日向國の投馬国 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回、この話について書いたのは、次のブログになる。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『筑紫の日向の小戸の橘の檍原』

  筑紫の日向の小戸の橘の檍原 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

このブログを書いたのは、2020年11月1日だとあるから、もう一年以上も前の話である。そのまま、この問題について放置したままになっているのが非常に気になっていた。

○ただ、その前に片付ける問題がいろいろと出現して、延び延びになったままだった。先日、和歌の浦の話が完結したので、やっとこの問題に戻ることができる。ただ、この問題は非常に大きな問題であって、なかなか簡単には終らない気がしてならない。

○それは何故かと言うと、あまりに多くの問題を抱えているものだからである。その幾つかを端的に指摘すると、まず住吉神の問題が挙げられよう。住吉神の故郷は何処か。そして、住吉神は、本来、どういう神様だったのか。そういうことに応えてくれるのがこの問題である。

○次に挙げられるのは、諸県地名の起源であろう。古代に於いて、日向国の中心だったのが諸県地方になる。「古事記」や「日本書紀」では、特に、応神天皇や仁徳天皇の時代に出現する。その諸県がどういう意味で、何処に起源があるのか。誰も問題としない。

○以前、地元の宮崎日日新聞が、「追跡:古代ヒムカ:西都原の長(オサ)」の特集記事を行ったことがある。第1回は2015年2月6日(金)であった。良い機会だから、当古代文化研究所でも、そのことについて、併せて考えることとした。それが次のブログになる。

  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『検証「追跡:古代ヒムカ:西都原の長(オサ)①」』

  検証「追跡:古代ヒムカ:西都原の長(オサ)①」 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○宮崎日日新聞の特集記事、「追跡:古代ヒムカ:西都原の長(オサ)」は、3月30日(月)に第15回を持って終了した。長々と15回も続けて、二か月近くも費やした割には、まるで中身の無い寂しい特集記事だったような気がしてならない。最後は、次のブログで案内している。

  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『検証「追跡:古代ヒムカ:西都原の長(オサ)⑮」』

  検証「追跡:古代ヒムカ:西都原の長(オサ)⑮」 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○宮崎日日新聞は何故か、諸県について、真面目に考えようとしないのが残念でならない。報道は専門で得意なのかも知れないが、考えることについては、まるで駄目である。第一、諸県がどういう意味で、何処がその起源なのか、一切、言及しようともしない。それではどうしようも無い。

○当古代文化研究所では、そういうことに、次のブログで、全て言及している。参照されたい。

  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『諸県地域』
  諸県地域 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『諸県とは何か』
  諸県とは何か | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『諸県君の信仰』
  諸県君の信仰 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『諸県のシンボル』
  諸県のシンボル | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『諸県君と日向国造』
  諸県君と日向国造 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『諸県君と日向国』

  諸県君と日向国 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○まだまだこの問題は、多くのことを指摘することができる。それらの一つを取り上げるとすれば、金峰神社の問題である。ウイキペディアフリー百科事典が案内する金峰神社は、次の通り。

      金峯神社(吉野町)

   金峯神社(きんぷじんじゃ)は奈良県吉野郡吉野町にある神社である。吉野山最奥の青根ヶ峰

  のそばにあり、吉野山の地主神を祭る。式内社名神大)で、旧社格郷社

   境内ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成

  資産の一部。

  金峯神社 (吉野町) - Wikipedia

○多くの方がイメージしている金峰神社は、およそ、こういうことではないか。しかし、もともと、金峰神社は日向国のものであって、奈良県に存在する金峰神社は勧請されたものに過ぎない。もっとも、吉野山そのものが日向国のものである。

○そういう問題を、これから取り上げたい。どれくらい考えることができるかは、甚だ心許ない気もするが、良い機会であると判断する。しばらくは、取り敢えず、テーマ「投馬国はどんな国家だったか」を整理しながら、並行して、この問題を考えてみたい。