テーマ「投馬国はどんな国家だったか」について | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2020年7月15日に、日向市美々津を訪問し、その後、都農町の日向国一宮、都農神社へ参詣した。続けて、7月29日にも、宮崎市江田神社から、住吉神社、西都市の都萬神社と参拝して来た。更に、8月5日にも、美々津や都農を訪れている。

○その後、2020年10月15日に、末吉の住吉神社へ参詣して来た。行き掛けに、金御岳へ登り、帰り道には、檍神社や黒尾神社、神柱神社へもお参りして来た。その後、2021年1月29日に、内之浦の国見山へ登り、高屋山上陵へ参拝し、高屋神社へお参りしたが、その帰りに橋野の若一王子神社へも参詣した。

○2021年3月25日には、末吉町の図書館へ調べものに出掛けた。その際、帰りに、橋野で1月に見付けることの出来なかった平季基のお墓へ詣でて来た。そういう話を機会があったら書こうと思っていたが、そのままになったままになっている。

○その話を最後に書いたのが、次のブログで、2020年11月1日となっている。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『筑紫の日向の小戸の橘の檍原』

  筑紫の日向の小戸の橘の檍原 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○ちなみに、この話は、2020年7月18日の、次のブログから始めている。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『美々津』

  美々津 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○つまり、2020年7月18日から始めて、2020年11月1日まで、都合88個ものブログを載せている。今考えると、テーマは「日向国の邪馬台国」ではなくて、「投馬国はどんな国家だったか」に入れるのがふさわしい。そうすれば、一通り、諸県がどんな地域であったかが見えて来る。

○それで、この際、そういうことを全部整理して、ブログ『美々津』からブログ『筑紫の日向の小戸の橘の檍原』までをテーマ「投馬国はどんな国家だったか」に入れ、その続きを書き綴ってみたい。どれくらい整理できるかは、甚だ心許ない気もするが、このまま放っておくわけにもいかない。

○これまで、日向国の邪馬台国や狗奴国については、すでに詳細な検証を加えている。それに対して、投馬国に関するブログは極めて貧弱なものとなっている。そういうものを、ここで少しでも充足、補充しておきたい。併せて、これまで、書き残して来ているものを済ませたい。

○結構、面倒な作業となることは判っている。しかし、何時かはしなくてはならない作業である。昨日まで書いてきた「吉野紀行」が何とか終了したので、良い機会だと判断した。やってみないと、どれくらい大変な作業かも判らない。取り敢えず、頑張るしかない。

○加えて、まだ「甑島周遊」の話も完結しているわけではない。甑島に関しては、「里村郷土誌」「上甑村郷土誌」「鹿島村郷土誌」「下甑村郷土誌」の四冊を手に入れて、これまで、「里村郷土誌」と「上甑村郷土誌」に関しては、ほどんど済ませたが、「下甑村郷土誌」についてはまた途中だし、「鹿島村郷土誌」に関しては手も付けていない。

○なかなか時間が無くて困っている。ただ、地道に一つづつ丁寧に片付けて行くしかない。今できることを少しずつ処理するしか無いわけである。取り敢えず、テーマ「投馬国はどんな国家だったか」を整理することから始めたい。