの舎利殿なんて、悪趣味そのものと言う気もするけれども、美しいものは美しい。京都の自然と不思議によく溶け合っている。

○日本で舎利殿と言えば、五重の塔とか、三重の塔などの仏塔である。しかし、金閣舎利殿は、そういう仏塔とまるで趣を異にしている。仏塔と言うよりは、書院造りの建物である。

○もともと、鹿苑寺自体が別荘であったことは、興味深い。おそらく、金閣舎利殿は眺めるものではないに違いない。金閣舎利殿から池泉を眺めて楽しむ趣向なのではないか。汀の一階で眺めを楽しみ、二階へ上がってまた池泉を眺めて楽しみ、さらに三階まで登って、それぞれの景色を楽しむ趣向である気がしてならない。

○要するに、私達とは、まるで視線が違うのである。それは、まさしく、極楽浄土に居る者と、極楽浄土を眺める者の差ではないか。本来、金閣舎利殿は、そのように造作されている。金閣舎利殿を眺めて感動しているようでは、その本質に触れていないのである。

○今回、鹿苑寺を訪れ、そんなことを思った。金閣舎利殿に存在するのは、釈迦如来の遺骨である。つまり、金閣舎利殿は拝む対象となっている。それは、もともとのこの壮大な池泉回遊式庭園とは、別物であることに、十分留意する必要がある。