三宝院 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年2月2日、京都ぶらり旅で山科の醍醐寺へ参詣した。目的は三宝院へお参りすることにあった。醍醐寺は大寺である。今回の訪問で醍醐寺を全て見ることもできない。取り敢えず、今回は三宝院だけでもお参りしておきたい。醍醐寺には、一回は丁寧にお参りする必要を感じている。

○それは修験道を研究する上で、醍醐寺は避けて通れないお寺だと判断するからである。修験道の聖地、大峯奥駈道を歩くと、醍醐寺の開山、聖宝理源大師の足跡を各所に見ることができる。最も分かり易いのは、小笹の宿であろう。小笹の宿には、三宝院の御堂が建っている。その写真を、次のブログに載せている。

  ・テーマ「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『行尊大僧正論』

  行尊大僧正論 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

また、小笹の宿については、次のブログに書いている。

  ・テーマ「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『小笹の宿』

  小笹の宿 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○上記のブログを書いたのは、2011年5月だから、もう10年以上も前から醍醐寺は気になっていたことが判る。その間、なかなか醍醐寺を訪れる機会が無かった。

○醍醐寺のホームページが案内する三宝院は、次の通り。

      三宝院

三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されています。国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。

  三宝院|境内案内|世界遺産 京都 醍醐寺 (daigoji.or.jp)

○また、ウイキペディアフリー百科事典が案内する三宝院は、次の通り。

      三宝院

三宝院(さんぼういん)は、京都市伏見区醍醐にある真言宗醍醐派大本山寺院門跡寺院で、総本山醍醐寺塔頭であり、本坊的な存在。本尊弥勒菩薩。また、かつては真言宗系の修験道当山派を統括する本山であった(現在は修験道当山派なる宗教法人はない)。三宝院門跡は醍醐寺座主を兼ね、真言宗醍醐派管長の猊座にある。

永久3年(1115年)、左大臣源俊房の子で醍醐寺14代座主勝覚灌頂院(かんじょういん)として開き、後に仏教三宝にちなんで現在の名に改めた。康治2年(1143年)に鳥羽上皇御願寺となっている。勝覚が村上源氏の出身であったことから、初期には代々源氏の寺院とみなされていた。 

鎌倉時代から南北朝時代にかけて、成賢(7世)・憲深(11世)・定済(13世)・賢俊(21世)と高僧を輩出し、足利尊氏から厚く保護された。

  三宝院 - Wikipedia

○三宝院は、今年2022年の、「第56回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」に、この醍醐寺の三宝院と五重塔が入っている。それで、わざわざ訪れたわけである。もっとも、今回、私は三宝院だけを見ることとした。他にも見るべきものが多くあったからである。それに、醍醐寺はどうせ、将来、一回はゆっくり一日掛けてお参りする必要もあるからである。それで、今回は下醍醐の伽藍も訪れず、もちろん、上醍醐にも訪れていない。

○三宝院の景観には圧倒された。特に襖絵が凄かった。ただ、三宝院の内殿は写真撮影が禁止されていたので、庭くらいしか写すことができなかった。時間が許せば、ここで半日、過ごしたいくらいである。もちろん、庭園も凄かった。

○何とも中途半端な醍醐寺三宝院参詣だったが、十分堪能出来たことも事実である。もう少ししっかり勉強してから、再度、ゆっくり醍醐寺には訪れたい。