釋辯圓遺偈 | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年2月2日、京都ぶらり旅で、建仁寺へお参りした。建仁寺の第十世住持は、円爾弁円と言う。その円爾弁円に出会ったのは、中国浙江省杭州市余杭鎮の径山寺であった。

○もっとも、円爾弁円は十三世紀の人であるから、直接会ったわけではない。径山寺の境内に、『聖一国師:円爾』の顕彰碑が存在していて、此処、径山寺を、十三世紀に訪れた日本人が居たことを知った。そのことにひどく感動したことを、今でも、よく覚えている。

○また、そのことについては、次のブログに書いている。

  ・テーマ「世界上最美麗華貴之城:杭州」:ブログ『聖一国師:円爾』

  聖一国師:円爾 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○今回、京都ぶらり旅へ出掛けて、朝から醍醐寺、東福寺、泉涌寺、智積院、正伝永源院とお参りして、最後が建仁寺だった。そのうち、東福寺の開山が『聖一国師:円爾』である。したがって、その時に、ブログ『聖一国師:円爾』を書いている。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『聖一国師:円爾』

  聖一国師:円爾 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○今回、改めて、円爾弁円が如何なる人物であったかを確認してみたいと思った。手元に大日本佛教全書本「元亨釈書」があるので、「元亨釈書」巻七、浄禪三之三、『慧日山辯圓』を読んでみた。

○「元亨釈書」全三十巻で、一人で一巻を占めているのは、『慧日山辯圓』傳だけである。「元亨釈書」の著者、虎関師錬がそれだけ、円爾弁円を尊重していたことが判る。

○一通り、「元亨釈書」巻七、浄禪三之三、『慧日山辯圓』を読んでみて、あらためて、円爾弁円が徳のあるお坊さんであることを認識することができた。「元亨釈書」の『慧日山辯圓』傳で、著者である虎関師錬はただ淡々と史実を述べるに過ぎない。

○その史実が何とも凄いのである。「元亨釈書」の『慧日山辯圓』傳に拠れば、円爾弁円は天竺へ渡ることを希求したと言うのであるから。まさに、それは、三蔵法師の日本版である。ただ、当時の中国の諸事情が、それを許さなかった。

○それでも、彼は禅宗を皮切りに、多くの文物を日本へもたらしている。彼の一生は、まさに禅僧としての生涯だったと言うに相応しい。建仁寺は「学問面」と呼ばれるけれども、それを地て行っているのが円爾弁円である。

○「元亨釈書」の『慧日山辯圓』傳では、円爾弁円の没後も、さらに仏法を長々と説いている。それがまるで円爾弁円そのものだと言わんばかりの表現となっている。普通、主人公が亡くなったら、それで終わりだろう。そういう手法を虎関師錬が採用している点が面白い。

○その虎関師錬の「元亨釈書」の『慧日山辯圓』傳に、円爾弁円の肉声が唯一残されている。それが「釋辯圓遺偈」である。つまり、円爾弁円の遺言である。これがまた何とも恰好良い。

  【原文】

      釋辯圓遺偈

    利生方便

    七十九年

    欲知端的

    佛祖不傳

  【書き下し文】

    利生し方便すること、

    七十九年。

    端的に知らんと欲す、

    佛祖の傳はらざるを。

 【我が儘勝手な私訳】

    この世に生を受けて七十九年、

    只管、衆生の救済、教導に励んで来た。

    釈迦牟尼仏の教えがどういうものか、

    ただ、それだけを知りたい一生であった。

○こういうのを達観と言うのだろう。あまりに見事な遺偈なのに、驚く。人生の最後の言葉がこれである。こういう言葉を発せられる人生が、何とも羨ましい。思わず、「知足」を思い出した。禅寺なら「吾唯知足」の方が通りが良いのかも知れない。

○ちなみに、先に訪れた泉涌寺の開山、俊芿法師の辭世の頌は、次のようだった。

      同八日子時。復染筆書辭世頌曰。

    生來徧學

    經律論敎

    一時打拼

    寂然無窖

      嘉禄三年閏三月初八日

  【書き下し文】

    生來、徧く學び、

    經律、論敎す。

    一時、打拼するも、

    寂然、無窖ならん。

  【我が儘勝手な私訳】

    生まれてこの方、ひたすら仏法を学び、

    特に、經律について、研究してきた。

    この世にあって、一時、奮闘努力はしたが、

    これからひっそりと深い眠りに着くことである。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『入宋傳法比丘俊芿自賛幷びに辭世頌』

  入宋傳法比丘俊芿自賛幷びに辭世頌 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○当古代文化研究所も、もう72歳である。そろそろ、こういう遺偈を考える時期に達しているのだろうか。つい、そんな気がした。