大徳寺の茶面(ちゃづら) | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○京都の禅寺には、「禅面(ぜんづら)」と言う言葉があることを、今回の「京都ぶらり旅」で知った。詳しい話は、ブログ『東福寺の伽藍面(がらんづら)』に書いている。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『東福寺の伽藍面(がらんづら)』

  東福寺の伽藍面(がらんづら) | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○「大徳寺の茶面(ちゃづら)」、「南禅寺の武家面(ぶけづら)」、「東福寺の伽藍面(がらんづら)」、「建仁寺の学問面(がくもんづら)」、「妙心寺の算盤面(そろばんづら)」と呼ぶのだから、何とも、言い得て妙とするしかない。さすが、京都人、皮肉たっぷりな表現に、驚く。もうこういう表現自体が立派な文化である。

○ブログ『東福寺の伽藍面(がらんづら)』を書いて、ブログ『大徳寺の茶面(ちゃづら)』を書かないのも、大徳寺に失礼な話である。もっとも、大徳寺自体は、こういう呼称を甚だ迷惑がっているのかも知れないが。遠慮せず、書かせていただく。

○大徳寺と茶道との縁は、茶道の祖とされる村田珠光が一休宗純に参禅したとされることから始まる。そういう経緯については、コトバンクの村田珠光項目が詳しい。

      村田珠光

室町時代の茶湯者。侘び茶創始者として,開山珠光とも称されるが,近年まで伝記については不明な部分が多かった。奈良の杢市検校の子で初名茂吉。11歳にして奈良称名寺の了海上人の徒弟となり,法林庵を預かるまでになるが,20歳のころ出奔して放浪し,やがて一休宗純に出会う。また能阿弥の知遇も得て,唐物数寄(中国の文物を重んじる書院台子の茶)の世界を知り,侘び茶を工夫する機縁となった。能阿弥の推挽で足利義政の知遇を得,「孔子の道を学ぶ」と紹介されたという(『山上宗二記』)。別の伝で六条堀川西に結んでいた四畳半草庵に,義政が「珠光庵主」の文字を与えたとされている。珠光の思想を示す,古市播磨(澄胤)に与えた「心の文」に,「和漢のさかひをまぎらかす」ことが「この道の一大事」とあって,和漢の混融が説かれる。中国渡来の唐物崇拝に対し,和物に対する美意識を開発しようとするものであった。それは,東山文化の基調である浄禅兼帯の志向と軌を一にする。珠光の侘び茶は,東山文化の一環として捉えるべきであろう。珠光の場合,物の不足を心の豊かさで補おうとするところに,茶の湯の独自性があった。大徳寺の一休の禅も,和様化を目途するもので,さらに珠光を慕う武野紹鴎が古岳宗亘,大林宗套に親炙することで,大徳寺と茶の湯が決定的に結びついた。

  村田珠光とは - コトバンク (kotobank.jp)

○ただ、大徳寺には村田珠光に関するものはほとんど無い。大徳寺との関係が深いのは、次の武野紹鷗になってからのことである。紹鷗は、享禄5年(1532年)2月に、大徳寺の古嶽宗亘のもとで出家し、紹鷗の法名を受けたとされる。

○その武野紹鷗の弟子が千利休である。千利休については、前回、詳しく触れたばかりである。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『千利休』

  千利休 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○大徳寺が『大徳寺の茶面(ちゃづら)』と称されることはうべなることである。そのことは、ブログ『千利休』にも詳しい。また、ウイキペディアフリー百科事典が案内する大徳寺項目にも、

   大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な

  影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園

  障壁画茶道具中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。

と載せているほどである。

○また、ウイキペディアフリー百科事典では、別に、次のような説明もある。

その後の大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎千利休小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。また国宝の塔頭龍光院密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残る。このため京童からは「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られた。

○今年2022年の「第56回 京の冬の旅」非公開文化財特別公開では、大徳寺では、聚光院と大光院が特別公開されていた。

      聚光院

      華麗な障壁画が彩る千利休と茶道三千家の菩提寺

   茶聖・千利休の菩提寺である大徳寺 聚光院は利休生誕500年を迎える

  この時期にこそ訪れたい。「京の冬の旅」では、茶席や絢爛豪華な障壁画も公開。

      大光院

      如水好みの茶室を残す豊臣秀長の菩提寺

   豊臣秀吉の異父弟・秀長の菩提寺である大光院。「京の冬の旅」初公開となる

  今回は、狩野探幽筆と伝わる「雲龍画」と茶室が公開される。

○これ以外にも、小堀遠州や古田織部所縁の三玄院など、とにかく、茶道に関係するものが数多く大徳寺には存在する。それが「大徳寺の茶面(ちゃづら)」である。