京阪バス301路で、醍醐寺から東福寺へ | 古代文化研究所

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○2022年2月2日、京都ぶらり旅で山科の醍醐寺へ参詣した。とは言っても、今回、実際訪れたのは醍醐寺の塔頭、三宝院だけである。醍醐寺は大寺である。一回の参詣でお参りを済ませるには、ここだけで一日は優に要する。それで、今回は三宝院参拝にした。後日、ゆっくりと下醍醐、上醍醐にお参りしたい。

○三宝院へ参詣した後、バス停のある醍醐寺駐車場へ向かった。今朝、京阪バス301路に乗って、8時27分には、この駐車場に着いていた。京都駅から醍醐寺へ行くには、この京阪バス301路がもっとも便利なのではないか。ただ便数が少ないのが難点である。

○醍醐寺から次に向かうのは、東福寺である。来た時と同様、京阪バスの十条相深町バス停まで行くと、そこから歩いて10分ほどで東福寺に着く。それで、帰りのバスの時間は、事前に調べていて、9時47分と10時7分、10時37分のいずれかに乗ることを計画していた。

○三宝院を出る際、時間は9時35分だった。これなら9時47分のバスに乗れると思い、急いで駐車場へ向かった。バス停にはすでにバスが停まっていた。それで慌てて走って行った。10時7分のバスを予想していたが、何と、9時47分のバスに乗ることができた。

○京阪バスの十条相深町バス停には、10時過ぎに着いた。十条相深町バス停は鳥羽街道の陶化橋にある。いわゆる鴨川の上である。東へ向かって鳥羽街道を150m進むと京阪電車の鳥羽街道駅に出る。その鳥羽街道駅の手前に喫茶店があって、モーニングのメニューが店先に出ていた。

○朝からバタバタしていて、まだ朝食を済ませていない。急に空腹を覚えて、その喫茶店でモーニングを頂戴した。ちゃんとした喫茶店で、目の前でコーヒーを入れてくれた。そのコーヒーが何とも美味しかった。モーニング代は600円で、これがまた安い。厚切りのパンもサラダも美味しかった。余程、写真を撮りたかったが、カウンターで写真を撮るのも憚れて、諦めた。

○そのまま、喫茶店を出て、左折して、北上し、東福寺へと向かう。200m先が東福寺南大門である。そこから入ると、左右に塔中が立ち並ぶ、東福寺はまた大寺である。最初の塔中が荘厳院で、院前に、「吉益東洞先生墓」の石柱が見えた。寡聞にして、吉益東洞先生なる人物を知らない。

○家に帰ってから調べると、ウイキペディアフリー百科事典には、次のようにあった。

      吉益東洞

吉益 東洞(よします とうどう、元禄15年2月5日1702年3月3日)- 安永2年9月25日1773年11月9日))は、安芸国山口町(現在の広島市中区橋本町付近)出身の漢方医で、古方派を代表する医であり、日本近代医学中興の祖である。名は為則、通称は周助。はじめ東庵と号し、のち東洞。

傷寒論』を重視するが、その中の陰陽五行説さえも後世の竄入とみなし、観念論として排した。30歳の頃「万病は唯一毒、衆薬は皆毒物なり。毒を似て毒を攻む。毒去って体佳なり」と万病一毒説を唱え、すべての病気がひとつの毒に由来するとし、当時の医学界を驚愕させた。この毒を制するため、強い作用をもつ峻剤を用いる攻撃的な治療を行った。後の呉秀三富士川游はこの考え方を近代的で西洋医学に通じるものと高く評価した。

  吉益東洞 - Wikipedia

○東福寺は古刹であるから、様々な人々の関係がある。吉益東洞先生も、そういうものの一つになる。更に、東へ上がって行くと、左手に六波羅門、正面に勅使門が見えた。塀の向こうには、大きな東福寺三門も見えていた。