日向国の邪馬台国三山 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○大和国には大和三山が存在する。

  ・畝傍山(199.2m)
  ・香具山(152.4m)
  ・耳成山(139.7m)

○それは奈良県橿原市に存在する山々である。その大和三山が大和国を代表する風景であるとは、ほとんどの人が思っていない。大和国の大和三山はあまりに低くて、その存在を常時、認識している人の方が少ない気がする。

○それに対して、日向國の邪馬台国三山は違う。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)
  ・かぐやま=桜島山(1117m)
  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

○日向国で、邪馬台国三山の存在感は他を圧倒している。第一、現在、邪馬台国三山が存在する鹿児島県の鹿児島地名そのものが、邪馬台国三山から命名されていることからも、日向国に於ける邪馬台国三山の存在の大きさが理解できると言うものである。

○もっとも、鹿児島県や鹿児島市は鹿児島地名の起源について、そのようなことをまるで理解していない。何とも寂しい話である。しかし、鹿児島県や鹿児島市は、もともと鹿児島県や鹿児島市が日向国であったことすら、満足に理解できていないのだから、仕方の無いことかも知れない。文化は耕さない限り享受できない。文化を受容するには、それなりの奮闘努力が要求される。鹿児島県や鹿児島市に、文化が無いだけのことである。

○文化の無いのは、何も鹿児島県や鹿児島市だけではない。日本の文化庁が同様なのだから、驚き、呆れる。それは文化庁の国指定文化財等データベースの『大和三山』項目の詳細解説を見れば判る。

      文化庁:国指定文化財等データベース

      大和三山

大和三山は奈良盆地の南部に位置し、香具山(152.4m)、畝傍山(199.2m)、耳成山(139.7m)の3つの独立小丘陵から成る。香具山は多武峰から北西に延びる支稜線が浸食により切り離され、独立丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山はそれぞれ沖積盆地底に位置する円錐形のいわゆる死火山である。
  3つの山は古来、有力氏族の祖神や産土神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる山として神聖視され、その頂部や麓に『日本書紀』に記す天香具山社、『延喜式』の式内社である畝火山口坐神社、耳成山口神社などが祀られてきた。(以下略)

  国指定文化財等データベース (bunka.go.jp)

○文化庁がこんな誤りをしてはならない。大和三山はこういうふうには案内しない。大和三山の順序は、古来、畝傍山・香具山・耳成山と決まっている。絶対に、香具山・畝傍山・耳成山とは紹介しない。それが常識である。

○それを文化庁が、わざわざ、香具山・畝傍山・耳成山とは紹介するのには、余程の理由と根拠があるのであろう。しかし、どう考えたところで、大和三山は、畝傍山・香具山・耳成山であって、香具山・畝傍山・耳成山ではない。それが日本の伝統文化なのである。

○こういうふうに、さりげないところに文化は表出する。それを感じ取るのが文化なのである。我が儘勝手な独断や偏見は、誤りのもととなる。まさに文化庁が犯した誤りがそれである。文化庁の文化程度が測れる、恰好の材料である。

○日本に於いては、大和三山は、畝傍山・香具山・耳成山とするしかないのである。それは日本に於いて、畝傍山より崇高な山は存在しないからである。したがって、古来よりずっと、日本では、大和三山は、畝傍山・香具山・耳成山と表現して来たわけである。文化庁はそのことを理解できていない。

○それは畝傍山が霧島山だと言うことと、深く関係している。霧島山は26個もの山々が集合する山塊であって、その霧島山を代表する山が高千穂峰なのである。最高峰は韓国岳(1700m)なのに、霧島山と言えば高千穂峰(1574m)を指す。

○その高千穂峰が天孫降臨の世界山であることを、文化庁は全然理解していない。日向国の中心に位置し、なおかつ、日向国の最高峰が畝傍山=霧島山なのである。だから、瓊瓊杵尊は高千穂峰に天孫降臨なさったわけである。

○文化とは、そういうものである。丁寧に一つ一つ紐解いていかないと、文化は姿を見せてくれない。それが文化を耕すと言う作業である。文化庁がそれを怠ってはなるまい。

○このことは、これまで、幾度となく、機会ある度に、指摘している。しかし、一向に訂正されない。まさか、文化庁の国指定文化財等データベースが間違っているとは、誰も思わない。多くの文献や資料が文化庁の国指定文化財等データベースを引用している。そういう弊害がまた怖い。早急な対処をお願いしたい。すでに弊害が出ているから、お願いするわけである。

○日向国で邪馬台国三山の存在は他を圧倒している。それが日向国の邪馬台国三山である。また、それが信仰の山であったことを、誰もが見失っている。古代は宗教そのものの時代である。そのことを忘れてはなるまい。それは枕詞「そらみつ」からも、確認される。