○前回、ブログ『大和三山が日向国のものであること』と題して、大和三山、
・畝傍山(199.2m)
・香具山(152.4m)
・耳成山(139.7m)
がレプリカであって、本物の大和三山が日向国に存在する邪馬台国三山、
・うねびやま=霧島山(1700m)
・かぐやま=桜島山(1117m)
・みみなしやま=開聞岳(924m)
であることを話した。あまりに大きな問題であるからして、容易には受け入れ難い話である。
○しかし、当古代文化研究所では、この問題を三十年以上も追求し、検証し続けている。決して、単なる思い付きで話しているわけではない。このことを証明するには膨大な時間と手間暇が要求される。それもきちんと済ませて述べている。
○したがって、大和国の大和三山はレプリカで、本物の大和三山は日向国に存在する。それが邪馬台国三山である。ただ、これだけでは全く説明不足となるから、ここで丁寧に説明を加えておきたい。
○第一に、大和三山を最も記録している書物が何かと言うことから始めなくてはならない。それが「万葉集」である。前回述べたように、私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。
○したがって、大和三山を理解しようと思えば、「万葉集」を読むに如くはない。そうすれば判ることだが、「万葉集」が記録する大和三山には多くの矛盾が存在する。それは大和国に存在する大和三山では説明不可能な話ばかりなのである。
○次に述べたいことは大和三山の山名である。畝傍山は「うねびやま」と呼ぶ。当然、畝傍山はどの山よりも「うねって」存在している山のはずである。しかし、奈良県橿原市に存在する畝傍山は、別に「うねって」いる山では無い。まるで、名が体を表していないのである。
○それは香具山や耳成山にしたところで、全く同じなのである。つまり、大和三山の名を奈良県橿原市に存在する大和三山で説明することは、誰にもできない。そんな不思議な話は無い。
○第三に、香具山は、通常、天の香具山と呼ぶ。それは畝傍山や耳成山には無い。一種独特の表現である。と言うことは、香具山には畝傍山や耳成山には無い特徴が存在するはずである。奈良県橿原市に存在する香具山で、そのことを説明することは誰にもできない。
○決定的なのが枕詞「天降り付く」だろう。枕詞「天降り付く」は香具山にだけ掛かる枕詞なのである。岩波古語辞典では、次のように記す。
あもりつく【天降りつく】
[枕詞]香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。
○いまどき、こんな説明は小学生だって信じない。もともと、枕詞「天降り付く」は崇高なものであった。ところが枕詞「天降り付く」がその現地を見失ったところから、枕詞「天降り付く」は説明不能な枕詞に変容した。実際、枕詞「天降り付く」がその現地を回復できれば、枕詞「天降り付く」は崇高な過去を取り戻すことができる。
○私が最初に枕詞「天降り付く」風景を実際に見たのは、2012年12月4日のことである。その感動は今でも忘れることができない。詳しくは、次のブログに書いている。
・テーマ「竹島・硫黄島・黒島」:ブログ『枕詞「天降り付く」の真実』
枕詞「天降り付く」の真実 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
○ところが現代のマスコミにはそういうことがまるで学習されていない。全く同じ風景を六年後の2018年12月に、『山頂に沈む夕日 「ダイヤモンド桜島」』と表現して紹介されて、驚き、呆れた。
・テーマ「日向国の万葉学」:ブログ『山頂に沈む夕日 「ダイヤモンド桜島」』
山頂に沈む夕日 「ダイヤモンド桜島」 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
○昨年2020年12月12日にも、当古代文化研究所では、鹿児島県霧島市を訪れ、枕詞「天降り付く」風景を見て来ている。
・テーマ「日向国の万葉学」:ブログ『天降付く天の香具山の風景』
天降付く天の香具山の風景 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
○文化は耕さない限り享受できない。そういう肝心の文化を享受できないテレビや新聞とは、いったい、何なのだろう。何とも貧しい文化程度に、驚く。
○大和三山は間違いなく日向国のものである。ただ、当古代文化研究所では、それを邪馬台国三山と命名して区別している。次回は、その話をしたい。