円爾弁円 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年2月2日、京都ぶらり旅で、建仁寺へお参りした。もっとも、正確には、建仁寺の塔頭である正伝永源院へ、2022年の『第56回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開』参観へ出掛けたのである。それで、併せて、建仁寺へもお参りした。

○その建仁寺を案内する中で、前々回、ブログ『建仁寺』、前回、『明菴栄西禅師』と続けた。書いているうちに、その建仁寺で、建仁寺第十世住持の円爾弁円や十一世住持の蘭渓道隆ことが気になった。と言うのも、当古代文化研究所では、円爾弁円や蘭渓道隆について、これまで、幾度となく書いているからである。それで、ここで、円爾弁円と蘭渓道隆について、考えてみたい。

○最初に、当古代文化研究所で円爾弁円について書いたのは、2013年6月で、中国浙江省杭州余杭鎮にある径山寺へ参詣した時のことであった。径山寺は中国五山の筆頭として知られる。ただ、あまりに僻地に存在するので、お参りすることは容易では無い。2013年3月21日、丸一日掛けて、何とか、径山寺へお参りすることができた。

  ・テーマ「世界上最美麗華貴之城:杭州」:ブログ『径山寺参拝』

  径山寺参拝 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○その際、径山寺境内に、日本人僧の渡来記念碑が建っているのを見付けた。

  ・テーマ「世界上最美麗華貴之城:杭州」:ブログ『聖一国師:円爾』

  聖一国師:円爾 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○今回の「京都ぶらり旅」で、建仁寺へお参りする前に、東福寺へ参拝した。その東福寺の開山が『聖一国師:円爾』である。したがって、その時に、ブログ『聖一国師:円爾』を書いている。

  ・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『聖一国師:円爾』

  聖一国師:円爾 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

 

○インターネットで検索すると、次のページがヒットした。

      円爾弁円

年:弘安3.10.17(1280.11.10)
生年:建仁2.10.15(1202.11.1)
鎌倉時代の,臨済宗聖一派派祖。諡号は聖一国師駿河国(静岡県)に生まれ,5歳のときに久能山に入る。はじめ教典,外典の研鑽に努めるが,22歳になって禅門を志し,上野長楽寺に臨済宗の栄朝を訪ねた。嘉禎1(1235)年4月,34歳で入宋。臨済宗大慧派の無準師範に7年間参学,その法を嗣いだ。しかし,伝記資料がいずれも,そのときの大悟の機縁を記録していないのは,円爾の経歴上,第一の不思議である。帰国後は九州を中心に活動を行っていたが,寛元1(1243)年,九条道家の篤い帰依を得て,道家が京都に建立した東福寺開山第1世となる。ちなみに東福寺の寺号は,東大寺と興福寺から1字を取り,その規模の壮大さを示したものである。入院後は,後嵯峨,亀山両上皇へ授戒を行い,また東大寺,天王寺の幹事職を勤めるなど,朝廷,幕府あるいは旧仏教とも積極的にかかわりを持った。同時に学僧の指導にも努め,東山湛照,白雲慧暁,無関玄悟など,のちの五山禅林の発展に大きく影響を与える弟子を輩出した。この門流を聖一派と呼んでいる。学風は,智慧弁才に秀でた円爾ならではの,客観性,包容性に富んだものであったといわれる。79歳の秋,東福寺において遷化,常楽庵に葬られた。直筆の遺偈(末期の漢詩)が東福寺に現存する。また頂相(肖像画)としては南禅寺天授庵に所蔵されるものが有名。<参考文献>『聖一国師年譜』,『元亨釈書』7巻,玉村竹二『臨済宗史』,船岡誠『日本禅宗の成立』,古田紹欽『日本禅宗史の諸問題』

                                  (石井清純)

  円爾弁円とは - コトバンク (kotobank.jp)

○別に、ウイキペディアフリー百科事典が案内する円爾は、次の通り。

      円爾

円爾(えんに、建仁2年10月15日1202年11月1日) - 弘安3年10月17日1280年11月10日))は、鎌倉時代中期の臨済宗駿河静岡県)の出身。諡号(しごう)は聖一国師(しょういちこくし)。

建仁2年(1202年)、駿河国安倍郡栃沢(現・静岡市葵区)に生まれる。幼時より久能山久能寺の堯弁に師事し、倶舎論天台を学んだ。18歳で得度(園城寺にて落髪し、東大寺で受戒[1])し、上野国長楽寺栄朝、次いで鎌倉寿福寺行勇に師事して臨済禅を学ぶ。嘉禎元年(1235年)、に渡航して無準師範の法を嗣いだ。法諱は初め弁円と称し、円爾は房号であったが、後に房号の円爾を法諱とした(道号はなし)。なお、「円爾弁円」と4字で表記される場合もあるが、前述のとおり円爾には道号はなく、新旧の法諱を併記した「円爾弁円」という表記は適切ではない。

  円爾 - Wikipedia

○一般には「円爾弁円」の方が通りが良いので、敢えて、「円爾弁円」としている。手元に大日本佛教全書本「元亨釈書」があるので、改めて、「元亨釈書」巻七、浄禪三之三、『慧日山辯圓』を読んでみた。「元亨釈書」巻七は、『慧日山辯圓』傳が全てである。

○「元亨釈書」全三十巻で、一人で一巻を占めているのは、『慧日山辯圓』傳だけである。それだけ、円爾弁円が重要視されていることの証ではないか。「元亨釈書」の著者、虎関師錬がそれだけ、円爾弁円を尊重していたことが判る。

●なお、ウィキペディアフリー百科事典が案内する円爾では、

   なお、「円爾弁円」と4字で表記される場合もあるが、前述のとおり円爾には

  道号はなく、新旧の法諱を併記した「円爾弁円」という表記は適切ではない。

とあるけれども、実際、「元亨釈書」を読むと、その冒頭に、

   釋辯圓、字圓爾。以字行。姓平氏。

とある。つまり、円爾の法諱が辯圓、字が圓爾であることが判る。そうであれば、円爾を「円爾弁円」と表現することは、何も不思議では無い。ウィキペディアフリー百科事典の説明は、明らかにおかしいことが判る。