住吉神の故郷 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○ウイキペディアフリー百科事典では、住吉神社について、次のように載せる。

      住吉神社

   住吉神社(すみよしじんじゃ)は、主に住吉三神を祀る神社日本全国に約600社ある。

   ここでは「住吉神社」を法人名とする神社を記す(神社名の一部に「住吉」を含むもの

  についてはCategory:住吉神社を参照のこと)。

  住吉神社 - Wikipedia

○住吉神社を語る上で、住吉三神を抜きに話すことはできないので、もう一回、住吉三神を掲載しておきたい。

      住吉三神

住吉三神(すみよしさんじん)は、神道で信仰されるである。

日本書紀』では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)、『古事記』では主に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される3神の総称である。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。

「住吉」は、元は「すみのえ」と読んだ。

  住吉三神 - Wikipedia

○ちなみに、住吉神社には、三大住吉神社なるものがあって、次の神社を指す。

      三大住吉神社

  ・住吉大社 - 大阪府大阪市住吉区住吉

  ・住吉神社 (下関市) - 山口県下関市一の宮住吉

  ・住吉神社 (福岡市) - 福岡県福岡市博多区住吉

○このうち、住吉大社は摂津国一宮であり、住吉神社 (下関市)は長門国一宮、住吉神社 (福岡市)は筑前国一宮と言うのだから、それぞれの住吉神社がどれほどの社格であるかが判ると言うものである。あれほど多くの神社が存在する筑前国で、住吉神社 (福岡市)が筑前国一宮であることの意義は大きい。

○それでも、「古事記」や「日本書紀」を読むと判るとおり、住吉三神の故郷は日向国とするしかない。面白いことに、ウイキペディアフリー百科事典の住吉神社項目には、宮崎県鹿児島県の住吉神社として、次の二社を掲載している。

  ・住吉神社 (宮崎市) - 宮崎県宮崎市塩路

  ・住吉神社 (曽於市) - 鹿児島県曽於市

○この二社には、もともと共通する条件があることが、たぶん、ウイキペディアフリー百科事典の住吉神社項目編集者には認識されていない。この二社は、本来、ともに日向国の神社であり、大淀川と言う一級河川の上流部と河口付近に鎮座まします神社なのである。現在は、宮崎県と鹿児島県とで、県まで異なっているけれども。

○確認の意味で、当古代文化研究所が参詣した時の様子を次に掲載しておきたい。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『日向國式内社:江田神社』

  日向國式内社:江田神社 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『江田神社考』

  江田神社考 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『阿波岐原の住吉神社』

  阿波岐原の住吉神社 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『住吉神考』

  住吉神考 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『住吉山:住吉神社』

  住吉山:住吉神社 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『住吉山:姥石』

  住吉山:姥石 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○その住吉三神の故郷について、「古事記」では、伊邪那岐命が禊祓をした地を、『竺紫日向之橘小門之阿波岐原』としている。それに対して、「日本書紀」では、同じ場所を、『筑紫日向小戸橘之檍原』と記録している。この両者には表現上、微妙な差異が見られる。

○当古代文化研究所では、すでに、この点についても、詳細な検証を加えている。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『竺紫の日向の橘小戸の阿波岐原』

  竺紫の日向の橘小戸の阿波岐原 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『筑紫の日向の小戸の橘の檍原』

  筑紫の日向の小戸の橘の檍原 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○現地を実地検分する限り、「古事記」の『竺紫日向之橘小門之阿波岐原』と言う表現は意味をなさない。むしろ、「日本書紀」の『筑紫日向小戸橘之檍原』の方が、現地を説明するには相応しいことが判る。

○つまり、伊邪那岐命が禊祓をした地は、『筑紫日向小戸橘之檍原』だと思われ、そこは墓地であることが判る。もともと、住吉三神の故郷は、そういうところであることが判る。

○住吉三神が誕生したのは、伊邪那岐命が禊祓をした地であると、私たちは何気なく理解している。しかし、そこは墓地に隣接するところであった。それが『筑紫日向小戸橘之檍原』だと言うことになる。そして、それは、日向国では現在でもその風景を見ることができる。もちろん、そこが『筑紫日向小戸橘之檍原』だと言うことになる。

○今年、2021年7月に甑島を周遊してきた。甑島4回目の訪問であった。これで甑島の有人集落は全て周回することができた。その際、下甑島の手打で、墓地を見ることがあった。その風景もまた、『筑紫日向小戸橘之檍原』の風景と全く同じであることに驚いた。それが住吉神の故郷の風景であることは言うまでも無い。